【自分語り】ひできずむさんを祝いたいのよあと4日【むかしばなし編】
やほこやほこの挨拶も板についてきたわね(?)、どうもごきげんようGAViiのあさやけぐもです。
タイトル通りよ。今日も。
って言われてもわかんないわよね、今日は自分語りをしようと思います。
あたしに興味がなかったら読まずに食べて頂戴。美味しい?ってたくさん聞くわね♡(をい
ひできずむさんを祝うのをとうとう諦めたとかではなくて、ちゃんとお祝いになってるかはともかく、これはひできずむさん宛のファンレターのボツ原稿かもしれないわね。
ファンレターで重いこと書くのはありだと思うけど、もらったはっぴーを返すためにファンレターを書くんだと思ってるから、あんまり書かないようにしてるのよ、ちょっとしんみりするようなこと。でも言うてそこまで暗い話じゃないわよ?w
noteではディープな話をしようって私は決めてるから、そう言う意味ではここでいいんじゃないかなって思ってるわ。
嫌な予感がしたり、面倒になったり、飽きてきたら容赦なく読まなくていいわ?
私が言いたかっただけ。
ひできずむさんに、エンガブさんに、ありがとうを。(今言ったから本文は読まなくても大丈夫ね!)
泣かせに行くとかそう言うつもりはないけれど、私は話を大袈裟にする癖があるから話半分に聞くといいわ。そうすると読みやすいわよ。あと、記憶力がザルだから深く考えると良くないわよ!笑。あと、私は過去を振り返らない主義だから時系列ぐちゃぐちゃよ。諦めなさい♡
それでは、れっつごー!!!(その始まり方でいいのかおい
私の憧れ。
憧れるひと、を聞かれたら真っ先に『小公女』の主人公セーラを浮かべるのがわたしでした。優しくて誰にでも朗らかに親切で、自分のことよりも他人を尊重できる、そんな姿がわたしの憧れでした。今も、そうです。
わたしが初めて彼女に出会ったのは講談社青い鳥文庫から出ているバーネット/作、曽野綾子/訳、藤田香/絵の『新装版 リトルプリンセス-小公女-』でした。
そのセーラはたいへん上品な話し方をする少女で、いつも柔らかな物腰に芯の強さを持っていて、わたしはその話し方にたいへんな憧れを覚えました。
いつも相手を「お前」と呼び、どこで覚えてきたのと言われる話し方をする自分を、わたしはほんとのところ嫌いではありませんでしたし、わたしの小学校ではわたしの話し方はちょうどよかったのです。もちろん、わたしほど荒っぽく話す女の子は少数派でしたが。
今も、そんな話し方をしますし、その方が楽ではあります。初期のエンガブさんを思い浮かべていただいて、さらに毒舌と皮肉っぽさと卑屈さ(これが一番成分多め)を足していただければ当時のわたしがたやすく想像できるかと思います(エンガブさんを貶す気はないですし、あれはあれで好きです)。今は、そこまで棘のない話し方をしているつもりですし、セーラに出会った頃に比べればかなり明るくポジティブになるよう努めてきたつもりです。自分の思ったことを否定し、真逆の色を塗って身に纏う作業は初めは苦戦しましたが、もう今はごく自然にそう考えているかのようになったと自負しております。昔のわたしは飛行機に乗る知人がいれば落ちるんじゃないかしらと真剣に考えて乗るのをやめたらと激しく迫り、なぜ飛行機などにわざわざ乗るのかと問い詰めるような、狭い見方しかできない人間でした。今は、そうとは思いませんし、楽しんでねと笑顔で言ってお土産を請求すると思います。それはそれでどうかと思いますが、こういうキャラクターは受けが良いなと少し思っている節がありますし、わたしはそういう性格の方がかなり好きで、そうなれるよう努めてきた結果と言えます。
話を戻しましょうか。
卑屈で根暗な少女は、人好きのする親切で上品な、自己犠牲の精神に溢れるセーラに真剣に憧れました。若草物語にも憧れて、さばさばした性格のジョゼフィン・マーチにも憧れました。だからわたしは、暗くてつまらないねちっこい性格の自分を変えて、みんなに好かれようと思ったのです。今思えば、そういう性格の人も素敵なところはあって、よいと思えます。でも、あの頃のわたしは自分と天と地ほどもかけ離れたセーラに憧れて、どこかにいると信じて疑わなかった少女の真似をしたいと思いました。そうしたら、すこしでも近づけると思ったから。
結局のところ、出会って数年経ち、中学生になり、わたしは自分を変え始めました。
丁寧な話し方は、どうやってもわたしのキャラと合わなくて、断念しました。
優しくする、がわからなくて随分と迷走しました。
結局まだ、優しいがなんなのかはわからないままですが、すこし成長したわたしは焦らなくていいやと一生かけて優しい人になりたいなどと思っています。そう、思えています。
親切、は空気の読めないらしいわたしには難しいお題でした。
全てが空回りしてしまうことに気がつけて、わたしは察するよりも人に聞くことを覚えました。
人のやることを見て、次の行動を予測してみたりするのが楽しみ兼練習になりました。
まだ、親切というものはうまくできなくて勇気も出なくて、結局わからないままだけれど、いいなと思った人の行動をよく見て真似すればいいとわかるくらいにはなっています。
むかしからやっていた人の顔色を伺う癖は自然と板についてしまっていました。
自己犠牲は空回りしてしまえば奇妙な行動でした。
自信がなくなっていました。
そんな自分を鼓舞するためにわたしは自分のことを例の人工的なポジティブさで褒め称え始めました。ひとはその姿を見て笑いました。
わたしはそれを見て、嬉しいと思いました。
人を笑顔にできるひとに憧れがあったからです。
冗談を言うのは加減が必要で、他人をいじるのはじぶんはあまりうまくない方だと知りました。自分をこき下ろすと、ひとは面白がると言うことを、いつしかわたしは学んでいました。滑稽なキャラクターはいつの世も人気でした。
わたしは、人に嫌われるのがすっかり怖くなっていました。
だからわたしは、道化師のように大袈裟な仕草と、バカすぎるほどのポジティブさを身につけました。
明るく、ばかで、変なことをいつもしている変わった少女が出来上がりました。
それが悪いことだとわたしは思っていません。
それが、わたしの生き方だから。
嫌になる日があっても、楽しく生きられるから。
かき消されたわたしは自分のことを褒めちぎり大好きな自分が心底気持ち悪くて嫌いになりました。かき消されたわたしは、笑顔でばかをやる自分を愚かだと貶しました。
そんなぐちゃぐちゃな自分を、わたしの中にいる「だれか」は嫌悪しました。
そんな時に、ヒーローといえるひとに出会いました。
そのひとは、とても輝いていて、楽しそうに自分のことが好きだと話し、こちらに向かってポーズを決め、表情をころころと変え、人を傷つけずに人を笑わせられ、楽しそうに美しく微笑むのです。そして思い切り口を開けて笑う姿は、心底楽しそうで、とても美しく映りました。
自分を好きでもいいんだ。そう思い、救われた気がしました。
毎晩、ひとり鏡の前でいろんな表情が見たくてポーズを決め、怒ってみせ、驚いてみせ、笑ってみせ、悲しげな顔をしてみせていたわたしは、自分が好きだと笑い、自分のことを綺麗だと信じてポーズを決めてもいいんだと思えて、救われたのです。
しかも極め付けがありました。
そのひとは、とても上品な言葉を紡ぎました。なのに、現代社会で浮かないのでした。
わたしは、目から鱗が落ちたような気持ちでした。
その日から、わたしはそのひとの言葉を真似するようになりました。そのひとと一緒に画面の中で輝くふたりの言葉を真似するようになりました。
綺麗な言葉を、軽やかに使う3人は、わたしの中でさながらスターのようでした。
いいなと思ったら取り込む習慣はこの6年近くですっかり板についていました。
わたしは、同じように上品な言葉を自分なりにすこしアレンジして使い始めました。
それは、丁寧になったねと言われ、褒められることはあれど、変わってるねと笑われることはあれど(これに関しては、わたしらしい、という意味でもあるのでわたしは嬉しかったです)、けなされることはありませんでした。
わたしは、自分のことを好きな自分が好きになれました。
そのひとは、わたしの憧れです。
そのひとは、優しくて、美人で(なにせわたしは顔の綺麗な人にとても弱いのです)、キラキラとして見えます。
わたしは勝手に、そのひとと自分を重ねて自分を鼓舞することが増えました。
自分がその人だったらどうするかしらと考えるのが好きになっていました。そのひとになりきって鏡の中で真似をする時間がちょっとした日々の幸せになりました。
でも、わたしはその人が人間であることを知っていますので、セーラのように遠くないことを知っていますので、わたしはそのひとに理想像を押し付けたくないと思っています。ここまでこんなことを書いておいて調子がよすぎるのかもしれませんが。なにせほんとのところ、わたしは結局、そのひとのことを憧れ以前にとても好きなのです。
だから、そのひとが、生きたいように、楽しく幸せに生きていればわたしは嬉しいのです。
わたしは、あなたに出会えてよかったと心の底から思っています。
おかげで毎日が楽しくて、悩むことがもうずっとほとんどなくて、落ち込んだらそのひとの笑顔を見にyoutubeを開けばいいのです。
そうしたら1時間も眺めているうちにわたしは元気になれてしまうのです。
ほんとうに、そのひとはわたしが感謝してもし足りないほどわたしの人生を照らしてくれるひとで、とても素敵な方です。
ありがとうございます。
そのひとが、どうしてもわたしの特別です。
この先何があってもそのひとのことが好きでいられる自信があるのは、もしかしたら救ってもらった恩義があるからかもしれません。でも、きっとそれ以上にただ惚れ込んでしまっただけだと思うのです。あなたが素敵すぎて。
言うほどじゃないとか、神格化しないで欲しいとか、思われるかもしれませんね。
でもね、言うほど、輝いて見えたんですよ。わたしには。
救いの女神様でヒーローで、推しだなんて、背負うものが薔薇だけの王子様よりも随分と色々背負っていそうですね(わたしの頭の中ではたまに仏像やキリスト教の宗教絵画にあるような後光の表現が見えるくらいです笑)。
大好きです。
ありがとう。
ありがとう、ございます。
重たいことを書いたけれど、あまり気にせず好きにやってくださいませね。
わたしは、結局のところあなたが好きってだけなんです。
ありがとう、大好きです。
今日も美人ですね。
あなたの笑顔が好きです。
ひできずむさん、あなたはわたしの憧れで、推しです。
どんなあなたも大好きです。
重たいし常日頃なにかとうるさいけれど、わたしはそんな自分が好きだって胸張って言えます。
ありがとうございます!!!!!!!
昔話は、こう締めくくるのが定番だそうですね。
こうしてひとりの女の子は、憧れのひとを見つけ、笑顔で駆け出しました。
めでたし、めでたし。
今の話。
この間、どなたとかは言わないけれど、ツイッターでGAViiさんに言われた台詞が印象的で、嬉しかったから、昔の私をいつか書きたかったんです。
「最初はマダムかと思った」って台詞が心底嬉しかった。
私ちゃんと上品そうに見えてたのねって思って(°∀°ミэ)Э
補足としては、私の書き言葉は主にママンがメインで教材でした。
ノリの良さと言葉遣いがいい感じで、ママンの書く文章がとても好きです。
カミュさんの「〜だわ?w」が結構ツボでよく使わせていただいています。
勿論曽野さんの描くセーラの言葉の数々も反映されているのですけれども。
ひできずむさんの「〜だかんねー!」がとても好きです、あとこれ。→💋(実は私の唯一使う絵文字です)
正直なところ、曖昧な記憶が多くて、矛盾も多いかも(°∀°ミэ)Э
深く考えずにさくっと読み飛ばすくらいがいいのかもしれないわね。
って、最後に言っても意味ないわよってね笑笑。
ひできずむさん〜〜〜〜!!!!
愛してるわよーーーーー!!!!!!!!
あとね!ハイヒールが世界一似合うって思ってるわよ!
私もよろよろしないように履けるようになって、自分のことを世界一だって思うんだから!(そのときはひできずむさんは宇宙一ね?w)
今から体幹鍛えてハイヒール履きこなすんだわ?
いつか絶対生でお会いするから、その時は私を見てね!(なんて言う口の聞き方よ)(あとアピールが素直すぎんのよ)
それでは、ごきげんよう💋
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