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新川帆立『目には目を』
『元彼の遺言状』を始めとする剣持麗子シリーズや「競争の番人」シリーズなど、テレビドラマ化された作品の印象も強くて、エンタメミステリが上手い著者。でも、これは社会派ミステリに挑んだ新境地だ。
殺人事件を起こし、少年院に送られた少年A。だが彼は、Aが傷害致死に至らしめた少年Xの母親によって殺される。Xの母親は自首し、〈死には死をもって償ってもらおうと思った〉と動機を語った。被害者遺族が加害者に復讐したことで「目には目を事件」と呼ばれ、社会を揺さぶることになる。
事件を追うフリーライターが、N少年院でAとほぼ同時期に寝食を共にした5人を探し出し、その家族や少年院で彼らの保護観察官だった男などへの取材を試みる。それを手記的に残していくスタイルで話は進む。
面白いのは、まず、本書は変わったフーダニットを軸にしている。少年法で守られているAたちは、本当であれば簡単に居場所は割れないし、少年院にいたことも隠しながら生活できる。しかし、Xの母親はAの居場所を、SNSで賞金をかけて探そうとしたのだ。そして、実際、居場所を少年Bに密告され、Aは殺されてしまう。
では誰が少年Bなのか。そのB当てがひとつのミステリーになっている。
と同時に、ハンムラビ法典の「目には目を」の復讐は許されるのか。これを投げかけてくるのである。
理不尽な犯罪が相次ぐ社会で、被害者やその家族、遺族が加害者に憎しみを向け、復讐したいと思うのは当然だ。しかし、個人のいかなる暴力も認められないのが法治国家である。しかも、少年Aは、まさに偶発的に事件を起こしてしまったような子で、むしろ保護されるべき弱者だった。Aの背景など知らぬXの母親にとって、Aは殺しても飽き足りない敵だ。しかし、読者はAは18歳で死ななければならないような子どもだったのか、というジレンマを抱えることになる。
作中でも描かれるが、少年院にいる子どもたちは、ネグレクトから非行に走ったり、そもそも罪というものを理解できなかったり、共感性に極端に欠けていたりするケースが多い。境遇さえもう少しよければ、犯罪と関わらずにいられただろうと同情せずにはいられなかったりする彼ら。未熟な大人たちが彼らに犯罪を「させてしまった」ように思えてならない。本書もまた、 少年犯罪にスポットを当てることで、社会の課題というものをはっきりと突きつけてくる。
少年たちの生育歴、親や学校でのポジション、少年院での人間関係、社会に出てからの日々……。加害者も被害者も、当事者も家族も、重苦しいものを背負って生きているさまを読み、終始気分は晴れない。けれど、決して希望のないエンディングではなく、また、この終わり方しかできなかっただろうとも思う。
そして、本書にはサプライズがもうひとつ。第四章で明かされるそれに、驚いてちょっと声が出た。