見出し画像

スペイン巡礼 銀の道 Vía de la Plata 38日目(Ourense - Oseira)

2024年の4月初旬から5月中旬過ぎにかけて銀の道(Via de la Plata)を歩いた記録を綴っています。

5月13日、Oseiraまで30.8km。

4日後の5月16日にSantiago de Compostelaに着く予定ですが、前日に滞在していたOurenseより一気にPeregrinoが増えます。
と言うのも、サンティアゴ巡礼の証明書が少なくとも100Km歩いたら入手できる条件となっていて、銀の道ではOurenseからがその100Kmの出発点となってるため。

ちなみに主要な巡礼の道の約100Kmの出発地点は以下:

サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの100Kmは各巡礼路で下記の出発点になります。
フランス人の道(Camino Francés):Sarria
ポルトガルの道(Camino Portugéss): TuiもしくはValença do Miño
北の道(Camino del Norte):Ribadeo
銀の道(Via de la Plata):Ourense
イギリス人の道(Camino Inglés): Ferror

NPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会

このためここからの4日間、公営のアルベルゲに泊まるなら確実にベッドを確保できる場所を選んでその日の行程を組む必要がある。
GronzeのサイトではOurenseからCeaまで歩くプラン。
Ceaは”Pan de Cea”と呼ばれるスペインで伝統的なパンが作られている村と言われているらしい。
それもあってか、ここの村は人気でCeaに泊まるPeregrino達は多い。
事実、僕のPeregrino仲間達はほぼ皆ここに泊まって行った。

僕はパンよりも寝床重視。


Oseiraまで行くことにしました。


朝、ホステルの通りを挟んだ向かいにあったカフェでコーヒーを飲んでから7時に出発。

巡礼路はミーニョ川に架かるローマ橋を渡って行きます。
夜明け前までライトアップされてたPonte do Milenio(ミレニアムブリッジ)
A Ponte駅前に設置されていた昔の機関車。薄暗いので目立ちませんが、
かなり劣化が目立ってました。
7時50分、Cachaxúas。
こっからすんごい急な坂道が延々と続きました。
坂を上り切った場所に位置するCastro de Beiro
登り切るまで約30分もかかりました。

田舎は歩道がない場所が多く、道幅も狭いのに車は徐行もせずに横を通過していくので道路を歩くときは結構ビビります。

道路を外れ、緩やかな土道
からの大きな石だらけの道。
11時前、Ceaの手前の村、Casas Novasを通過。
20分後、Cea(San Cristóbal de Cea)に到着。人口約2,000人の村。
約4時間ほどで着けました。急な坂道もあったけど良いペースで歩けた。

写真はCeaのマヨール広場にあるA Torre do Reloxo(時計塔)。鐘楼を備えた時計の 4 つの文字盤に加えて、基部にパイプから一年中水が流れ出る噴水があります。現在もそうかは分かりませんが、村の多くのパン職人たちがパンを焼き始め、配布する正確な時間を知るために鐘がなっていたとか。

休憩も兼ねて噂のPan de Ceaを食べることにしました。

ここは夫婦で経営されているっぽいカフェでした。店内は地元の常連のお客さんで溢れていて、店頭にはCeaのパンも販売してました。

そこまでお腹は減っていなかったのでサンドイッチにしましたが、写真からも見れるように、
外の生地は硬め。トーストだったからか、個人的にはそこまでもっちり感はなく、少し酸味もあったのでどちらかといえば苦手なタイプのパン。なのでそこまでの感動はなかったです。

ポルトガル人のマヌエルやドイツ人のグンテルも僕と同意見で自国のパンの方が美味いと言ってたけど、人それぞれ好みのパンはあるからね。

ガリシア州のパンはPan de Gallegoというのがあるくらいパンは有名だそうですが、Pan de Ceaは2004年にスペインで最初に原産地呼称を取得したほど”美味しいパン”の太鼓判付き。その歴史はなんと700年前からだそうです。

以下で詳しく説明されてます。

会計する時にこれからOseiraに向かうと伝えたらカフェのママがOseiraのレストランは今日は定休日で閉まっているからスーパーで食料を買って行った方が良いよと教えてくれたので並びにあったスーパーで食料調達することにしました。
田舎の良さか、僕がPeregrinoだからか、いずれにせよすごく親切にしてくれました。

街中にあったパンを焼く女性の銅像。
2003年に記念碑として建てられたそうです(Fernando García Blanco作)。
向かって左側が、セアのパン特有の”割れ目”を作る道具で、
右側はパンを出し入れする道具だそうです。
Ceaの町を出た後から雨が降り始めました。
1時前、Silvaboaを通過。
吠えることもせず、きょとんとした表情で静止したこの2匹、めちゃ可愛かった。
Ceaの村を出てから目的地のOseiraまで誰1人、車1台も会うことがなかった。
Oseiraまでもう数キロ
Oseira手前の小さな村、A Ventela
Capela de Santa Isabel(カペラ・サンタ・エリザベス)
Oseiraの修道院が見えてきました。
午後2時過ぎ、Oseiraに到着。
Monasterio de Santa María la Real(サンタ・マリア・ラ・レアル修道院)
雨が止んで空が晴れてきました。
この修道院は、12世紀に建設された王室設立修道院だそうです。
1552年に大規模な火災後、幾度となく再建。
何世紀もの間、文化的、社会的、精神的にもガリシアの人々に大きな影響を与えたそうです。
修道院内のガイドツアーは毎日行われているそうで€3.5で参加できます。

以下3枚は翌日にここに来たエビがツアーに参加した時に撮ったもの。

最盛時は約150人の修道士たちがこの修道院で生活していたそうですが、
今ではその一割にも満たない、約10人ほどだそうです。

このサンタ・マリア・ラ・レアル修道院、修道院としての歴史の長さもあると思いますが、この日到着した時は雨が降っていて空はどんより、でもそれがさらに言葉に表しようのない雰囲気を醸し出していてオーラが半端なかったです。
Ceaを通り越してここまで来た価値は十分にありました。
僕は無宗教ですがかなり感動しました。お勧めの場所です。

アルベルゲはこの修道院に隣接して建てられてます。正門から入って右側の建物の裏側にあります。外観を崩さないようにするためかアルベルゲの看板が目立たず、僕が探していたら自転車のPeregrino達がちょうど2人やって来て彼らが見つけてくれました。

ちなみにOseiraまで来たのはこの修道院を見るのと、ここのアルベルゲに泊まりたかったから。Gronzeのサイトで紹介用にアップされてた写真で見るとめちゃくちゃ綺麗だったから。*たまに写真と実物が違うこともあるけど、ここは写真通りでした。

キッチンエリア。食事をする場所もかなり広いスペース。
その隣には読書などができるソファとコーヒーテーブルが置かれた休憩スペースがありました。
キッチンの隣の奥に洗濯機と乾燥機。*有料
寝室エリア。暖房がガンガン効いてて暑いくらいでした。
シャワー室。温度も水圧最高でした。
トイレも同室内にあり、すんごい綺麗でした。

Ceaで食料はゲットして来ましたが、アルベルゲのホスペタレラが定休日で閉まっていたレストランに電話をして、僕と自転車で巡礼してる2人のPeregrino達、合計3人分のデリバリーをしてくれないかと聞いてくれました。
するとレストランは快くお願いを受けてくれて、暖かいご飯にありつけることができました。
値段は通常のディナーに比べると少し張ったけど、2人分(?)て思うほどの量。
食べ終えて休んでいるところにびしょ濡れでロベルトが登場。
生憎、1人分だけのデリバリーはやってもらえなかったので、食べきれなかった僕の分をあげました。

ロベルト以降、この日は誰も現れず、42個ベッドのある寝室を4人で広々快適に使用。最高でした。

この日泊まったアルベルゲ:
Albergue de peregrinos del Monasterio de Oseira€10
施設の綺麗さ、暖房もガンガン効いてて、シャワーの水圧もめっちゃ良い。
キッチンに調理器具などは無かったと思いますが、冷蔵庫、電子レンジ、電磁調理器などあるので自炊もできる。
本来の巡礼路からは外れて迂回をすることになるけど、修道院も見応えあるし、個人的にはかなりお勧め。
スーパーはありませんが、修道院の中にお土産屋があり、そこで食品や飲み物を売ってました。修道僧の方達が作っているお得な朝食セット(€3)も売ってます。

Ceaのアルベルゲは、寝室エリアからテラスに出れてそこでビールも飲めるような場所もあり、泊まったPeregrino達は良かったと言ってました。
村にはスーパー、カフェ、レストランもあって、そのどこでもPan de Ceaをがあるので確実にお目当てのPan de Ceaは食べれるらしい。

残り、82.75km。

いいなと思ったら応援しよう!