見出し画像

アイドルオタクにだけはなりたくないと思っていた僕がCUTIE STREETの板倉可奈を推すまで

(リンクはノンアフィリエイトです。以下同じ。)

この記事について

アイドルを推すことは、最も避けるべき趣味の一つだ。
僕はそうずっと考えてきた。

そんな僕(アラサー独身)が、アイドル CUTIE STREETの板倉可奈を推すに至った理由をつらつらと書いていきたい。

ひとことで言うなら激かわキュートだからなんだけど、そこには僕のしょうもない葛藤もあったから、ここに記していきたい。
本当にただの自分語りなので、興味がない人は読み飛ばしてもらいたい。
ただ、後半のほうのセクション「なぜ板倉可奈を好きになったか」で触れる可奈ちゃんの一番かわいいところだけ目を通していってくれ。

数年後に見返して見たときに、悶絶する激痛記事になっていることは承知で、今の自分の思いとして残したい。
また、少し前の僕のように、友人における既婚者の割合が年々高まっていくなかで、アイドルに現を抜かそうとすることに抵抗感を覚える諸氏の参考になれば幸いだ。
(書いているうちに感情が高まり、乱文この上なくなったので、そのうち書き直すかも。)

元オタクだからこそ感じていた、オタクになることへの抵抗感

はじめに述べておきたいのは、僕がこの記事で言いたいのは、オタクがよくないことだと言いたいわけではないということだ。
それは誤解がないように先に述べておきたい。

ただ、僕の人生においては、オタクであることが、それを言い訳とした人生の選択ミスに幾度となく繋がってきた。

繰り返すが、悪は、オタクなのではなく、まったく僕自身である。

さて、僕が、アイドルオタクを忌避する(していた)のは、時間軸を超えた同族嫌悪とでも言えるかもしれない。僕は、10代の頃はアニメオタクだった。
この同族嫌悪の性質としては、タバコを止めた元喫煙者が、喫煙者を忌避するのに近い。

その同族嫌悪に加えて、当時の自分への後悔もある。痛々しい過去の自分は、僕の人生に悪影響を与え、その余波は現在もまだ尾を引いていると感じている。

僕と、いわゆる二次元との出会い

僕がアニメオタクになったのは、中学一年生のことだった。
同級生のKくんにこう言われたことがきっかけだった。
「らき☆すたって知ってる?」


Kくんは、クラスの中心の男子だった。
「一軍男子」というと違った印象を与えるかもしれないが、ちびまる子ちゃんで言うところのはまじのような立ち位置だった。
声が大きく、陽気で、喧嘩っ早くて、それでいて付き合う人を選ばない奴だった。

そんな彼から発せられたのは、当時放映中だったその深夜アニメの名前だった。
当時の僕は、深夜アニメという概念も知らず、ただ、クラスの中心の彼が言うのなら面白いものなんだろうと思った。話題に遅れたくない一心で、家に帰ったあと、新聞のテレビ欄から該当番組のGコードを探し、DVDレコーダーに打ち込んだ。

翌日になって(当然今のテレビで)寝ぼけ眼のまま録画されたらき☆すたを見た。
母の、「こんなのが流行ってるの?」という怪訝な声は今でも覚えている。
初めて見たらき☆すたは、とても面白かったという記憶はないが、とにかく僕はそれをきっかけとしてオタクになっていった。当時からこれは後ろめたいという感覚はあり、らき☆すたの単行本は、鍵をかけたカバンにしまって隠していた。

ライトノベルで深化したオタクスピリット

いわゆるオタク的精神は、らき☆すたよりも、その後に読んだライトノベルで深まった。
当時は、スマートフォンは登場前で、かろうじてガラケーにパケホが設定されていたくらいだった。
僕はauだったから、携帯でニコニコ動画を見るときは、決定ボタンを連打していた。(この話わかる人いるのかな)

だから、僕たちが二次元に触れあおうと思ったら、自然とオフラインの媒体が増えた。
漫画の持ち込みは、校則で禁じられていたから、ライトノベルがオタクたちの間で流行した。

当時僕が好きだったのは、生徒会の一存だった。
この頃から、まだ当時その言葉はなかったが、「推し」という概念が生まれた。当時、「推せる」と近しいニュアンスで「萌える」と言っていた。


「萌え」の概念が身についた僕は、加速度的にアニメにのめりこんでいった。
当時、ワンセグ付きの携帯電話が出始めていて、中学生ながら27時から放送が始まるアニメ(確かとある魔術の禁書目録だったと思う)をリアタイしていた。


オタク行為にのめり込みすぎた過去

僕のアニメオタクとしての素質は、らき☆すたで種がまかれ、とあるシリーズによって芽吹き、とらドラ!によって開花した。

この当たりから、僕の中にある考えが生まれはじめた。
推しがいれば何もいらない、だ。

僕は、中学生の頃が一番人生が充実していなかったと思う。
友達も多くなかったし、彼女もできなかったように記憶している。
そういった境遇の自己防衛からか、「推しがいれば何もいらない」的な思考に支配され、それを自分自身に言い聞かせてきた。

この傾向は、高校に入ってからも続いた。
友達は増えたが、高校生活を楽しみたいという気持ちではなく、「推しがいれば何もいらない」から、特に何もがんばろうとしなかった。

ただただ無気力な人間であったか、あるいは超インドア派であったのかと問われば、まったくそういうわけでもない。
スポーツは小学校から高校までは続けていたし、中学校の頃は県選抜のメンバーだった。
それだけ聞けば、活発そうな人間だろう。

青春ときわめて縁が遠かったわけでもなかった。
当時の自分にはもったいないような美人の彼女もいた。
ただ、その子を前にしても「推しがいれば何もいらない」的思考は脱せなかった。結局それが原因で別れることとなった。

高校時代の友人には、AKBの熱烈なファンでありながら、青春を謳歌していた奴も、アニメオタクだけど文化祭のスターになる奴もいたので、何度も述べるようにオタクであること自体がこれら僕のどうしようもない青春の原因ではないと言える。

さらに付言すれば、青春と言えるものがなかったとして、つまらない人生かというと、決してそんなこともないと思う。
何かに熱中できるのは、それがなんであれ素敵なことだ。

だが、オタクであることを言い訳にして、また、オタクであることに満足した人間であった(それが心から望んだ自分の理想の人生でないにも関わらず!)僕は、今思えばあまりに矮小で、閉鎖的な自己世界に閉じこもってきた。

僕はオタク人生の何に後悔したか

僕の体感として、平成20年代は、その上の世代より緩和されているとはいえ、今よりもずっとオタク=キモいという社会的イメージが強かったと思う。
その中に育って、僕も令和の世に世間が捉えるよりも深刻にオタクにタブー観を感じていると思う。

でも、悪いことだけでなく、オタクであることによって繋がった縁もあった。
たとえば、大学時代に出会った友人のCがいる。

彼と出会ったのは、新歓コンパだった。
彼は、僕と同じく地方の出身だった。
コンパの帰りにフラフラになって、新宿プリンスホテルの前で寝ていたら、仲良くつまみ出された腐れ縁だ。

彼と仲を深めるきっかけになったのは、当時放送が終わってそう時間がたっていなかったと思う、氷菓だった。僕は、氷菓の作中に出てくるモノをロック画面にしていた。(さすがに大学生ともなると、アニメキャラクターをロック画面にするようなある種の大胆さはなかった。)
それに気づいたのが彼だった。

それをきっかけに彼とは仲良くなり、在学中はもとより、僕が就職で東京を離れたあとも、頻繁ではないながらも交流は続いた。
彼の結婚式に呼ばれ、友人代表のスピーチをさせてもらったのは、今でもうれしく思う。

そんないい面もありつつも、後悔しているのは、オタクであることによる、もとい、オタクであることそのものに依存してしまったことによる機会損失だ。

ここまでの自分の人生を振り返ってみても、80点はつけてあげられると思う。
高校、大学、就職とすべては第一志望だったし、高校では部活仲間に恵まれて一生の友人を得、大学生のときも、何度でもやり直したいと思えるほど自由な日々を過ごした。

でも、僕は思う。人生一回きりなんだから、80点で満足するべきじゃなかった。残りのうち10点は運命としても、もう10点は、僕が自ら手放した。

今の生活で満足しているから、という理由で踏み出さなかったことがいくつもある。
そして、それは、その時々の「らしい」行いだ。
高校生「らしい」淡く青臭いスクールライフ、大学生「らしい」退廃的であり快闊であり、それでいてほのかに淫靡な香りのするはたちの若さ特有のエネルギッシュさ、ほんとうはそういうものに僕は憧れていながら、踏み出すのが少し怖くなったとき、言い訳のようにオタクを使っていた。推しがいるし、今の生活でも楽しい、と。

つまり、僕の人生においてオタクは、趣味でも愛でも矜持でもなく、ただ逃げる理由にすぎなかった。

だから、僕はオタクであった自分を恥じているし、中学生のとき、K君がらき☆すたを紹介してこなかったら、どんな人生だったろうと空想もする。
僕にとってオタクであることは、人生に逃げ道を用意してしまうことであり、自分の可能性を削るものだった。

そういう事実に気づいたとき、僕は大学3年生で、まだオタクだった。
オタクである自分に徐々に嫌悪感が芽生え、それにしたがってオタク的趣味からはフェードアウトしていった。

なぜ板倉加可奈を好きになったか

僕は、今まで好きなタイプはどんな人、と聞かれても答えあぐねていた。
自分がどんな人が心からタイプなのかわからず、今まで付き合った人を何人か頭の中で照らし合わせて、それっぽい共通点を答えていた。

でも、忘れもしない2024年11月2日(最近だな)、僕はそれが板倉可奈だと気づいた。

初めて可奈ちゃんを見たのは、TikTokで流れてきた動画だった。たぶん大阪で行われた、リリースイベントをファンの人が撮ったものだと思う。
ご当地に合わせてアレンジされた「かわいいだけでええやんな?」という歌詞を歌う瞬間の、可奈ちゃんの一瞬のいじわるな笑みを見て確信した。
これは、推してしまう、と。

僕は、アイドルを推したことがない。オタクであることに引け目を感じるようになってからはもちろん、オタクであったときもアイドルには興味がなかった。
むしろ、時間も金も吸い取られ、充実した生活も犠牲になる悪魔の趣味として忌避していた。(歴戦のアイドルファンの方、本当にすみません。)

それに加えて、可奈ちゃんを見たときの天啓のような衝撃を、どの芸能人にも味わったことはなかった。

どこが好きかと聞かれると枚挙に暇がない。

最初に好きになったのは、いわゆるアイドルといった雰囲気とは少し違った綺麗な顔、クールな印象だ。
それでいて、彼女は、一目見てわかるくらい全力だった。何に対しても一生懸命な子なんだろうなと感じた。ただ一生懸命なだけではなく、自分ができる最高を僕たちファンに届けてくれいている、そんな感じがした。

少し彼女のことを追い始めてからも、見るたびに彼女に魅力に気付いた。
ダンスがとても上手で、DayDayに出演していた際の映像では、ダンスで魅せるってこういうことなんだと思わされた。

倍速チャレンジで、曲頭のテンポを合わせに行くときの一瞬の真顔もキャラクターが出ててすごい素敵だし、特典会で全員完売が発表されたときの驚き方も、ああ頑張ってるんだろうなということが伝わってきた。

可奈ちゃんは、MBTIがINFPらしい。僕もINFPだ。
僕と同じような性格なのだとしたら、あそこまで頑張れて、皆の前で笑って、皆を笑顔にできることに心から尊敬の念を覚える。
自分と照らし合わせて、大丈夫?辛いことない?と心配するクソオヤジと化す。たぶん人のためだったら頑張りすぎちゃうから、ちゃんと自分も労わってあげてほしい。

このセクション無限に書けちゃうからもうこれくらいにしますが、なんかもう全体的に綺麗すぎる。身長157㎝ってマジ?スタイル良すぎて164㎝くらいかと思ってた。
顔綺麗すぎる(再掲)。それでいて表情七変化とか、半端ないって。そんなんできひんやん、普通。そんなんできる?言っといてや、できるんやったら。(死語)。

僕は自身の反オタク感情とどう向き合ったか

別に向き合ってはない

取り乱しました。
そんな彼女の魅力に囚われつつも、2週間弱、「推す」ことに踏み切れずにいた。

一番頭をもたげてのが「アラサーからアイドルオタクになったら終わりじゃね?」という言葉だ。
僕は、アラサーだ。そして独身だ。彼女は、1、2年いない。結婚願望はめちゃくちゃある。
残念ながら、女性による「男性の嫌な趣味」上位常連には「オタク」がある。
葛藤を続ける僕は、結局、「やっぱ可愛すぎるからどうしようもないよね。」と諦観とともに推し始めた。

その諦観を協力に後押ししたのは、彼女を推せるのは、今しかないという気持ちだった。
彼女だってずっと永遠にアイドルでいるわけではない。
彼女との年の離れは干支半周だが、仮に万一推したいと思える対象が出たとして、そのとき僕はその新しい対象と干支が何周離れているだろうか。
人生でこんなに推したい人に会ったのはこれがはじめてなのに。

そう感じた僕は、僕の中で推す推さぬの一線だと勝手に考えていた、「課金」をした。
初めてお金を使ったのは、彼女のバースデーグッズだった。

踏み切りは、そういう衝動的なものだった。

若かったころとは違う「推し」観が自然と芽生えた

10代の頃の「推し」方は、「推しがいるから何もいらない!」といったような感じだった(当時はアニメだったが)。
でも今は、推しが心の大きな支えであり、癒しであることは変わらないのだが、「推しがいるから何もいらない!」ではなく、「推しを後悔しないために、すべてをしっかりやろう!」になった。

それは、オタクであることを、人生の挑戦を諦める言い訳にした、僕の経験から来るものだと思う。
そこに、今後はきちんと人生にも向き合うんだという決意が加わり、気持ちの切り替えができた。

推すからには、ちゃんと自分の人生もしっかりして、推したことを人生の嫌な思い出にしたくない、という気持ちを持つことができた。

身だしなみであったり、あるいは心構えもそうだ。
一例を挙げるならばずっと大学生のころから惰性で使っていたプールオムは止めて、ちゃんと自分なりにどう見せたいかを心がけるようにしたし、皆から愛される可奈ちゃん(みんな無人島に連れていきたいって言ってたね)を見習い、周りの人により気分よく過ごしてもらおうと己の態度や言葉遣いにも気を付けるようになった。

ほかにも普段の行動もより活発になることができた。
例えば、かわいいだけじゃだめですか?の店舗別特典は、Joshinが可奈ちゃんだったが、僕が推し始めたときには、Joshinオンラインストアでは特典が品切れだった。実店舗は、大阪日本橋のみ!
ということで、車で往復6時間ほどだろうか、日本橋まで行ってきた。
ついでにずっと見たいと思っていた大阪中之島美術館の展覧会も見に行けたのでよかった。

こういうプラスの影響があるから、推してもいいんだと自分で納得できた。
これを公言するかは別としてね。

今は、推すことができて幸せしかない。
それに、今はオタク自体に引け目を感じてはいない。
引け目を感じるべきは、それとは別個の内向きの自分だからだ。

<付記>頭に浮かんだアイドル論(のような何か)

こんな感想ばかり述べると、アイドルなんてどうせ演技だろ、と腐す人もいるかもしれない。
だけど、演技であってもいいと思う。
もちろん、素のままが出ていたらそれはそれで素晴らしいし、演技であったとしたならば、その努力でファンに夢を与えられているその事実が素晴らしいことだと思う。作り物が悪いというのは、凝り固まった原理主義だ。

社会の一員である僕たちは、誰でも、演技をする。
自分では飾らずにいられていると思うその時でさえ、意図的であろうとなかろうと、少なからず何らかの偽りがそこにはある。
だからこそたとえ最愛の二人であっても配慮は必要だし、親しき中にも礼儀ありなのだ。
それならば、誰が演技する彼女らを批判できようか。

僕の好きなある作品のセリフに「心からの言葉ではない。それを嘘と呼ぶかは、君の自由よ。」というものがある。
このセリフを初めて聞いた当時高校生の僕は、そんなの嘘以外の何物でもないじゃないかと憤った。でも、今ならわかる。そのような言葉は、決して単なる嘘なんかではない。それは、時には優しさであり、愛であり、その言葉は、受け取り手の主観的事実を構成する。

僕は、彼女らが演技である、あるいは演技ではないと断定しているわけではない。客観的事実の問題は、そこには存在しない。
僕にとって、彼女らの振る舞いは、主観的事実であり、そう信じる認知的空間を作りだせるのがアイドルだろう。

話は変わるが、推しというのは、そういう主観的事実関係の構築なのだから、人によって程度は変わって当然だと思う。
ファンなのに○○も知らないなんて!▲▲もしてないなんて!というのは、推すことをマウントの道具か何かと勘違いしている輩の言うことだ。
推しに向き合うことが、推すという行為そのものだと思う。

とどのつまり、

かわいい(って思ってる)だけじゃだめですか?

いいなと思ったら応援しよう!