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ああ、そうだ、そうだったー"ファンタジースプリングス"体験記

話はおよそ半年前に遡る。

2024年2月、「ミニー@ファンダーランド」を鑑賞して、私の心の中で何かが崩れ去った音が聞こえた。

DPAシステムによる顧客の分断化。
これがどうも心理的に受け付けなかった。

今回も身を引こう、これでしばらくは「最後のイン」になるのかな。そう思いながら舞浜を後にした。京葉線から眺めた東京ディズニーリゾートの景色は、いつも漂わせてくれるノスタルジックな雰囲気と、あれほど好きだったパークがここまで変わってしまったという2つの意味で寂しかった。

半年前の自分は、どうやらそんな事を思っていたらしい。

実際、この日以降、明確にD界隈に潜る頻度は低くなった。
Xは低浮上、普段の興味関心の行きつく先は、私のもう少しの趣味「アクアリウム」に集約されていた。

春休みが終わり、大学3年生に進学した。

講義数自体は少なくなったものの、専門性が増し、日々の忙しさにもまれながら前期をこなしていく。
ーと、同時に、就職活動に向けても動き出していた。

自己分析、企業分析、インターン選考…。
少しずつ、心が荒んでいく様を自分でも実感していた。

自分には価値があるのだろうか?


そんなことを自問自答する日々。
徐々に、これまで築き上げてきた「自分」そのものが信じられない感覚に苛まれるようになった。

そんな中、転機が訪れる。
TDRスポンサー企業のキャンペーンに、3回も当選したのである。

1回目は、プリマハムのキャンペーンで、3月頃に行われていたダイヤモンドホースシューの貸切。

そして、2回目が、先日行われていたカルビーの貸切イベントである。
この貸切イベントで、ファンタジースプリングスのアトラクションを全て無料で乗らせていただいた。

今回は、その時感じた事の全てを、忘れないうちにここに残しておこうと思う。


貸切自体は夜に行われるものの、前日から舞浜入りをしていた。

パートナーの誕生日祝いの関係で、オフィシャルホテルに宿泊した。

こうしてホテルに宿泊していると、思わず「遠方民」だった頃を思い出す。

大学進学前、基本的に東京ディズニーリゾートに遊びに行く時は、宿泊することが前提であった。
中学の修学旅行でオフィシャルホテルに宿泊したのも覚えている。

ロビーに入ると、高校生が修学旅行で泊まりに来ていて、お土産を片手に楽しそうに談笑していた。

ーああ、当時、この場所は滅多に行くことが出来ない、憧れの場所だったんだな。

大学進学後、TDRは「気軽に行ける場所」となった。
授業後に軽く夜ご飯を食べに行ったり、テストのご褒美としてイクスピアリで買い物をしたり、何かしら重要なイベント(ビリーヴ初回、ドリミラス回など)の時には始発でその感動を目の当たりにしたり…。

今自分が置かれている状況は、当時の自分には信じられないものだと思う。

そして、この状況を作り出しているのは、私個人の努力の成果だと言い切るのは難しく、数多くの偶発的要素が重なってのことだった。

そんな自分を見つめてみてふと思う。

私は、私に厳しすぎるのかもしれない。

自分が無価値であることを証明する何かを、無意識に記憶や生活から探している自分。
でも、今置かれている環境は、少なくとも過去の自分から見れば夢のような状況であり、そんなに自分を責める必要はないのではないか。

そんな事を考えながら、眠りについた。


翌日。
チェックアウト時間ぎりぎりまでホテルステイを謳歌し、その後はイクスピアリやお隣新浦安駅でウィンドウショッピングを楽しんでいた。

夕方になり、やることもなくなったので、開園待ちに向かう。

無事前の方で開園待ちをすることができ、持て余した時間をパートナーとの談笑で潰していく。

そうこうしているうちに、あっという間に開園を迎え、皆が一斉にファンタジースプリングス方面に走り出していた。

そんな彼らに軽蔑の眼差しを向けつつ、歩いてファンタジースプリングスを目指す。

とにかく遠かった。
途中、キャストさんの「ファンタジースプリングスまではあと○○分ほどで到着します!」という案内を聞くたびに、FSまでの長い道のりを思い知らされた。

そしてー無事、ファンタジースプリングスに辿り着いた。

ああ…綺麗だな。

ゲストに揉まれながらファンタジースプリングスを一目に見たとき、心の奥底からそう思った。

この感動は、久しく覚えていない。

ー正直言って、人生とは基本的に辛いものだと思っている。

みんな違ってみんな良いとか、努力は報われるとかは詭弁に過ぎなくて、理不尽や絶望に嘆き悲しむ瞬間は私の人生の中でも確かに多かった。

それでも。

心の奥底から、全身が震えあがるような、この魂が震える感動を味わえる瞬間が確かに存在するのなら。

人生は、生きるに値すると思う。


初めに、「アナとエルサのフローズンジャーニー」に乗車した。

複雑なライドシステム、圧倒的映像美、オーディオアニマトロニクス…。

ああ、そうだ、そうだった。

この感動が、私をここまで連れてきたんだ。

そうやって、自身のディズニーで築き上げられてきたアイデンティティを再認識した。


次に、「ピーターパンのネバーランドアドベンチャー」に乗車した。

ーああ…ついにやってしまったんだな。
世界最高のアトラクションが、この場所に出来てしまった。

目の前に広がる信じがたい光景と、高鳴る鼓動と、広がった瞳孔と、止まらない鳥肌を全身で感じて、

私が真っ先に思ったのは、

「ディズニーありがとう」でもなく、

「ここの技術が凄い!」でもなく、

両親に見せてあげたいな」だった。

….あれ、私って、そんな事を思うような人間だったっけ。


正直言って、私は両親が嫌いだった。
基本的に両親は不仲で、喧嘩の絶えない家庭だった。
母親はスパルタ教育、父親は亭主関白といった具合で、両親に向ける嫌悪感は割と最近まで抜けていなかったような気もする。

それはさておき、今私は、観察範囲の中では最高傑作のエンターテインメントが千葉県浦安市舞浜に存在する事を知っていて。

父親はディズニーには微塵も興味がなく、

母親はディズニー好きではあるものの、遠方から遊びに行くことは滅多に出来ない状況で、

私よりは、人生に残された時間が限られている。

そして、この映像美を体感するための視力も、
圧倒的な音響を感じるための聴力も、
この場所に来るための体力も、

何もかもが、失われていく。

別に、親孝行とか、そういうつもりで思ったわけではない。
現に、父親に関しては、ディズニーには興味がない訳で、ただの良い迷惑なのかもしれない。

ただ単に、「別に好きになる必要はないけど、この最高傑作を知らないまま死ぬのは、勿体ない

そんな事を思ったのである。

そんな事を最初に思った自分に、驚きを隠せなかったのである。

後ろでは、家族に連れられて乗車した少女が、大興奮といった具合で歓声を上げている。

微笑ましくもあって、羨ましくもあった。

就活がどうとか、自分の価値はどうとか、両親に残された時間とか、そんな事を考えている自分とは違って、この少女は、今この目の前に広がる感動を、全身全霊で受け止めている。

前の記事でも書いたが、私の中での「感性」は、日に日に荒んでいると感じている。

比較するのも嫌らしいが、ファンタジースプリングスで体験したことすら、中学生の私が35周年期間中に感じた感動を上回ることはなかった。

だからこそ、どこか寂しかった。
これが、「大人になる」ということなのかもしれない。

今まで散々大人を軽蔑し、「こんな大人にはなりたくない」と散々反面教師を作っておいて、結局、今の自分は紛れもなく「大人」に近づいている。

ーそんなことを考えていたからか、


最後にピーターパンに、

いつまでも子どものままででいてね。

と言われて、








うわっと、涙が止まらなくなってしまったのだろう。



「ラプンツェルのランタンフェスティバル」も、「フェアリー・ティンカーベルのビジーバギー」も、それはそれで楽しかった。

短すぎるという批判もあるようだが、技術や世界観の作り込みの面ではやはり非の打ち所がない。

特に、「フェアリー・ティンカーベルのビジーバギー」の世界観の徹底ぶりには驚かされた。
「あれ、今のTDSってこんなBGS大事にする場所だっけ」と、ショーパレ界隈にいる私ですら感心させられる有様である。

隙間時間でビリーヴも鑑賞し、インディを〆として、貸切パーティーはお開きとなった。


ああ凄かった。
ディズニーへの批判を口にすることも少なくない筆者ではあるものの、改めてそう思った。

でも…この体験は、限られたゲストにしか出来ないのだろう。

今回は運が味方し貸切パーティーという形で全てのアトラクションを無料で体験することが出来たが、本来なら「ファンタジースプリングス・マジック」が必須になる。

そう思うと、どこか複雑な心持ちになる。

この蟠りは、キャンペーンで当選したパークチケットで、リーチやDハロを体験してからまた整理してみようと思う。

…が、今回のインで改めて実感したが、「TDRを超えるテーマパーク」が関東圏に出来ることは、まだまだ先になるようだ。

少なくとも、この日に感じた体験と同等のものを味わえるテーマパークは…なかなか探すのが難しい。

今年の夏は、良い夏だった。

感謝の一言くらい、言ってもバチはあたらないだろう。

ファンタジースプリングスを築き上げた全ての関係者の皆さん、
本当にありがとうございました。

おわり


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