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過去を思い出す
つらかったこと、しんどかったこと、周囲に反対されたこと。
思い出したくない体験。
もし自分が何かに我慢していて生きていると思うなら、過去の自分を思い出してみるのも悪くない。
辛かった経験がずっと自分の喉の奥のほうでひっかかっているなら、
どっぷり思い出して、本当の自分を取り戻そう。
辛くても頑張って乗り越えてきたから今の自分がいる。そう言えるのはかっこいいかもしれない。
もしかしたら、乗り越えられなくてもよかったのかもしれない。
乗り越えても乗り越えられなくても、わたしたちはその時間を通って今を生きている。
過去の記憶なんてすべてを覚えているわけじゃない。
その記憶が残っているのはなぜ?
すごく楽しかったから?しんどかったから?理解されなかったから?
その記憶の一歩手前を思い出してみよう。
変わる前の自分に出会えるよ。
もう30年ぐらい前のこと。
中学1年の冬に、生徒会長に立候補することになった。
1学年1クラスしかないような田舎の中学で、自分の番がまわってきた、という雰囲気で立候補することが決まった。
立候補が決まって数日後の昼休み、階段を昇って教室へ戻ろうとすると、クラスの3,4人が長机を押さえて、階段を昇り終えるのを遮ってきた。
突然、
「おまえ、A君にあだ名つけやがって、何なんだよ!」
と言ってきた。
あだ名はたしかにあったが、入学した当時から皆がそう読んでいたし、自分もあだ名をつけて呼ばれていた。
いまさらナニゴトなんだろう・・
そこからクラスのみんなが、
「あいつには生徒会長の票を入れるな」
と言い始めた。
田舎とはいえ、生徒は100人以上いて、2年生との2択の選択肢にもかかわらず、自分に入った票が10票だけだった。
10人のうち一人は自分、3人は近所に住む3年生の先輩たちだったと聞いた。親友だと思っていた子からは「クラスのことがあるから、今回は2年生の先輩に投票するね」と言われた。
クラスのことって・・?
あと6人、誰が票を入れてくれたんだろう。
あの子も入れてくれたかもしれないし、2年生のなかにも投票してくれたひとがいるのかも。
そんなことより、いつも一緒にいて友達だと思っていた子たちは、他の人に投票したと聞かされたのはショックだった。
校内に投票結果が張り出されて、
生徒会長 A 100票
B(自分) 10票
という数字が掲示されていた。
みんなに「必要ない」と張り出されているような気分だった。
自分は泣かなかった。1年生だし、生徒会長になんてなれなくても当然。当時はそれくらいの感情しかなかった。
あれは「いじめ」だった。
なんで大人ぶって平気なふりをしてしまったんだろう。我慢して耐えてしまったんだろう。
もし生徒会長になったら、お昼の放送を充実させよう、と考えたりした。1年生が生徒会長に通るのは無理だろう、というフリはしていたけど、立候補したときは諦めてなかった。1年生なのに生徒会長になったらどうしよう。心配より、興奮した気持ちのほうが強かった。
候補者演説のときも頑張って発表した。クラスの子に「どうせ通らないのに、真面目にやるよねー」と言われたが、それを褒め言葉と思うくらい、前向きな性格だった、、、気がする。
中学2年になったらクラスの人とも元通りになった。自分も元に戻ったつもりでずっと付き合ってきた。つもりだった。
その頃から人を心から信用できることができなったり、正直でいることがいいことなのかわからなくなっていた。
そのことに気づいたのは、それからさらに自分がつらい経験をしたときだ。
もし、中学1年のときに、自分が泣き叫んで、
「お前らなんか友だちじゃない」
って言えたら。
辛い経験によって、本当の自分が眠ってしまったかもしれない。
傷は深かったのかもしれない。
いまは、かさぶたで固まって傷跡すらないかもしれないけど、
もしその傷を思い出してしまうんだったら、
どっぷり思い出してしまおう。
きっと本当の自分を取り戻せるよ。
自分も今、どこかにいる誰かに思いを伝えようとし始めたから。
追伸:哲学者ベルクソンの「道徳と宗教の二源泉」を読みながら、自分のことを振り返りたいと思いつつ時が流れて、YOASOBIの「群青」の歌詞をみて、もっと自分のなかに在るものを掘り起こそうと投稿。
追伸2:アルフォートと「群青」のコラボ動画では、「好きなものと向き合う、すべての人へ」というメッセージが最初にでてきますが、まだ好きなことがわからない人へ届け、と思って書きました。