5年後の未来を、楽しみに待ってる
「ママ、かんかいしよう!かんか〜い!」
4歳になったばかりのおしゃべりな息子が、オレンジジュースのグラスを持ち上げる。わたしがいつも休日の夕飯にビールを持ち出してごきげんに乾杯するのをみて、息子は「乾杯」をすっかり気に入ってしまった。
「かんかい、じゃなくて乾杯ね。うん、しよう。かんぱ〜い!」
ビールとオレンジジュースのグラスがぶつかると、息子はわたしの顔を見ながら美味しそうにオレンジジュースをごくごくと飲んで、一丁前に「ぷはーっ」とやる。
我が家は息子が生まれてからしばらくして、母親であるわたしが企業で働いて、父親である夫はゆるりと農業をしながら主夫として家にいる生活を始めた。そして、彼が農業をするために都会からずいぶん離れた土地に引っ越したので、東京に通うわたしは平日に家に帰れないことも多く、息子はそれが少しさみしいようだった。
「ママ、ぼくね。ママが帰ってくる音がわかるんだよ。カツカツって靴の音がすると、ママが玄関のドアをあけるって思うから、嬉しくなるの」
今思うと、
息子の成長は早く、その時はその時でしかないのだから、わたしは働き方をもう少し変えれば良かったのかもしれない。けれど、生活費全般を担うというプレッシャーや、夫への若干の反発心もあって、わたしは頑なに自分のスタイルを貫いた。
息子はどんどん大きくなった。
すぐにランドセルを背負うようになり、自転車に乗れるようになったと思ったら、自分ひとりで自転車で遠くにでかけることもできるようになった。田舎の環境は息子をたくましく育ててくれて、都会の子はなかなか触れないというセミもミミズも、彼の友達。
そうそう、「ほらみてー」って息子の声に振り返ると指にぐるぐるにミミズを巻きつけていたのにはびっくりしたっけ。
一方、夫婦仲は思うようにうまくはいかなかった。
息子が小学3年生になる前に、わたしと夫は別々の道を歩むことを決めた。
離婚をするということを息子に告げた日のことを、鮮明に覚えている。
「ちょっといいかな」そう言って向き合って話し始めたわたしの言葉を途中で遮って「離婚をするの?ちがうよね?」と息子は叫び、わたしが「そうだ」と言うと、突っ伏していつまでも、いつまでも、泣いた。
ごめんね。
それからもわたしにとって、暮らしていくこと・生きていくことは楽なことではなかったから、わたしは決していい母親ではなかった。辛さに負けて、息子の前で涙を見せることも何度もあった。
そんな時息子は精一杯背伸びをして「そういうこともあるよ」なんて大人びたことを言う。腰を悪くした日には、冷凍庫のご飯を解凍して、卵を割って、ママに持ってきてくれたね。
いつも思いやりを忘れない、優しい息子。
そして、しばらくして、反抗期を迎えた。
今まで相当な無理をさせてたきたのかもしれない。
力一杯わたしを否定し、力一杯モノにあたり、口を開くたびにトゲのある言葉をいくつも吐き出した。食事は自分の部屋に運び、なかなか部屋から出てこない。そのうちにわたしの手料理は食べたくない、とばかりに自分で料理をしだしたのには驚いたけれど。
このコロナ禍の最中に、息子は中学3年生になった。
いっときの反抗はだいぶおさまって、うれしいことに時々込み入った会話もできるようになった。背も170cmを超えて、今年の夏休みには「自転車で日本を旅してみたい」だなんて言っていたのに、コロナで行けなくなっちゃったね。残念。
彼が成人するのは5年後。
「ママ、かんかいしよう!かんか〜い!」
うん、また、乾杯しよう。
わたしはいつのころからかずっと、未来のその日を楽しみに待っている。
今度はさ、本物のビールで。
*画像は、徹夜明けで疲れて眠りこけていたわたしの横の窓ガラスに、小さかった息子が書いた昔の写真。
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