RT数やいいねの数より大事なこと

さて、Twitterやnoteでも避けて通れない、RTやいいねの数、noteではスキの数、である。

SNSをやっているとRTやいいねの数に一喜一憂している人は多いのではなかろうか。私も単純に貰えるのは嬉しいし有難いと思う。

──有難う。私にとってはそれ以上でもそれ以下でもない。

この記事はそうしたRTやいいねを気にする方が、少しでも楽になるようなものになればなあと思っている。

まず、大前提としてTwitterのいいねやRTの数はタイミングによるとしか言い様がない。色々な人が沢山いるが世間では土日祝祭日が休みである事が多いだろう。その時に宣伝ツイートなんかすれば拡散されやすいと思う。あくまでされやすいかの話なので絶対ではない。

しかしながらSNSを使っているのは人間なのでどれも全ていいねやRT出来る訳では無い。興味のないものには反応しない。あ、これ嫌いだなと思ったら反応しない。

私はフォロワーだから作品を読む、作品にいいねする、買う、読む、というスタンスはしていない。好きか嫌いかで判断している。フォロワーだからといって作品が好き、とは限らない。人柄が好きだからフォローとか、ツイート面白そうだからフォローとか、合いそうだな、とか。繋がるきっかけなんてだいたいそんなものである。繋がろうタグを見て面白そうなら繋がるし、繋がってくれたら繋がるし、という軽いスタンスでSNSは使用している。

いいねやRTもだいたい同じで面白そう、良さそうとかそんなものである。人間の気持ちなんてこの様に浮ついてて一番あてにならない。

それよりも大事なことがある。

まず、コンテンツの充実だろう。作品を作るのが好きならそれを毎日でも落書きでも、小説なら定期ツイートの間にキャラ語りやこだわりとかでもいいからとにかくネットに上げることが大事だと思う。たくさんあれば留まる時間は多くなるからRTやいいね数は上げやすいと思う。私はどこの記事でも「実績こそ全て」と書いているが本当にそう思っていて、人に何かをしてもらうならまず実績を作る方が早いと思っている。そもそも白衣の医者とスーツの医者とTシャツ短パンの医者あなたはどれを信用するかと言っているようなものである。

本当に大事なことは続けることである。毎日投稿したらnote記事も30は溜まるだろう。魚とご飯がぶっきらぼうに置かれているよりも魚にお大根おろしが乗っていてお皿は白一色よりもワンポイントモチーフがある方がいいし味噌汁やおひたしなんかも添えられていて生卵があり暖かいお茶が並んでいる食事の方が美味しいと思わない?という話である。

いいねやRTを気にする人は少なからず完璧主義の気があるのかもしれない。だが、残念な事にそれは当てにはならない。即売会が1番わかりやすいがポスター、ポップが充実してて敷布一つとっても世界観を演出していて、かつ本が並べられていて、である。世界観を演出するにはとりあえずメインやサブを揃えないとどうしようもない。あとはうまい声掛けである。この辺は私が普段から販売員をしているのでどういう人には声掛けるべきか最初の一声かけたら何も言わないかは人を見て一瞬で判断している。

もう、お分かりだろう。普段から人を見る目を養っておけ、ある程度は人と関わっておけ、ということである。わたしは幸い仕事が販売員なのでこのスキルは自分を守る為にもなくてはならないものだが、人間と関わらずに生きる事は不可能である。その為には失敗もするし喧嘩もするし、そうまでいかずとも気まずくなることはある。ただ、とりあえず「ありがとうございます」「よろしくお願いします」「初めまして」などの挨拶さえ笑顔でしておけばだいたい悪い印象は与えない。無論、敬語である。

私は年齢問わずネット社会にいる人は全て「30歳位の大人」として扱っている。未成年も同じ。敬語で接するし、さん付けで交流を開始する。ネットにいるんだから責任は自分で背負えるということである。責任が負えないならネットなど使うなということである。せいぜい検索にでも利用すれば現実では生きていけるからである。

ネットと現実は確かに繋がっているが全く別の世界である。私はネットでそれほど交流があるわけでもないが現実では面倒でも一日80人とは言葉を交わしている。詳細な説明や案内の対応なら10人くらいだろうか。お客は販売員に何を求めているかというとレジの速さはもちろん、丁寧さ、優しさ、癒しもあるだろう。しっかりした人にして貰って安心感を得たいと思うだろうし可愛い子のところに並んで癒されたいと思うだろう。同人即売会も同じで一般参加者が何を求めているか、である。作品を求めるのか、好きなサークル主に会いに行くかとか。少なからず交流や癒しを求めていることは間違いない。私は昼ごはんを食べている時やおかしを食べている時は物販対応はしないし、パンとかおにぎりは食べない。ペットボトルのお茶をホルダーに吊り下げて口に含むか開始前にトイレは済ませておく。販売員でも大休憩と小休憩に分かれているが大休憩で少し昼ごはんを食べて小休憩はトイレと水分補給のみである。即売会に客はいないというのは聞こえがいいが、わたしは「やっぱり客はいる」である。切り替えがあまりうまく出来ないので即売会では販売員の仕事の時と同じように振舞っている。5時間なら水分補給で事足りるので開始前に必ず飲食店に寄っているしバス内でもお菓子やおにぎりは食べておく。

結局、第一印象で全てが決まるという話である。中身が面白くても装丁が普通なら評価は普通である。中身をこねくり回したり小手先テクニックを考えるくらいならまず目の前のことに集中してやれよ、という話である。

本当に自信があるならババっと書いてネットに上げたり企画に便乗しろという話である。絵のプロになるなら個人制作のポートフォリオやプロの講座にでも参加してYouTubeでPV作ったり雑誌投稿したり展示会に参加したりやることはいくらでもある。小説家になりたいなら自費出版で1冊作って本作りました見てくださいでもいいし公募のバックアップを取るのは当たり前である。それが敗退したら功績として本にしてポートフォリオにしてしまえばいいだけである。カクヨムのWebコンテストにはどんどん乗っかるべきだし。

いいねやRTが多い人はコンテンツを発信する数がまず多い人である。日常の写真とかも工夫してあげたら良いし発信量は多くすべし。人の力も存分に使う方が良い。

私は愚痴とかも発信しているが、小説のテーマが人間の所業の果てにある悪意である。人間賛歌、性善性悪説、思想なんかも盛り込んでいるので愚痴も作品の一部になっている。絵も悪意や表裏一体など、光と影を扱っているのである程度生々しい人間性を演出して見せようと思っている。だいたい作品と演出している本人との間にそんなにギャップがない。ギャップを狙っても良いがイメージと違うなんてことが起こりかねないのでなるべく統一性を図っている。見ない人は見なくていいし離れる人は離れていいし全て自由である。ご覧のようにネットの使い方次第ではあなただけのバーチャル美術館ができる。何もしなければ何もないということが起こるし負を発信すれば人を嫌な気分にさせるが励ましも貰えるし負を見せた上でより努力する姿勢とか、そもそも陰口や悪口などの負の要素を上手いこと作品に活かせばそれは芸術である。あなたはただの汚物を発信したいか負や汚物を怖いけど目が離せない、という風なものに変えるか、それはあなた次第という話である。

いいねやRTを貰えるかどうかはあなたが毎日コツコツやりたい事を発信しているかどうかで多少、確率が上がるんではなかろうか。誰もあなたを見ていないは三割くらいは本当だが八割は詭弁である。見ている人は実は意外といるのである。あなたに見えないだけでという話である。その見ている人の為にも実績や証は目に見える形で作っておきたい。それがポートフォリオ、自分史である。