ダンナの話し言葉がおやじ構文だった。
以前ダンナに、「おやじ構文」の話をした。
すると彼は、おやじ構文という言葉そのものを知らないと言うではないか。
それで、かくかくしかじか…と説明したことがあった。
おやじ構文のなんたるかを知った彼は「気持ち悪い!そんな文章、絶対送らないよ」と断言していたので、私も安心していた。
しかし最近、気がついてしまったのである。
彼がおやじ構文を使っていることに。
とは言っても、彼がおやじ構文を使う相手は私と息子に限られる。
部下にぶちかますような真似はしていない。
(…と信じたい)
このように書くと、きっと私のダンナがLINEなどでおやじ構文を駆使して連絡してくる…と思われるだろう。
否。
LINE上での彼のやりとりは短文のみ、といたってシンプルである。
彼のLINEがどんなものかというと。
無駄な語尾や、カタカナや、絵記号などまったく使わない。
スタンプもめったに使わない。
了解を「りょ」と略す若者たちと通じるものすらあるではないか。
それならダンナは、おやじ構文をどこで使うのか。
なんと口頭である。
ぶいぶいぶいぶい。
響良牙(ひびき・りょうが)か!!
(らんま1/2に出てくる、主人公・早乙女乱馬のライバル。水をかぶると黒い子ブタになり、その鳴き声は「ぶい」である)
彼が語尾にピースマーク(ぶい)を付けていることに、ずっと気がつかなかった。
あまりにいつものこと過ぎて、聞き流していたのだ。
しかし冷静に考えるとこれは、指を2本立てるあの…ピースマークである。
そして興が乗ると、身体を右斜め45度にひねったうえで腰を軽く落とし、左手で実際にピースすることもある。
(うまく表現できないが、ちょっとキモチワルイ…)
ここでトップ画像を再掲する。
彼のセリフ(口頭)を、LINEで再現してみたものだ。
本物のおやじ構文だ。
いっておくが、私はおやじ構文の「文法」を毛嫌いしているわけではない。
自分では絶対にやらないが、あの文法を駆使したくなる心理は分からないわけでもない。
要するにアップデートできていないだけだ。
若かりし頃に覚えた、「イケてる文例」を何十年も使い続けているのだ。
でもそれも仕方ない。
祖母が私に手紙をくれるとき、その文章はいつも古めかしかった。
…というか、古めかしいと感じられた。
しずくちやん、お元気でせうか。
ちゃんではなく「ちやん」だし、しょうかではなく「せうか」だった。
そういう時代に文章を習ったのだ。
当時はそれが当たり前だった。
これと一緒だと思う。
文章は時代と共に少しずつ変化する。
変化することに、良いも悪いもない。
アップデートする機会、そしてその意志のあった人となかった人。
違いはそこだけだ。
自分と違う文法を使うからという理由だけで毛嫌いするのは、どうかと思う。
しかし文法自体が嫌いなわけではないのに、ダンナのおやじ構文口調を弾劾するのには理由がある。
うっとおしい。
洗濯干し終わったよ、ぶい。
なぜ、「ぶい」がうっとおしいのか。
おそらく、ぶいの一言に込められた「意味」がうっとおしいのだ。
お前は子どもか。
私はお前の母親か。
ダンナのぶいは「褒めて」アピールなのだ。
あああああ、うっとおしい。
それくらい褒めてやればよかろう。
適当に褒めてやれば満足するのではないか。
たしかにそうなのだが。
そうなのだろうが。
うーむ・・・。
そういうのは苦手で困っている。