価値観とは
価値観が合う、合わない、とかよく言いますが、そもそも価値観ってなんですかね。
価値があると思うもの、というなら、「私」一つ以外ないでしょ、という促しがあって書いてるんですが。
悟りなんて結局全員悟ってる、ということをよく聞きますが、私は小学生の頃からずっと、
「なぜ頭の声と、自分が話す声は違う内容を話すんだろう? 同じ自分と言われても、正反対のことを言うのはなぜなんだろう?」
とか
「運命が決められてるなら、登校中に私が2歩下がるのも決まってるのかな?」
とか考えて立ち止まってみたり、
「今信号待ちをしてる人たちは、私が通り過ぎた後も存在するのかな?」
とかずっと考えている子でした。
なので、子供の時のほうが、大人時代よりずっと「悟ってる」状態に近かったんだと思います。
ただ、そういうことを面白い、と言ってくれる人は時代的にもいなかったですし、変わってるね、という一言で片付けられ、そういう疑問を投げかけた母親には、
「ほんとあんたは、なんで、なんで、ばっかりでウザい。」
だとか
「ほんとあなたは自分が世界の中心なのね。」
とか言われ続けた結果、全て自分が悪いんだ、と自分の価値なんて底辺に置いていたと思います。
ただ、どこか頭で、でも世界の方が絶対におかしい、という考えも捨てられず、何を言われても、私が普通で、みんながおかしいんだ、と思い続ける自分も存在していました。
目覚めの経験以降、常に常に自分の闇と向き合ってきて、闇多すぎて飽きた、と思うことは何千回もあったのですが、昨日いきなり
「真相は闇」
とメッセージが来て、その意味を掘り下げた結果、前回の内容にも被りますが、人は皆、占いにしても、メッセージにしても、いいこと、と言われる内容だと喜んで、闇の内容だと信じない、とか、当たらない、と受け入れないですが、自分の良さや光をどんだけ言われたところで、自分の価値をわかっていないのに、受け取れるわけもなく、結局光の内容なんて、みんな知ってることなんだと思います。
光は単純で、私一個だけだから。
「あなたは創造主で神なんですよ。」
と言えば、
「私にそんな価値があると思えません。」
と言われ、
悩みの核心の闇を伝えれば、
「私にはそんな闇ありません。」
と言われ、
「せめてどっちかに寄せてくれ。」
と思っていたものですが、自分も知らない闇を一個ずつ掘り下げていって、結局私はそれではなかった、というすり合わせを続けていくことで、闇と光の両面が消化され続けて、最後0になる、そこにしか答えはないんです。
それが、エネルギーの歪みを一個ずつ解く、という作業なんだと思います。
だから、闇を見つけて、それも私、でももういらない、ということを続けて、最後、自分が消える。
だから結局闇見る以外、何見るんだろう、とずっと腑に落ちなかったことが、やっと落ちました。
ヒーラーだったときには、光の存在に憧れて、イニシエーションを何個も受けてみたり、不思議現象起こそうとしてみたり、幸せを引き寄せようとしていた行為、それそのものが、闇だったな、と。
自我以外の何者でもなく、自分が行為者と証明しようと躍起になった結果、その全てを失わさせられた、でも結局それが一番の恩寵だった。
という気づきが来たと同時に、先月から、「元旦からのエネルギーの動きは何倍、何百倍になるよ、」と来ていたのが、更に強まってる気がします、というか体感➕メッセージでの感覚です。
一人が気づくことでのエネルギーの影響は多分想像以上に大きく、それはもしかしたら私以外の人が先に気づいた影響を受けたのかもしれないし、皆がお互い受け合っているんだと思います。
同調圧力に負けずに、一人一人が、内なる声を信じる、というか、信じないことが一番しんどい結果だと、知る時がもう来てると思います。