[推し本]声の地層(瀬尾夏美)/日本のアレクシェーヴィチ
魂を浄化してくれるような本で、普段使わない(ようにしている)感情の奥底の奥底を揺さぶられてしまいました。
震災やコロナの時代を小さな小さな立場から描いた、柴崎友香の「続きと始まり」とも共鳴しあいます。
1988年生まれの瀬尾さんを媒介として出てくる言葉の一つ一つは押し付けでもなく、美談だけでもなく、悲しくても希望が埋もれていたり、弱いながらも芯があり、民話的な朴訥さとともにじーんと読み手に沁み入ります。
聞かれることがなければ言葉にならなかったことを掬い上げ、耳を傾ける瀬尾さんの聞き取りの手法は、日本のアレクシェーヴィチといってもよいでしょう。
なんだかもう、ものすごいものを読んでしまった気がします。
東日本大震災の後、著者は被災地でいろいろな話を聞きます。聞くことが何につながるかも見えないまま活動を続ける中で、一口に被災者と括れない様々な立場、当事者と当事者でない立場、当事者でないからこそ口をつぐんでしまうこと、当事者もずっと当事者扱いされることには戸惑うこと、などがわかってきます。それらに一つ一つ寄り添い、ひたすら沈殿させ、そして物語を紡ぎ出します。
人々の記憶を集める活動は、コロナやウクライナ戦争といった別の災禍や第二次世界大戦をぎりぎり覚えている世代にも広がり、まさに地層のように降り積もります。
東日本大震災の後、津波で流された地域を嵩上げしたのは知っていましたが、それが嵩上げ後の土地を歩く時に、上空から見るように、足元に昔あった町や住んでいた家を思って踏みしめることになるという話(タイトルの“地層”にも意図が込められている)に、今更ながらはっとしてそこまで想像もしていなかった浅慮を思わされました。