時には昔の話をしてもいいもんだ
近所にお気に入りのカフェというものができた。
最近は勝手に料理の写真を撮って提出したら気づいたらメニュー写真に使われていたりする。とても嬉しい。
し、Instagramのストーリーにちょこちょこ行ってる事をアピールして気になる人を増やすというのにハマったりもしてる。(逆効果かもしれない)
そこに色々な人を連れて行く、というのにもハマっている。
こないだも、近所に引っ越してきたお姉さんを誘って行ってきた。
その方は15年くらい前、
僕が25才の頃に高円寺で一緒に飲ませてもららう事があった。
その後暫く高円寺を離れていたけどまた戻ってきてご近所さんになって、
近所にいいカフェあるけど行きません?とややドヤ顔で誘ってみた。
そのお姉さんとは会うたびに昔話をする。僕もお姉さんも昔話をするのが好きなんだと思う。そして、出会った頃の話をした時に「とら君はカメラマン志望とは聞いてたけどコールセンターで働きながら高円寺でたまに楽しく飲んでるゲイの男の子って印象だったよ」というような事を言われた。
それを言われて今更気づいた事がある。お姉さんと出会った25才の頃の僕は、拘束時間が長かったテレビ関係の仕事を「カメラマンになりたい」と啖呵を切って辞めて、色んなバイト(「コールセンター」「スーパー銭湯」「ゲイバーの店子」「ゲイビデオのモザイク入れ」)を掛け持ちして、でも今までと違って時間に囚われず飲めるようになって好きな人と楽しく飲める幸せを噛み締めていた時期なんだと思う。そんな生活を30才くらいまでしていた。
カメラマンになりたい と言って、定期的に写真展や細々とお仕事を貰ってはいたものの、自分から仕事ください!とがっついてった記憶はほぼなく、ちゃーんとフリーター生活を謳歌していた。
30才の頃、ゲイのタメ飲み会というものに誘ってもらって色々話をしている時に とら はどんな仕事をしてるの?と言われて正直に「フリーでカメラマンだけど仕事はあんまりないので色んなバイト掛け持ちしながら生活してるよ」というと、ちょっとした顔見知りからは「あんたもう30歳よ!保険とか納税とか蓄えとかちゃんとしてる?いつまでも夢見てちゃだめよ」というような事を言われたのを覚えてる。その時は、うるせーよ!なんてちょっと苛立ったりもしたんだけど、今冷静に自分のその頃を客観的に見ると、そりゃあ心配されるわな…と思った。あの頃は薄い返しをしてすんません、心配してくれてありがとう。
夢を語るにはガッツが足りなかった、んだと思う。
結果31歳で店子をしていた店のオーナーから2号店を出すけどやってみる?と言ってもらって、ゲイバーの雇われママ兼フリーのカメラマンという肩書きになったんだけど、それも誘われてなかったら自分からは動いてなかったんだろうななんて想像すると40代になった今どうなっていたのかとゾッとする。「if もしも」ってドラマが好きでした。
そんな事を思い返せたりするから、昔話で気づきを得たりもするから好きなのかもしれない。昔話ばっかりにしてたら今を見れなくなっちゃうかもだから気をつけないとですけどねぇ。
話を戻すと、近所にお気に入りのカフェができました。
「souvenir Cafe」(スーヴニールカフェ)
souvenir(お土産)という名前の通り、ふらっとお土産話をしに行きたくなるような空間です。持ち帰りの時の一瞬だけでも。先日2周年を迎えまして、おめでとうございます。
みなさまも良かったらご贔屓に☕️