生雲隧道3
苦闘の末ついにたどり着いた生雲隧道西口。これぞネットで見た姿だ!会いたかったよ。
坑口前は少々草が繁っていたが、この程度では障害にならない。さあ、近くで見て感じてみよう。
扁額。右書きで「生雲隧道」とある。苔むした風合いが経てきた年月の重みを物語るが、さすがに石造りの扁額は頑丈で、そう簡単に読めなくなったりはしないのだ。ありがたい。
なお、生雲隧道のスペックについては、tunnel web様によれば、竣工1938年(昭和13年)。延長209.8m、幅員4.50mとされている。
さっそく入ってみる気満々なのだが、この悪目立ちするフェンスは何だ。私に何かを伝えようとするボードがあるが、劣化してほとんど読めない。辛うじて阿東町という文字が解読できたので、旧阿東町時代のものだということは分かったが、その他は一切不明である。
フェンスの趣旨をこれまでの状況から合理的に解釈すれば、自動車が誤って踏み込まないよう親切で設置されているのだろう。
そこで私は徒歩でゲートイン。
これが生雲隧道内部の姿だ。
おや、あそこ、何か落ちてるね。何だ。
何だこれ。金属製のバスタブ状のもの。私は最初にこれを見た時、不法投棄されたバーベキューのコンロか何かだと思った。が、すぐ後にその正体を知ることになる。
路面の中央にまた落下物。割れた窓枠のようなもので、ガラスが散乱している。誤って踏むと怪我をするので、サンダルで来るのはお勧めできない。
そして天井からぶら下がってる不気味なもの。
照明だ。照明装置が劣化して崩れ落ちそうになっているのだ。
私が最初に見て不法投棄だと思ったものも、照明であった。斜めになっている今にも落下しそうなバスタブ状のパーツが見えるだろう。
そして窓枠のようなものが照明の蓋で、落下してガラスを撒き散らしているのだ。
なお、写真奥側は巻き立てているコンクリートが新しく、後年補修された箇所のようだ。
割と新しめの三ツ矢サイダー。最近ここを通行した人が捨てたのだろう。けしからん。
廃隧道は断じてゴミ捨て場ではないのである。
もっとも、古い時代の空き缶などがあれば、怒りより興味が優ってしまうのも探索者の常だ。現金なものである。
少なくとも、道路を愛する人間の一人として、自らが不法投棄者になることは厳に避けなければならない。
落下した窓枠と劣化した照明の連続。とにかくこれらが印象的だった。15mおきくらいに照明があるのだが、一つとして原形を保っているものがない。金属にとってはそれほど過酷な環境なのだろうか。壁面の染みを見れば、出水箇所は確かに多いようだが。
ともかく、垂れ下がった照明が限界を迎えて私の頭を直撃しては敵わないので、常に端っこの方を通行するよう心掛けた。
半分くらい進んできた。照明が電気コード一本を頼りにぶら下がっているのが分かるだろう。枠はその真下で砕け散り、無惨な姿を晒している。
確かに、こんな隧道に自動車が迷い込んだら大変だ。
ガタガタ、ボキッ、ぶらーん。こうやって照明が落下したんだと教えてくれるような3コマ。隧道に入ってから照明ばっか撮ってるな。それほどにこの痛んだ照明達が印象的だったし、逆に言えば洞内は照明を除き平穏で、特別語ることもないのだ。
照明を見ている間に、気がつくと反対側に到達していた。自然の明かりは安心するね。
この目の前の藪が、私が30分前に転進した藪である。先ほどの西口よりも明らかに荒れている。あとはこのフェンスを失敬して、扁額でも撮影して引き返すだけだ。
が、ここで痛恨。写真整理のドサクサに紛れ、この東口の扁額を撮影した写真が消滅してしまったのだ。
私としては大変悔しい思いだが、今ほど藪が濃くなかった時代の東口の様子なら、上記tunnel web様でも見られるので、そちらで見てほしい。
往路では天井の照明に気を取られていたので、復路では主に地面を見ながら歩いた。上は電線を覆っていたパイプ、下は何だろう、照明の一部か何かだろうか。
隧道自体は長くないし、照明の破片以外の危険物はないので、10分程で往復できた。
今回の探索については、最終的には生雲隧道にたどり着き、内部の現状も確認することができたので、満足のいく成果であったと言える。
しかし、残された謎がある。第2回で出てきた、突然途切れたような舗装路の正体である。
この道の正体と突然死の理由については次回。