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私なりの断捨離の基準は「散乱」だった。

断捨離の基準はいろいろある。
ときめくものとか、この一年間に使ったものと、時々しか使わないけど必ず必要になるもの(冠婚葬祭用)とか。

でも、ちょっと思いついてしまったのだ。

もし今、大地震がきたとして。
そして運よく家は壊れず、自分もたいしたケガをせず、だっとして。
それでも大地震だから、ありとあらゆるモノが散乱したときに。

ひとつずつ拾い集めて収納し直す作業を、自分はどう思うのか。

本当に大切なものなら、ひとつひとつ拾っては収納し直すだろう。
ちょっとくらいなら壊れても、修理するかもしれない。

でも、そこまで大切なものではなく、惰性で置いてたものだとしたら。
たぶん処分せず放置してた自分を恨みたくなると思う。

あ~めんどくさい!
こんなことになるなら、さっさと処分すればよかった!って。
もしその「モノ」がガラス製だったりしたら、片付けはもっと大変になるし。

万一、その「モノ」が散乱したせいで、自分や家族やペットに被害が出たら。
それはもう、きっとすごい後悔をすると思う。
こんなもののために!って。

だから「散乱しても後悔しないもの」を保管するようにしたい。
それ以外はいさぎよく手放したい。

もちろん、なるべくなら散乱しないように、すべり止めなどの工夫をすることも怠らずに。

この基準で考えると、今まで無意識に聖域扱いしてたものが、だいぶ減らせることに気づいた。

モノを減らすとどんないいことがあるのか。

べつに私はミニマリストになりたいわけではない。
どちらかというと「使うところに使うものを置いておきたい派」なのだ。

それでもモノを減らしたいと思っている。
それは今現在、部屋にいて「落ち着けない」からだ。

本が好きだから、本がたくさんあることは嬉しい。
なんならブックカフェのような家にしたいとも思っている。

しかし、今は本がありすぎて、そのうえ整理も出来ていない。
整理をする以前にある程度減らさないと、整理も出来ないレベルだ。
だから減らしたいのだ。

散乱しても納得できる本に囲まれて暮らしたい。

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あさのしずく
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