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今年の夏は今年だけ、か。


最近疲れている。
身体が疲れていると心も疲れる。
弱音を吐く場所にしたくはないのに、書きたいことが今それしかない。

なんだか、どうも生きるのが下手だよなあ、と思う。
下手、というと他の人に比べて、みたいなニュアンスは入ってしまう。
だから下手、とは違うのかもしれない。
生きるのは大変。わたしにとっても、おそらくどんな人にとっても。

自由になっていこうとする自分と、今までの悩みを忘れまいとする自分。
すみません、という言葉を使うたびに何かがすり減っているような感覚が最近ビビッドになってきている。

夏になると、よしもとばなな先生の「まぼろしハワイ」を何度も何度も読む。
あの本の中には言葉を超えた何かがいつもゆっくりと横たわっていて、わたしはそれに救われる。
この世界がある限り大丈夫、この人たちが生きている限り帰ってくる場所がある、と思う。

最近、わたしの近くには海があることに気がついた。
昔から海が好きで、いつかわたしは海の近くに住む。と思っていたけど
ここ数年の仕事場は海に近いところばかりで、直近で好きだった人の名前にも海が入っていた。

ちょっとあほらしいような気もするけど、そんなふうに海を近くに感じる機会が格段に多くなった。
海が持ってる大きな引力に勝手にわたしが吸い寄せられていると思う。

海は何もしていない。

今年はたくさん海に行こう、と思う。見るだけではなくて、海に入って泳いだり浮かんだりしようと思う。
最後に海に入ったのはいつだろう。
こんなに好きなのに、どこかで遠ざけていた場所。
それ自体の大きな輝きと、人の騒がしさが怖かったのかもしれない。

健康な身体があるのに、何を躊躇っているのか。
自分に問いかける。

わたしも、あざみさんみたいに誰かを丸ごと信じたい。
「まぼろしハワイ」の中に生きているあざみさんという美しい女性は、
私は最終的に自分のケツは自分で拭くって決めているから、素直にできるのさ。
と言う。

素直でいるのは勇気がいる。
愛想笑いを早くから身につけてしまった、大人に囲まれて育った自分には。
でもそれは腹を決めることなのかもしれない。
今まで少し思い違いをしていたかもしれない。

今年の夏は、今年だけ。
当たり前なのに、今年の夏はその言葉がちゃんと響いてくる。

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