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2023年YOSAKOIとの向き合い方

2023年、久しぶりの通常開催されたYOSAKOIソーラン祭り。
今年は忙しいので一度は断ったもののスタッフで参加することになる。
結果としては、忙しい人生の一部を差し出して良かったなと感じる、もちろん賞などに入らなくても同様のことを感じていただろう。

常々思っているがあまり伝わらないので言ってない事なのだが、YOSAKOIソーラン祭りの踊り子に、いや、表現者にとってあまりにありがたい環境すぎることを改めて思い出した。
沿道のお客さん、何人いるだろう?各会場で100人から数百人、8丁目会場にいたっては多い時間だと4桁いてもおかしくない。
そんなにたくさんの人に表現を見てもらえる機会って本当に稀有で、本当にありがたすぎる。

そして、この環境を用意するためには街を数日借りることになるので市民の協力が必要になり、祭り運営、チーム運営のためにもたくさんの協力が必要になる。
日本中のお祭りの中でもトップクラスに当たり前じゃないお祭りという事が出来る、YOSAKOIに興味がない~嫌いな人が他の負担が小さいお祭りに比べると大きくなること含めて。

更に、今年は2年間の完全ブランクとマスクをつけて会場少な目だった去年を生きて繋いできての通常開催。お店だとかイベントだとか、コロナの3年で多くのものが失われた。YOSAKOIチームも同様で、特に学生チームは基本的に数年でメンバーが入れ替わるので毎年のルーティーンやノウハウすら欠損したチームも多い中での通常開催。
通りかかる他チームの方々に挨拶するのも久しぶりだなとかみしめた。

今年、他のチームを含めてみてて思ったことは【表情】に飢えてるんだなと。スタッフとして参加していたため、全てのチームを見れたわけでは全然ないのだがせっかくなので凄くいいチームを一つ紹介しよう。
恵庭紅鴉、めちゃくちゃ2023年にマッチしたチームだった。
何が良いかというと、このチーム、踊りの中でストップする振りが多いのだがそこでバシーーーーーっと表情が決まる。去年だと、そこがマスクでパワーが半減していたのだが、バシッと踊ってバシッと止まって最高の表情。
決して市民チームなので振りが難しい訳ではないが、ちょっと難しい振りに入る瞬間も前に溜めの時間が入りがちなんだけど、『いくぞ』って表情が一つ入るんだけどこれが今まで飢えてた分もあってか刺さる刺さる。
そして、このチームといえば「わっしょいしょい」の掛け声、最高のいい顔の踊り子の大きく開いた口から放たれる「わっしょいしょい」で一緒に「わっしょいしょい」で優勝だった。

そして生で見れなかったのだが、大賞を取ったREDA舞神楽も正直始めてきた年から表情が好きなチームだったことを思いだした。
いい表情で踊ってることが好きなチームの条件だって思い出したのは高3ではじめてファイナルをテレビで見た時、ブラザートムと勝手に分かり合ったあの頃と同じで(AJGKIDSと縁だけが楽しそうに踊っていたから大賞はここだろと発言してた時に120%一緒!わかりすぎるってなった)結局自分の中では一周回ってYOSAKOIと出会った頃と一緒だなって感じになった。

人の欲望はそうそう変わらないし、だからこそ3年栄養失調になったからこそめっちゃ欲しいなった。実は毎年摂取してたから忘れてたけど結局YOSAKOIで欲してた栄養素はこれなんだと、改めて認識できた。

この栄養素をもらうためには、ものすごいエネルギーが必要だし、ありがたいし当たり前ではない。ただ、自分はこの祭りはエネルギーに応じる力を持ってると今でも信じている。

ただ、いい話で終わろうかなと思ったけど、実は今回の話題を書こうとしたときに書きたかったことは前段の内容じゃなくて大賞、賞の位置づけについて考えててnote書き始めたらなんか楽しくなっちゃってこの内容になってきてる。
賞はご褒美、なんだけど頑張るための動機であって目的ではない、あくまで非運営者の目線では。運営の目線になると箔がつくことによって踊り子や協力者が集まりやすかったり、他のイベントに呼ばれやすくなったりするけど、ここは一旦置いておくとする。
ソーラン祭りは受賞すると、ほとんどのケースでご褒美の演舞がある、特に頑張った人はたくさんの人たちに見せてあげたい的な理屈だと思われる。
この位置づけを考える時にスタート地点を0で考えることが重要だよなーとふと思い立った。
スタート地点からは戻らない、やらなくても0だ。借金はしないものとする。
そして、演舞をするとめちゃくちゃ楽しい、プラス点がいっぱいもらえる。
更にその中で特にいっぱいプラス点がもらえたチーム、特定条件のプラス点を確保したチームには更にボーナス点(賞とご褒美演舞)がもらえる。
踊れること自体に感謝で、楽しいが重要という話から繋がってくるが、ここにマイナス点を設定すると大変なことになる。
踊る事が単純に楽しいことにならない可能性が出てきてしまう、これが非常に健康的でない。好きでやっていて、しかも色んな方々の協力があってこその祭りなのだからこういったメンタリティであっては発展はないなと。
賞が取れなければ意味がないみたいなのは見てくれた、協力してくれた方々に失礼だし、自分たちの表現すら信じていない。
もちろん、観てくれた人ありきなのだから面白くないというジャッジもされることはあるかもしれないが、素人がやっていることだから0点ベースでプラス点になるようなゲームと感じてもらえるように祭り自体を運営していくことすら大事になってくる、祭り自体にネガティブなイメージを持ってたり、プロのダンスとして見られたりしたらそうは思ってくれないから。

といった感じの、お祭りに対して今思ってる事の言語化第二弾でした。
祭り終わりの感想でチームのメンバーから出てくる、悔しいというタイプの発言にちょっと違和感を感じて昔こんなこと考えたなーってものをアウトプットしてみた。
もちろん、思う事自体は間違ってないけど(自分ももう一回踊りたかったなとか踊って欲しかったなと思ったりはするし)どう思おうかを決めておくことが大事だったり、こんな発想があるんだとかって一人にでも伝わったらいいなと思っていたりする。

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