ハドソン川の奇跡
自分を信じ切れるか?
自分の隣人を信じ切れるか?
自分の愛する者を信じ切れるか?
普段は信じ切れるだろう。
逆境に陥った時、人はそれが可能だろうか?
2009年1月15日、ラガーディア空港発シャーロット空港行きのUSエアウェイズ1549便(エアバスA320、コールサイン:カクタス1549)は離陸直後、巡航高度に向かう途中に鳥の群れに接触し、鳥がエンジンに吸い込まれ、両エンジンが機能停止してしまう。
1549便の機長チェスリー・サレンバーガー(愛称サリー)と副操縦士のジェフ・スカイルズは、推力を失った機体を出発地ラガーディア空港に引き返えそうと試みるが、高度が低すぎたため絶望的であり他の空港にも着陸は不可能と考えたサリーは、やむを得ず眼下に流れるハドソン川に機体を着水させることを決断。
サリーの巧みな操縦により着水の衝撃で機体が分解することもなく、またクルーの迅速な避難誘導や救助が早かったことなどもあり、大型旅客機の不時着水という大事故ながら、1人の死者も出さなかった。
このニュースは全米はおろか世界中で「ハドソン川の奇跡」と銘打たれ、サリーは一躍ヒーローとなる。
しかし後日、NTSBの事故調査委員会の調査によりシミュレートを行った結果、1549便はラガーディアにも他の空港にも着陸が可能だったという報告を突き付けられた。
サリーとスカイルズは「あり得ない」と否定するが一転、二人は疑惑の人物となってしまう。議論の場は公聴会で行われることとなり、サリーはある要求を同僚に頼む。
果たしてサリーの行動は正しかったのか、それとも乗客の命を危険に晒す行為だったのかが明かされていく。
イレギュラーなことが起こった時、人は瞬時に決断を迫られる。
この瞬時は、状況とケースによって長さは変わるだろう。
しかし、その場においての瞬時でなければ取り返しがつかなくなる。
そして、後から物事を検証する人物は表面上の事柄だけで見ていく。
ここに現場とのギャップが生まれる。
これはどの業界でも一緒かもしれない。
解説者などはその最たる者だと僕は思っている。