181123平海maru700-350

中国海軍巡洋艦 寧海・平海

平海(ピンハイ)は寧海(ニンハイ)の姉妹艦で、1930年代中華民国海軍が保有する最大の軍艦であった。3000トン級の軽巡洋艦で、長江を航行するため喫水が浅くなっている。

寧海は相生の播磨造船所が建造し、1932年に中国に渡った。平海は上海で建造し1935年に進水、艤装工事は播磨造船所で行うことになった。上の写真は、1936年、艤装工事を完了した平海である。艦首前方の島影から相生湾であること、時期は1936年夏であることがわかる。

1931年、日本陸軍が満州事変を引き起こしたが、寧海は1932年に契約どおり中国海軍に引き渡しが行われ、平海は1936年に日本で艤装工事を行っている。このことから、日本海軍は中国海軍と対立していなかったことがわかる。

馮青氏は論文「八角三郎と中国海軍再建論」で、日本海軍には中国海軍を再建しようという構想があったと述べている。寧海・平海は構想の先駆であり、中国は苦しい財政状況のなかで建造を決断したのである。

1937年、日中戦争が勃発、寧海・平海は南京の近くで空母加賀など日本海軍航空隊の攻撃を受け擱座する。1938年、寧海・平海は浮揚されて日本に回航、寧海は相生、平海は佐世保に係留された。

太平洋戦争中の1944年、寧海は五百島、平海は八十島と改名されて日本海軍に編入され、戦線に出撃、米国海軍の攻撃を受けて沈没した。


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