自分の中の邪心との戦い
最近札幌の実家に帰る度に、叔父さん(母のお兄さん)から母に毎日のように電話が来てちょっとボケちゃったのかねぇって話をしてた。そして先日亡くなったという連絡が来た。
今回帰省した時に色々話を聞いた。
毎日のように来ていた連絡が途絶えて、心配はしたけど、なんせ同じ北海道の中でも距離があり(札幌と叔父さんが住んでいた白滝は250km位離れてる)
歳を重ねた両親には気軽に行けない場所にもなっている。
そして数日して、自宅に配達に行った人が倒れている叔父さんを発見したという事だったようだ。
その話を聞きながら、自分はトッキーを発見した時の事を思い出した。
思い出した、というにはそこまで深い所には潜ってない思い。
そして一瞬「もう少し早く誰かと連絡とって発見早くできたらよかったね」
と言いかけてしまった。そして、すぐやめた。
これはきっと、当時の自分の悔しさから出る邪心だと思った。
と、同時に、実のお兄さんが亡くなった話を淡々とする母が強くもあり、強がりすぎてないか、とも思った。悔しいのは母も一緒、というかもっと強くもっと寂しいものだと思う。
でも、家族とはいえ、その根本的な思いはわからないものだとも思う。
だからこそ、気持ちを汲み取ると言う事を家族だからと言って蔑ろにしてはいけないんだとも思う。
こういう、自分の中にある邪心が、ふわっと現れて、それと向き合わなきゃいけないことが、日々、日常の中にも、急な出来事の中にも転がっている。
自分の瞬発的な気持ちに、自分で軽蔑したり、自分でショックだったり、
そんな事と向き合わなければいけなくもある。
だからこそ、その邪心と戦って、口から出る言葉、こういう所に書く言葉だけは慎重でいたい。
華原朋美さんの「tumblin' dice」というとても変な、そして大好きな歌に
「私は自分といつまでも付き合っていかなきゃならないから」
という一節があって、発売の26年前からこの部分が刺さっていて、いまだにこの言葉を思い出す。それくらい自分の中では重要な歌な気がする。
この歌のMVは違法のしか上がってないので、最近お気に入りの
THE TOMBOYS の「Life is」という歌を代わりに。
MVの最初アラーム音ではじまってるのでドキッとするかも注意です。
あと、僕がnoteの中でも大好きな「ですけ」君が書いた「母がいた」
こちらが、朝日新聞さんからの取材を受け記事になったそうで、なんだか勝手にとても嬉しいです。好きなものが、評価されるのはやっぱり嬉しいと再確認しました。僕が言う事じゃないと思いますが、よかったら読んでみて下さいね。
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