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永遠に分かり合えない人。
幼稚園・年長の時、インフルエンザの予防接種があった。
摂取後、教室に戻って少ししたら、どうも体調がおかしくなった。
目の前が青くなったり黄色くなったりする。
顔から血の気が引くのが分かる。
このままでは倒れるかもしれない、と思ったので先生に言いに行った。
ところが、私は当時、年長さん。
語彙が少ない。
この体調不良を的確に表す言葉をなにひとつ知らなかった。
「せんせい・・・」と話しかけた後、何も言えないまま結局私は崩れるように座り込んだ。
その幼稚園は1クラスが50人のマンモス幼稚園だったので、担任のほかに補助の先生もひとりいた。
私は担任の先生に抱きかかえられて保健室に運ばれた。
保健室に着くと、予防接種を担当した医師はもう帰った後だった。
仕方ないから私はベッドに寝かされて様子をみることになった。
その頃には体調不良はだいぶマシになってきていた。
やがて保健室に母親が入ってきた。
私が具合が悪くなったから、先生が呼んだらしかった。
幼稚園から遠いところに住んでいる私は、ふだん園バスで通園している。
母親は私を迎えにいくるために自転車に乗ってやってきた。
帰りには私を後ろに乗せないといけないから、たぶん3歳の妹は留守番させたか、近所に預けたかしたのだろうと思う。
つねに園バスで行き帰りしていた私は、具合が悪いとはいえ、母親にむかえに来てもらって一緒に帰るのが嬉しかった。
幼稚園近くの子はいつも親が直接迎えに来て一緒に帰ることになっていたからだ。
年中・年長と2年間通ったなかで、はじめて母親と一緒に帰れる。
しかし母親は私を自転車の後ろに乗せて走り出すと、開口一番こう言った。
「あんた、ほんとに具合悪かったの?ちっとも悪そうに見えないけど!まったく恥かかせて」
まだ回復しきれていなかったうえに、語彙の少なかった私は反論する気になれなかった。
ひとこと「わるかったんだもん」と言ったきり。
翌年、小学校1年生の時に、私はたまたま腹痛を起こした。
授業中にお腹が痛くなったので、保健室に行き休ませてもらった。
少し休んだらよくなってきたので、次の休み時間まで休ませてもらって、その後は教室に戻ろうと考えていた。
しかし気の利きすぎる保健の先生は、勝手に母親を呼んだ。
保健室に入ってきた母親は、保健の先生に愛想をふりまきながら何度もお礼を言った。
私にも輝くような笑顔を向けて「どうしたの~しずくちゃん。こまったわねぇぇぇ」と言った。
イヤな予感がした。
案の定、自転車の後ろに乗せられて帰る途中、「具合なんかちっとも悪くないじゃない!まったく親に恥ばっかりかかせて!!」と言われた。
どこからどう反論すべきか分からなかった。
ただ「親が迎えに来た時点で苦しんでるようなら、親なんかより救急車を呼んだほうがいいレベルだ」とは思っていた。
私は、このふたつの事件をとおして学習したのだ。
親に頼ろうとしたら自分が痛い目をみる、と。
基本的に親に頼ってはいけない。
自分で出来ることは自分でする。
子どもだから限度はあるが、自分で出来ることプラスアルファのあたりまでは自分で頑張ること。
それ以後は、体調が悪くても基本的に保健室には行かない。
行っても、先生が家に電話をかけそうな空気を察したら「なんかよくなってきたので(教室に)戻ります」と言う。
もちろん体調不良&保健室の件以外でも、なるべく親をあてにしないことを心がけた。
それから30年くらい経っただろうか。
大人になって(私も小学生の子を持つ身になって)、母親と外食をしていた。
なにかの話のついでのように母親は「それにしてもあんたには恥をかかされたわねぇ」と言った。
隣のテーブルのおばさま二人組がびっくりして耳をダンボにしている。
「我が子に恥をかかされる」という発想が理解できない。
仮にそういう事態が発生したのなら、それはそういう子どもを育てた親に責任があり、それはすなわち自分の責任ということだ。
なぜそんなに他人事のように言えるのか。
何十年経っても、この人とは分かり合えないんだ、と思った瞬間だった。
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