【短編小説】あの日植えた種(『球根』トリビュート小説)
この子には私しかいない。私が守らなければ。
■あらすじ
戦争で家族亡くし、若くして領主となった少女。
やがて母となった彼女は、ようやく訪れた平穏な日々をすごしていた。
しかし干ばつで深刻な食糧難となり、もうじき産まれる孫の命も危ぶまれていた。
THE YELLOW MONKEY『球根』のトリビュート小説
最初に死んだのは母だった。もともと体が弱かったこともあり、砂で肺を悪くしてからはあっという間だった。
母の喪が明けないうちに、西の隣国との戦争が始まった。もう二十年以上にらみ合いが続いていたが、休戦協定を破った隣国が国境を越え、近くの集落を襲った。これをきっかけに王は隣国への進軍を指示。私たちのいる領地は戦地から外れていたため出陣の必要はなかったが、兄は義勇兵として参戦した。領主の長子、つまり父のあとを継ぐ存在である兄にもしものことがあっては困ると皆が止めた。もちろん父も私も。だが大義に燃える兄の意思は堅かった。
「今戦わなければ、いずれここも戦場になります。王のために戦うことは、領地を守ることにつながるのです」
しかし戦闘がひと段落して一時帰宅した兄は、人が変わったように「この戦争はなにかおかしい」と繰り返すようになっていた。
「襲われた集落を見た。住人は皆殺しで、建物は焼き払われた。でも、おかしいんだよ。焼け跡に残ってるのは馬の足跡だけなんだ」
兄の話では、西の隣国の兵士は馬ではなくシカに乗って戦うのだという。
「もしかしたらこの戦いは必要ないのかもしれない。僕はそれを確かめたい」
そう言って戦場へ戻っていた兄は、すぐに遺体となって帰ってきた。最前線に送られ、シカに乗った兵士に矢で射殺されたそうだ。
彼は勇敢に戦った。大人たちはだれもかれも、弔意とともに賛辞を口にした。まるで兄の死が有意義なものであったとでもいうみたいに。私はそれがどうしても我慢ならなかった。
死に意味なんかない。優しかった兄はもう帰ってこない。私にとってはそれこそが真実だ。
けれど、それを口にすれば父を困らせることになる。だから私は、我慢してひたすら感謝の言葉を返す従順な娘を演じた。
兄の葬儀が済むと、父は私に仕事を教え始めた。それまでは兄がやっていた仕事だ。父はどこへ行くにも私を同行させて、仕事を教えながら方々に私を紹介して回る。そのときに相手が私に向ける目は、いつも同じだ。兄のイスが空いたから、しかたなく妹をあてがったのだな。そんな哀れみと蔑みのこもった目で私を見る。
私自身もまた、自分が次の領主となる実感も持てずにいた。早すぎる兄の死を、まだ受け入れられていなかったのだ。
そんな私を、父は一度だけ諭した。穏やかに、まっすぐに私の目を見て。
「生きている限り私はお前を守るし、死んだあとは家名がお前を守るだろう。だが家名はお前をしばりもする。私の死んだあと、家名と領地をどうするかはお前の自由にすればいい。そのときに悔いのない選択をするために、今は経験と知識を蓄えなさい」
父の言葉は、私の中でくすぶっていた居心地の悪さをきれいに整頓してくれた。私が兄の仕事を引き継ぐことに後ろ向きだったのは、私が兄にとってかわる準備をしているように感じられたからだ。だが父は、兄のかわりとしてではなく、将来の私自身のために色々教えてくれようとしている。そう考えたら父の期待に応えなくてはという思いが芽生えてきた。
それまで兄がやっていたのを離れたところから見ていたのもあって、仕事の要領を掴むまでそう時間はかからなかった。
夫に出会ったのも、父に同行した会食の席だった。まだ兄の喪中だったが、父の意向で、内々で小さな式を挙げて私たちは結婚した。
その後、父の読み通り戦況は悪化し、国土の西側からじわじわと隣国に攻めこまれていた。父は領地の兵士を連れて出陣し、激戦の末、防衛ラインを少し押し戻した。しかしその戦闘で受けた傷が原因で、帰還した数日後に命を落とした。
そして私は領主となった。
父の指導のおかげで、実務面で大きな混乱はなかった。しかし血を分けた身内がもうだれもないという事実は、私を打ちのめした。父の出陣前に心の準備だけはしておいたつもりであったが、いざ失うと、そんなものなんの意味もなさない。日中は周囲の目があるので気をはっていられるが、その反動で、ベッドに入るたびにわけもわからず涙があふれてきた。
そんな私を支えてくれたのが夫だ。ただそっとかたわらに寄り添って、私の涙をぬぐい、ときには一緒に泣いてくれた。悲しみに抗うのではなく、そのまま受け止め、彼の体温で徐々にとかしていくように。いつしか私は、夫の鼓動を聞けば自然と眠りにつけるようになっていた。
父の善戦により戦況はしばらく安定したが、また押しこまれ、再び私たちの領地から兵を出すよう国王軍から要請が来た。
今度は私の番だ。そう覚悟を決めた矢先、妊娠がわかった。
兵士だけ出して領主が出陣しないわけにはいかない。だから私は妊娠をだれにも言わなかった。まだ腹も目立つほどふくらんではいなかったので、甲冑で十分隠せる。そう思っていた。
しかし夫はすぐに私の変化に気づいた。そして、私のかわりに自分が戦場へ行くと言いだしたのだ。
「君は仕事は領地を守ることだろ。僕の仕事は家族を守ること」
私が何を言っても、夫は引き下がらなかった。そうこうしているうちに私はつわりで日常業務すらままならなくなってしまい、周囲も夫の出陣に賛同するようになった。
出兵の前夜は、なかなか眠れなかった。この手を離したら、夫はもう戻ってこないような気がして、怖かったのだ。
引きとめようとする私をあやすように、夫は私の額に優しいキスをする。
雨が窓を叩く音の中、私たちはベッドの中でじっとおたがいを抱き合っていた。
夫が帰ってきた日も、雨が降っていた。
夫にかけられたクロスはしっとりとぬれてはりつき、彼のきれいな鼻筋がよくわかった。
私は動かない夫の前で、ただただ立ち尽くした。
涙は出なかった。この数年で立て続けにやってきた別れのせいで枯れ果てたのかもしれない。
そこにはただ、絶望があるだけだった。
愛した人がすべていなくなってしまった悲しみは再び私を打ちのめしたが、同時に強くもした。
この子には私しかいない。
私が守らなければ。
そうした使命感を強くいだくようになっていた。
娘が産まれてから、その想いはさらに大きくなっていく。
喪失感は消えることはなかったが、腕の中で眠る娘の顔を見ていると、それを超える多幸感で満たされた。
だから、再び隣国が攻勢を強めてきたときも、戦う覚悟はすぐについた。このまま手をこまねいていれば、私たちの領地は間違いなく隣国の手に堕ちる。
武器や物資で勝っているはずなのにこんなにも苦戦しているのも、そもそも戦争が始まったのも、あの若いぼんくら王が原因だ。
先代王は西の隣国と停戦協定を結び、長らく平和を維持してきた。その先代が崩御して現在の王が就任した途端に国境の集落の襲撃が起き、戦争へ突入した。戦いを好むくせに潮目を読む才覚はなく、周囲の言葉に耳も貸さないときた。兄と父が死んだのも、王の過大な要求に応えようと焦った軍が無謀な作戦に走ったせいだ。前線は敗走続きで指揮系統が混乱し、今回私のもとに出兵要請の伝令がきたのだって、戦場から飛んできた火の粉で領民の家が数軒燃えたあとだった。
あの王に任せていては、この戦争は負けるだろう。すでに数年に渡る戦いで兵も民も疲れきっている。一日でも早く終わらせなければならない。
とはいえ、勝機があったわけではなかった。戦場に出るのはもちろん初めてだったし、物資も十分とは言えなかった。それでも、手元にあるものでできる最善の策を考えた。
そこで、ひとつ思わぬ収穫があった。
私には戦術の才能があったのだ。
後退するふりをして隣国を谷に誘いこみ、奇襲をかけた。結果、敵の大隊を壊滅させることに成功した。それは幼いころによく遊んでいたボードゲームで、何度も兄を打ち負かした戦術だった。教えてくれたのは母だ。
そのあとも、私が立てた作戦は次々に戦果を上げ、勢いに乗った味方の軍が一気に西の隣国へ攻め入り、首都を掌握。あれほど泥仕合が続いていた戦争は、隣国の降伏であっけなく幕を下ろした。
ようやく平穏が訪れた。戦いの爪痕は領地にも領民にも残っていたが、これ以上悪くはならないという安心感が、私たちを前へ進ませてくれた。
戦いは私たちからあらゆるものを奪い去ったが、新しい友も生んだ。
隣の領地をおさめる領主は、この戦争がきっかけで交流が深まったひとりだ。私の作戦に反対する者たちを説得し、自ら最前線に立ってくれた戦友だ。
だからその領主に息子が産まれたときは、我がことのように嬉しかった。娘とも仲がよく、会うたびに一緒に屋敷や庭を走り回って遊んでいる。
「将来は伴侶に、なんてことになったらおもしろいかもな」
うちの屋敷の庭でお茶を飲んでいたら、領主が突然そんなことを言いだした。
「何を言いだすかと思えば」
「もちろん、本人たちにその気があればの話だぞ」
「どうだろうね。うちの娘、ありゃかなりの面食いだよ」
「まいったな。うちの倅は内面勝負なんだが」
「でも、そうなったら確かにおもしろいね」
「そうだな」
そんな冗談とも本気ともつかない会話を、私たちは楽しんでいた。十年単位の未来の話ができるのも、戦争が終わったからこそだ。
「姐様、父上! 来てください!」
坊が血相変えて走ってきた。さっきまで娘と一緒に遊んでいたはずだが、今はひとりだ。なにかあったのかと思ってついていくと、庭のすみに娘が座りこんでいた。そこは娘用に与えた小さい畑で、獣かなにかにひどく食い散らされたあとだった。
「お母様、どうしよう。全部ダメになっちゃった……」
涙目になった娘を私は抱き寄せる。
「残念だったな。せっかく育てたのに」
娘が自分で種から育てていたスイカは無惨な姿になり果て、赤い果肉をそこら中にまきちらしている。ざっと見回してみるが、どうやら全滅のようだ。あと数日で収穫できると話していたのだが、先を越されてしまったらしい。
「また植えましょう!」
そう声を上げたのは坊だった。
「だってほら、種がいっぱい残ってる」
確かに、かなり雑にかじってあるので種を集めればそこそこの数になりそうだ。
しかし娘は、私の腹に顔をうずめたまま首を振る。
「でもきっとまた食べられちゃう……」
「そしたらまた植えればいいんです。俺も手伝います」
坊は砕け散ったスイカの破片から種を拾い始める。しばらくそれをぼんやり見ていた娘だったが、やがて涙を拭い、自分で種を集め始めた。ふたりで手分けして種を拾ううち、娘の顔にもだんだんと笑顔が戻ってきた。
そんなふたり見守りながら、領主が私に耳打ちする。
「ほらな。内面ではいい勝負してるだろ?」
それから数年して、領主の訃報が届いた。
あれほど過酷な戦争を生き延びた男が、はやり病でこうもあっさり死んでしまうなんて信じられなかった。
領主となった坊は葬儀の席で、弔問に訪れた戦友や近隣の領主に対してしっかりとあいさつしていた。さすがに気をはっていたようで、葬儀が終わったころに屋敷に顔を出すと、坊は広間のすみでイスにもたれていた。テーブルに用意されたお茶は、手つかずのまますっかり冷めている。
私に気づいて立ち上がろうとする坊を手で制し、私も隣に腰を下ろした。
「疲れたろう」
「そうですね。堅苦しいのはやっぱり苦手です」
「立派になった息子に見送ってもらえて、きっと喜んでいるさ」
「だといいのですが」
力なく笑う坊の顔には、疲れと寂しさがにじんでいた。無理もない。まだ父を亡くしてから数日しか経っていないのだ。私はそんな坊を強く抱きしめる。
「なにかあれば私を頼りなさい。遠慮なぞするんじゃないよ」
おそらく今日だけで何十回も聞いた言葉だろう。だが私のは社交辞令でもなんでもない。坊が困っているなら、なんだってするつもりだった。
私が父を亡くしたときは、領主としてやらねばならぬことが山積みで、悲しみを整理する間もなかった。坊は、そのときの私よりもさらに若い。大人ですら重たいと感じるこの責務が、少年の肩にはどれほど重圧となるか。経験のない者には想像できまい。
「ありがとうございます。姐様がいてくれてよかった」
坊はさっきよりも力の抜けた顔で微笑んだ。
私を屋敷の出口まで送る途中、坊が私に訪ねた。
「同じ領主の目から見て、父はいい領主でしたか?」
「ああ。最高の領主であり、最高の父だ」
「俺は、たぶん、父のようにはなれません」
坊の暗い顔を、私は鼻で笑い飛ばす。
「当たり前だ。親と子は別人だ。同じであるわけがなかろう」
私も領主になったばかりのころは、何しても父と比較された。違うことをすれば「先代のほうがよかった」と言われ、同じことをしても「先代のほうがうまくやった」と言われる。今思えば無理もない話だ。私自身が、父はどうしていたかをまず考え、その上で踏襲するかやり方を変えるか、という選択をしていたのだから。自分と父は別人だと開き直ってからは、そうした文句も徐々に減っていった。
「立派だと思うところは真似たらいい。だがそれでうまくいかなくても、父のせいにするでないぞ。すべては己の決断だ」
私も他人の手本となれるほど立派な領主ではない。だが父が、領主になる準備をするための時間をくれた。領主になる覚悟を兄がくれた。母が人生を、夫が娘をくれた。私はそうやって、周りの人たちから色々なものをもらいながら生きてきた。でも進む道を決めたのは自分だ。もらったものを無駄にしないために、私はこれからも自分の足で進み続けなくてはならない。
返事が来るまで少し時間がかかった。やがて坊は「はい」と深くうなづく。
父親によく似た、精悍な目をしていた。
結局、伴侶の話はただの与太話で終わった。
年頃になった坊は異性よりも旅にご執心で、そうこうしているうちに娘は他で意中の相手を見つけてきて結婚した。
もちろん、式には坊も出席した。娘の晴れ姿に感極まった私に、そっとハンカチを貸してくれた。
そんな娘が、もうじき親になる。
妊娠の知らせを聞いてすぐ、私は娘婿と一緒に子ども部屋を準備し始めた。それから、娘にはスプーンより重たいものを持たせるなと、屋敷のすべての使用人に厳命を出した。さすがに少しはりきりすぎだと娘にたしなめられたが、それくらい、孫に会えるのが楽しみで仕方がなかったのだ。
それなのに、なぜこうなった。
ベッドで横になった娘は、大きくなった腹を苦しそうに上下させている。医者が投与した薬でひとまず容態は落ち着いたが、予断は許さない。
「滋養のあるものを食べさせて、これ以上、体力を落とさないようにしてください」
医者はそう言うが、滋養のあるものなど領地のどこにも残っていなかった。
その年の雨季は珍しく雨が少なく、作物はのきなみ不作。深刻な食糧難となっていた。今はまだなんとかなっているが、乾季の分の食糧が備蓄できていない。このまま日照りが続けば、乾季に入ってすぐに食糧が底を尽きる。近隣の領地はどこも同じような状況で、民は皆、食うや食わずの日々をすごしている。使者を出して、干ばつの影響を受けていない地域へ食糧を買いに行かせたが、なにせ遠いので帰ってくるまで時間がかかるし、行った先に食糧の余裕があるかどうかもわからない。
手はすべて尽くした。
あとはもう、祈ることしかできなかった。
このままでは娘も、まだ生まれてもいない孫も、どちらも失ってしまう。
領地も領民も守れない。
せっかく戦いが終わったのに。
もうなにも亡くしたくないのに。
ベッドに入るたび、自分の無力さに押し潰されそうになった。
けれど、涙を拭ってくれる夫はもういない。隣に手を伸ばしても、シーツの冷たさを感じるだけだ。
そんなとき、予期せぬ来客があった。
「姐様。ご無沙汰しております」
馬車から荷物を下ろしていた坊が、私を見つけるなりはつらつと笑う。坊が来るときはいつもひとりだ。馬を操るのも力仕事も、なんでも自分でやってしまう。うちの使用人が慌てて荷下ろしを交代したときには、もうほとんどの荷物を下ろし終わっていた。
ひらりと荷台から降りた坊は、旅土産だという荷物の中身をひとつずつ私に説明していく。旅先で娘の容態がよくないと聞きつけ、滋養強壮に効くあれこれを買ってきてくれたのだという。それから、領民への食糧も少し。
「遅くなって申し訳ありません。少し前に旅から戻っていたのですが、この干ばつで領地からなかなか離れられなくて」
食糧に不安が出始めたとき、最初に助けを求めたのが坊のところだった。ところ肝心の坊は旅で領地を空けていて、屋敷の執事に伝言を頼むことしかできなかった。帰りの道すがら領地の様子を見たが、うちほどでないにしろ、干ばつの影響は確実に出始めていた。これは坊が帰ってきても支援は期待できないな。そう覚悟していたからこそ、思いがけぬ来訪に私は感動に打ち震えた。
「本当に助かるよ。お前のところだって大変だろうに。なんと礼を言ったらいいか」
「では、その礼はもう少し取っておいてください」
坊はそう言って、荷台から下ろした最後の木箱の前に私を連れていく。
「以前の旅で持ち帰ったものを、うちの農場で育てていたんです。この乾燥でもよく育ちました」
坊が木箱にかかっている布を外す。木箱にぎっしりと、イモが詰まっていた。
穴を掘る。
堀った穴の中にイモを入れ、上から優しく土をかぶせた。服の裾が土に触れて汚れるのを見た使用人には呆れ顔をされたが、どうしても自分でやってみたかった。
坊の説明では、ひとつの種イモから十倍程度のイモが新たに収穫できるらしい。もしそうなら、食糧事情はかなり回復するだろう。そんな期待もあって、広い畑で作業する農家たちの声にも活気がある。
採れたイモをまた埋めて、次も埋めて……そうやって、乾いた大地を緑で覆い尽くすのだ。孫が大きくなるころには、この地に降り注いた悲しみなどすべて養分となって消えているだろう。
そう願いをこめて、私はひとつずつイモを植えていく。
私がようやくひと畝植え終えたころ、農家たちは農場をほぼすべてに植えつけを終えていた。さすが、本職は手際が違う。
手についた土を払い、固まってしまった腰をそらす。
空を仰いだ頬に、ポツリと、雨粒が落ちてきた。
〈了〉
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