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帰省、人生を想う

8月下旬、1週間ほど帰省した。

特に大したことの無い事案ではあるのだが、まぁ何かと思考がぐるぐるしていたので、今日は想いのままに文字を綴ってみようと思う。


帰省する前の私の状態だが、まぁ酷く心が疲れていた。

第1に、就職活動の存在である。

絶賛インターン中で、自分なりに頑張ってはいるものの、第1志望の企業に受かるかとか、ブラック企業はやだなとか、それ以前に就活自体を何となく冷めた目で見てしまう自分がいた。

例えば大学受験なら、確かに辛いものではあるものの、「それを乗り越えたら楽しい大学生活」という何となくの共通認識があった。

ただ就活において、(採用担当のポジショントークを除き)ゴールである「就職」とは基本は「地獄」そのものである。勿論、天職に就ければそれは別なのだが、その確率などたかが知れてる。そんなうっすらとした絶望感を抱えていて、メンタルに来ていた。

第2に、新しく配属された研究室の問題である。

研究室のメンバーは私以外全員女性だった。
…というのはある程度配属前から予想出来た事である。しかし、実際に配属されてから、事の重大さに漸く気付き始めたのである。

何かと人間関係の構築に難儀している。
性別が違うとどこか壁が出来がちである。

当たり前だが変に異性意識を育むような言動や、失言の類には気をつけなければならない。

私自身パートナーがいるというのは勿論、女性社会に男性が1人入り、身の程知らずに浮ついた雰囲気を生み出してしまうと、従来の人間関係をぶち壊すサークルクラッシャーと化してしまう危険性もある。

そんなこともあり、研究室では"優しいけど何か冴えない男"で居ようと努めている。結果気が抜けずストレスが蓄積してしまった。

予定のない日はミイラのようにベッドに張り付くような事もザラにあった。そんな状況で、しびれを切らして帰省したという流れ。


今回は、いつもの帰省とは異なり、地元の友達と遊ぶ約束を入れなかった。

勿論、会いたい人はそれなりに居るのだが、前の帰省の際に予定を入れまくったせいで、家族との時間を愉しみ英気を養う筈が逆に疲れてしまったのと、友人と会うと当たり前だが夜飲むことになり夜中に親に車を走らせるのが申し訳なかったからだ。

まず帰省して真っ先に触ったのは、自室に置いてあるピアノだった。
前は熱中していた趣味でもあったのだが、一人暮らしの部屋にピアノなんて置けないから、今は帰省した時だけ弾くようにしている。

曲は、ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」のピアノパート。
攻撃的な歌詞とは裏腹に、流れるような伴奏が心地よい曲。

こうして音を奏でていると、ピアノを始めた頃を思い出す。
私がピアノを触り出したのは中学生の頃で、まらしぃさんという有名なピアノ系インフルエンサーの演奏に一目惚れしたことがきっかけだった。

私も、カッコ良い演奏がしたい。
それからは一心不乱にピアノを触り続けた。

楽譜なんて大層なものは読めないものも、幸い音感が生まれつき良いので、比較的習得は早かった。

折角弾けるようになったのだから、友人にも聴かせたいと思うのは年頃の男の子なら無理もない。

音楽の時間の前に弾いてみた。
友人たちは上手い凄いと褒めてくれて、とても嬉しかったのを覚えている。

ただある時、友人からの歓声の中に、ピアノを昔から習っている人からの蔑みの声が混ざっていて、そこから人にピアノを聴かせるのが怖くなった。

その日以降、滅多に人に聴かせることはせず、演奏はいつまでも自己満足で終わっていた。
私のピアノは、所謂クラシックを弾きまくるような音楽家にとっては駄作も良いとこで、聴くに耐えないものなのだろう。だったら、自分で楽しんでいれば良い。そう思うようになった。

バンドに誘われた事もあったけれど、そんな"化け物みたいな劣等感"を抱えた私が、首を縦に振ることはなかった。

ーただ。
こうして音源と合わせて弾いていると、
自分の演奏が、何かと合わさってひとつの音楽になるのが心地よいのだ。

思えば、私は何を怖がっていたのだろう。

スポーツは、プロ選手のみがするべきものではない。
文章は、作家だけが綴るべきものではない。

それと同じで、音楽もまた、プロのみに奏でることを許されたものではない。

勿論コンペティションのような場では、技量や表現力が明確に求められ、比較されるものではあるものの、学生バンドのようなカジュアルな場でそれを厳密に求めるのは場違いも甚だしい。

実際、学園祭でライブを観てみると、例え少し音痴でも、ミスがあっても、それでもひとつの音楽として成立するし、心を動かされる。

ー「私のピアノも、誰かと一緒に奏でたかった」という微かな後悔の念と共に、ピアノに蓋をした。

心の中に一つ線を引いても
どうしても消えなかった 今更なんだから
なぁ、もう思い出すな

ヨルシカ-だから僕は音楽を辞めた

別日には、家族と釣りに行った。

団子釣りでクロダイを5匹釣り上げた。
釣りは待ち時間が長いけれど、その時間も楽しかった。

こうして帰省を謳歌していると、普段所謂悪習慣として問題視している、スマホの使いすぎや一日中ベッドでくたばる等が一切発動していないということに気付いた。

一人暮らしの頃は無理してでも治そうとして、それでもなかなか治せなくて、そんな自分に嫌気が差していた。

ただ、地元に帰れば苦労せずにそれらが解消されていた。それも簡単な話で、下らないショート動画を眺めるよりも、背中や頭を痛めながら布団に籠るよりも、ピアノを弾いたり、釣りを楽しんだりする方が圧倒的に楽しいし、圧倒的に達成感を味わえるのである。

私は、習慣が全てであり、習慣を頑張って変えない限りは人生は停滞するものだと思っていた。

ただ実際は、逆なのかもしれない。
人生の写し鏡が、習慣なのである。

その人の置かれている人生の状況が、まんま習慣として出力される。

だから、競争社会に揉まれ、人間関係に苦労しているようなストレスフルな人生のフェーズにおいて、悪習慣に苛まれるのは当然なんだなとどこか納得した。

無論、地元での生活も慣れればマンネリ化して悪習慣に沼ってしまうかもしれないし、人生の状況なんてそう簡単に変えられないという問題も存在している。

ただ、あくまで習慣というのはひとつの人生の指標で、乱れているのなら幸福度が低下している証だから、帰省のように自分を労る時間を作ってあげたいと思った。


あっという間に帰省は終わり、東京に向かう新幹線の中で文字を綴る。
総じて意識の低い田舎社会に危機感を覚え、圧倒的競争社会である東京に足を踏み出してから3年。

井の中の蛙が大海を知り、絶望した夜も、圧倒的な感動を覚えた夜も、鮮明に記憶に刻まれている。

無論、この歳で人生を達観し、隠居生活のようなライフスタイルに切り替えるのは早計だとは思う。

ただ、いつか。
時間の赴くままに音楽や釣りに勤しみ、家族と和気あいあいと談笑するような場所を。

私の大切な人と、将来の子どもと、そして私自身に、作ってあげたいなと思った。

おわり

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