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街の工作室を開き、1年経って思うこと─ものと地域の接点で

墨田区京島に引っ越して1年半が過ぎた。2023年の8月にオープンしたものづくりスペース「京島共同凸工所」も静かに一周年を迎え、徐々にだが街とのつながりが濃くなっていく。先日、縁あって「地域の人」として喋る機会をもらったので、そこで考えたことの備忘録として残しておく。

曳舟文化センター主催:地域と関わる暮らし方講座2024 第3回にガイドとして参加した

地域と関わる、必然性はないのだけれど

30歳までに5度引っ越したが、電車通学ばかりで点は面にならず、ようやくの社会人はリモートワークと重なり、ついぞ地域というものには縁が薄い人生だった。でも、どこかで故郷や地元という概念への憧れは残ってて、そんなモヤモヤを抱えた人たちが講座を受講するのだろうと思った。

「地域と関わる」講座のガイドが言うのもなんだが、コロナ禍が証明してしまったように、世の中は地域と関わらなくても生きていける方向にシフトしている。首都圏、ベッドタウン住まいが続いた僕の記憶に残る風景は、学校を除けばダイエーとオーロラモールくらいのものだ。暮らす場所と記憶が重なる場所は、必ずしも一緒ではない。

電車や自転車で、点と点を繋ぐような暮らしが続く

工房を起点に街を知る

僕が幸運だったのは、大学で3Dプリンターやデジタルファブリケーション機材と出会い、各地でファブラボや市民工房を運営する先人たちの活動を間近で見れたことだ。ツールとしては概ね共通していても、工房には利用者や地域の特色が色濃く残る。その場所ならではの話を聞くのは楽しくて、いつかは自分で工房を持ってみたいと思っていた。ただ、それはいつ? なんのきっかけで? その尻尾は掴めずにいた。

もう一つの幸運は、ライターとしての食い扶持ができたことだった。無邪気なチャットに興じた小学生時代から、友人のいない浪人時代まで心を支えたインターネット。ブログやmixiの枠を超え、商業メディアで原稿料をもらえるようになったのは、技術を平易な言葉で表す需要に合致したからだと思う。メディアや編集者の人たちにも恵まれた。

社会人最初の2年半は、大学で週4日働きながら、ライターとしての仕事を続けていた。独立してからしばらくは文章ばかり書いていたが、たまたま取材で京島に訪れ、尋常ではない密度の催しと人々に惹かれていたら、工房を建てるプランを耳にした。そういえば、僕も自分でラボをやりたかったのだ。きっかけがあるとしたらコレだと思い、自宅に居続け貯まったお金をはたきつつ、賃貸の更新を前倒しで引っ越した。

わからないから記録する

工房の内観

準備はなんだかんだで半年ほどかかり、その間に街の知り合いもできていく。場所の運営なんて初めてだったので、わからないなりにエイヤでスタートを切った。老若男女がいる街で、誰が何のために使ってくれるのかは分からない。取材で聞いた「地域の個性」たるものが、どう現れるのかを自ら見届ける立場になった。聞くのとやるのじゃ大違いだ。

いざオープンしてみると、学生時代の友人知人、ライターの仕事でお世話になった方、検索や偶然でたどり着く地域の方々などなど、それはもう多様な人々が訪れる。全て嬉しい限りなのだが、この場所の特色として浮かび上がってきたのは、場所やイベントを支えることの価値だった。

ピンポン台やコーヒースタンド、店の看板などを工房でサポート

飲食店やコワーキングスペースの新装開店、毎週のようにどこかで催されるイベントの数々。技法の積み上げではなく、そうした出来事の必要性からラボへの相談が来ることが多く、イラレやCADを使えることが当たり前みたいな自分の価値観を改めざるを得なかった。それでも、ものづくりを通じて街に自分の関係する場所が増えていくことはシンプルに嬉しかった。

日々の記録を綴じ、また街に還す

そんな街の出来事の多さに圧倒され、記事というフォーマットでは表しきれないと感じ、次第に日記という手段を選ぶようになった。「すみだ向島EXPO2023」の会期に合わせ、毎日1500字ほど書き連ねた日記は、思いがけず多くの人に受け入れられ、再構成した書籍版も現時点で100冊近くが世に出て行った。

本の製作はほぼ思いつきだったのだが、編集や印刷会社の方々と話を重ねる中で、少部数かつ工房運営者ならではのアイデアが溢れ、レーザーカッターや3Dプリンターを駆使した特殊なプロダクトに仕上がった。ものかきとして書いた文章を、ものづくりでラッピングした、今の自分の代名詞のような作品になったと言えるだろう。

完成した本は工房のほか、近所の一箱本屋、電子工作系のイベントなど多くの場所に持っていった。街のために作るものとはアプローチが逆方向の、自分を街に導くための存在だ。街で吸収したものを形にして、また街に還元していく。そういうプロセスが街の工房ではできるのかもしれない。

Zoomの先にあった「もの」

先日、出身研究室の春学期最終発表会に招かれ、現役学生達の作品や言葉に触れる機会があった。Amazonで3Dプリンターが3万円で買える現在、あえて大学でデジタルファブリケーションを学ぶ意味とは何なのか。技術だけなら自習で良いのか、どんなテーマを立てれば良いのか、時代の節目で悩む姿が印象に残った。

ではなぜこのゼミを選んだのかと聞けば、自分の高校にあったファブスペースでの活動、地域のファブ施設でのインターン、2週間で街のアイテムを作る特別プロジェクトなどでの経験に刺激を受けたのだという。

僕が淡々とリモートワークに勤しんでいた頃、学生達はZoom越しに長い時間を過ごしていたという。初めてリアルに出会った時の喜びは忘れられないらしく、なるほど「物理的に時間を共にする」ことの価値が高まり、街や地域とのつながりを切望するのかと合点した。

研究室の一角にて。自然に還る3Dプリント品「葉が記」の一部だろうか

ものが街と繋げてくれたこの一年は幸運の連続であり、あのとき工房を始める決断をしたのは本当に良かったと思う。場所の価値を体感できたからこそ、一人の工房運営者として続けていく方法を考えねばならないし、それを求める人たちにも開かねばなるまい。

このタイミングで「地域の人」として喋る機会をもらったことは、おそらく偶然ではないのだろう。かつて自分がもどかしさを感じていた「点」にならず、「線」や「円」として広げるアクティブさも持ちながら、2年目の地域と接していきたい。


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