【短編小説】恋なんて(『恋の花』トリビュート小説)
結婚しても、あんたはまだ恋してるんだよ。
■あらすじ
女友達と会うと、必ず夫のグチを聞かされる私。
笑顔で話を聞いているけど、心の中では……。
吉井和哉『恋の花』
から着想を得た短編小説。
愛は両思い、恋は片思い。
って言ったのはだれだっけ。
その理屈でいけば、今あんたがしているのは、間違いなく恋だよ。
別に、今に始まったことじゃない。あんたは昔から、恋に恋しちゃうタイプだった。
告白するのは決まってあんたから。ふられるのも、いつもあんたの方。理由はだいたいみんな一緒。「重すぎる」って。そうはっきり言っちゃう男も、言葉を濁す男もいたけど、とにかく、みんなあんたにビビって逃げてった。
あんたはいつも、ほれたらとにかく尽くしまくるでしょ。それこそ宗教かってレベルで、自分の骨身まで全部捧げたくなっちゃう。部屋はいつだって愛しのカレとの写真で埋め尽くされていた。写真だけならまだ許す。でも、カレがクレーンゲームで取ってくれたぬいぐるみのタグとか、初めて一緒に行った映画館で食べたポップコーンの紙容器とか、思い出という名のゴミまで後生大事に飾っているのは、さすがにどうかと思う。あんなの見せられたら、つき合ってなくたって引くよ。
そうしてカレがあんたの重さに気づいて離れていったあと、あんたは決まって私の家に押しかけてくるんだ。平日だろうが、夜中だろうが、お構いなしに。うちの前に来る頃にはマスカラが流れて頬に黒い筋ができているから、私はあんたを家に上げるしかない。
「別れるなんてヤダ」
「こんなに大好きなのにぃ」
「もう生きていけない」
とかなんとか喚きながら、あんたは過呼吸になるまで泣き続ける。私はそんなあんたに励ましの言葉をかけ、背中をさすり、ティッシュを供給し続ける。あんたがすっきりして泣き止むか、泣き疲れて眠るまでつき合うしかない。
でも一週間もすればあんたは、はつらつとした顔で「あー、恋がしたい!」なんて言うようになる。ここまでがワンセット。
そんなあんたが結婚するって聞いた時は、本気で驚いた。
え、大丈夫? そいつ、あんたの部屋を見てないんじゃないの? って心配になった。
そうこうしているうちに、あんたは新しい愛の巣でカレとくらし始め、大々的に結婚式もやった。式で見たあんたのカレは、あんたの好みのどストライクだった。陽キャのラガーマンタイプで、人生のプライオリティの頂点は筋肉と友情ですって感じ。私はますます心配になったよ。
でもあんたはあっさり妊娠して、産んだ子を連れて私と会うようになった。ひとりの時はうちに押しかけてきたけど、妊娠してからのあんたは、電話で私を呼び出すようになった。
今日はあんたの家の近くのファミレスで集合。
テーブルに固定するタイプのベビーイスに、もうすぐ一歳になる息子のお尻を押しこんで、離乳食を食べさせる。あんたがスプーンですくったゲロみたいなペースト状のものを、息子はむしゃむしゃと口に入れていく。けれど、もぐもぐするうちに半分以上が口からこぼれていくものだから、私の頭の中ではずっと、クッキーモンスターがクッキーをむさぼり食う時の声が再生されていた。
場所が変わっても、話す内容は、昔と同じ。
「パパの帰りが遅くて、一緒にいられる時間が全然なくてさ」
「パパったら全然、育児やってくれないの」
「最近なんか、パパが冷たい気がして」
パパが、パパが、パパが……。
あんたは妊娠した途端「カレ」から「パパ」に呼び名を変えた。初めはあんたが「パパ」と口にするたびに鳥肌が立っていたけど、一日会うだけで百回以上の「パパ」を浴びせてくるもんだから、さすがにもう慣れた。
だけどここ数回は、ちょっとグチの中身が変わってきた。
「この間なんかね、パパのスーツのポケットからレストランのレシートが出てきたの。表参道にあるパスタのお店でね、ちょっと前に私が、今度行ってみようよって話したお店なの。パパに聞いたら、一緒に行く時のために下見したって言うのね。でも、どう見てもひとり分の量じゃなかったの」
私は神妙な顔でうなずいたり、あいづちを打ったりしていた。けど、あんたが話し始めてわりとすぐ、もう答えは出ていた。
それ、ヤッてるよ。確実に。
パパの会社の位置的に、昼休憩とかでふらっと寄れる場所じゃないし、帰り道とも真逆。そもそも、あの筋肉バカが糖質の塊であるパスタなんか、ひとりで食べに行くはずがないでしょうが。それに、あんた前回も言ってたじゃない。パパが新しい下着や靴下を買ってきたって。今までは全部あんた任せだったのに。その前は、家の中でもスマホを手放さなくなったって言ってた。トイレにまで持っていくって。それって、もうビンゴでしょ。縦、横、斜め、そろっちゃってるでしょ。
でも、あんたは絶対認めないんだよね。
パパのこと、大好きだから。
だから当然、自分もパパに愛されてるって信じてる。
結局、結婚しても、あんたはまだ恋してるんだよ。
だからあんたは決して、自分から別れを切り出すことはできない。
パパは、そんな「理解あるいい妻」であるあんたを利用して、これからも外で別の相手と会い続けるだろう。
そんな男、さっさと捨てちゃえばいいのに。
あんたと会うたびに私はそう思うけど、口には出さない。
あんたはどうせ、聞きたいことしか耳に入れないんだから、言ったって無駄でしょ? 昔のカレの時に何度か言ったことあったけど、あんたは見事に聞き流したもんね。
「そっちは最近どうなの? いい人はいないの?」
パパのグチを言ってすっきりしたのか、あんたはテーブルに頬杖をついて私の顔をじろじろと見る。私の反応から本音を探ろうとしているのだろうけど、残念ながら、表情を隠す技は私の方がずっと上手だ。年季が違うんだよ。
「いないねぇ。今の仕事、出会いないんだ」
「えー、本当にぃ?」
「あんたにそんなこと隠してどうすんのよ」
「それもそっか」
あんたは私の嘘をあっさり信用する。本当に、ちょろすぎる。
「大丈夫だよ。すぐいいカレ見つかるよ。こんなふうに親身に話聞いてあげたら、男の人なんかすぐころっといっちゃうよ」
あんたは前のめりになって私を励ます。私は「どうかなぁ」と笑って、適当に受け流した。
そうやって、あんたはすぐに恋の上級者ぶる。ふられたり裏切られたりするたびに、私に泣きついてくるくせに。
息子が突然、甲高い奇声を上げた。俺の存在を忘れるんじゃないとでも言うように。ぬいぐるみみたいな短い腕で、テーブルをバンバン叩く。そんなわがままな王子様を、あんたはひょいと抱き上げる。
「お腹いっぱいになったら元気もいっぱいになったねー」
あんたが顔を近づけると、丸顔の王子様も顔をくしゃっとさせて笑った。
食事する間も、パパのグチを言う間も、あんたは離乳食を食べさせたり、よだれを紙ナプキンでぬぐったり、腕に抱いてゆらゆらと揺らしたり、常に王子様の世話を焼いていた。今の今までパパのグチを言っていたのに、王子様に向き合った途端、あんたの顔にはぱあっと花が咲く。
せめてその子は、あんたのことを愛してくれるといいね。
あの男の遺伝子が混ざってるって思うと身の毛がよだつけど、子どもに罪はない。
それに、あんたの献身に応えてくれる人がこの世にひとりくらいはいないと、さすがにあんたが気の毒だからね。
恋のしんどさは、私もよく知ってる。
ほれた相手ののろけ話を聞くなんて自虐プレイを十年以上続けてるんだから、私も相当だよ。
傷つくってわかっているのに、私はあんたを家に上げてしまう。呼び出されれば、のこのこ足を運んでしまう。
そして延々とあんたのグチを聞いて、あんたの運命の相手はまだ現れていないことを確認して、安心する。自分のものにならないなら、せめて、だれのものにもならないでくれと願ってしまう。
あ、誤解しないで欲しいんだけど、あんたには幸せになって欲しいと思ってるよ。本当に、心の底からそう思う。好きな相手の涙なんか見たくないよ。
だけど困ったことに、あんたが一番輝くのは、恋してる時なんだ。
だから私は、あんたの恋を全力で応援する。どう贔屓目に見ても実る見込みがない恋だったとしてもね。それに恋に敗れたら、あんたはまた、私の腕の中に飛びこんできてくれるし。
そしてあんたが帰ったあと、私は自分の性格の悪さに自己嫌悪する。ここまでがワンセット。
あんたに出会ってから、そんな相容れない感情に、ずっと振り回され続けている。
まったく、恋なんてするもんじゃないよ。
〈了〉
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