『働き方改革の世界史』
濱口先生の新しい本ということで、面白そうだったので読んでみました。
英米仏独と日本の労働組合の役割とその変遷について、12冊の本を紹介する形でまとめられています。もしかしたらもう少し前の世代の方には、労働組合とか労働運動は常識なのかもしれませんが、30代の私にとっては非常に新鮮に感じました。
また、日本型雇用の特殊性、あるいは三種の神器の一つとして、企業内組合が挙げられますが、これがどれほど特殊なのか、よく理解することができました。
1.労働組合の基本
本書ではまずウェッブ夫妻の『産業民主制論』が紹介されています。そこでは、ジョブが生まれる前のトレードの時代における、労働運動について整理されていました。
ジョブが生まれる前、すなわち企業が規定した職務ではなく、職人たちによる職業が幅を利かせていた時代において、トレード・ユニオン(≒労働組合)の大きな役割の一つに、集団での交渉力を活用して、労働力の値段を上げることがありました。あくまで労働力は一つの商品であって、労働者はその商品をいかに高く売るのかという観点から、組合を作ります。
当時は職人たちが労働の現場を回していました。そのため、職人たちが「その値段では仕事はやらない」と団結した場合、その企業の仕事が回らなくなります。それどころか、企業を横断する形で組合が形成されているため、その産業自体が回らなくなってしまいます。
同時に、こうした交渉力を維持するために、組合外で勝手に労働力の安売りをすることを防ぐということも行っていました。
これに対して、資本家たちは「労働力を独占的に販売することはけしからん」として、労働組合による運動を、反トラスト法(独占禁止法)で取り締まっていったそうです。この状況が変わったのは、第二次世界大戦直前だそうです。
2.各国の状況
アメリカ
アメリカでは、20世紀にジョブ型の雇用管理が誕生します。その背景にはテイラーによる科学的管理法がありました。
職人たちによるトレードから、経営者が経営的視点から規定したジョブへと移り変わると、従来のような熟練の職人でなくても、生産活動が行われることになります。そのため、組合もこれまでの同種の職人たちによる組合から、同業種の労働者たちによる産業別組合へと変わってきました。
産業別組合では、新たに生まれたジョブという概念に対して、「ジョブ・コントロール」というある種の権利を勝ち取ることになります。もっともジョブ・コントロールは、その根底にあるジョブを、経営者が独断で規定することになり、それに乗っかる形での権利です。そのため、一見すると労働者たちの権利のようですが、ある意味で苦肉の策であるということを、筆者は指摘しています。
ジョブ・コントロールとは、「決められたジョブ以外はやらない」「解雇が必要な場合に誰を解雇するかその順位は労働者側が決める」「労使間のトラブルは苦情処理制度で対応する(=企業外の組合による運動ではなく、職場組合の制度で処理する)」といったものです。
そして交渉力を増すために、組合員以外を雇用してはならないという「クローズド・ショップ」制度も、企業側に約束させていました。
ジョブ・コントロールは、経営者側の権利と労働者側の権利を明確に線引きし、お互いに不可侵であることを約束する制度といえます。
これが行き過ぎると、1980年代のアメリカで起きたような、競争力の低下につながったようです。というのも、極端な例を言えば「通路のごみを拾うという労働者の仕事を、監督者が行った場合に、苦情申し立ての対象となる」といったことや「生産性や品質の向上は経営側の専任事項であるから労働者は口を出さない」といったことが起きるようになりました。企業の運営に協力してほしくても、協力してもらえない、そうした状況になってしまいます。
日本でジョブ型雇用というと想起される、こうしたおかしな職場になってしまったのです。
結果的に産業別組合の組織率の低下も進み、アメリカは今となっては「ノンユニオン型のジョブ・コントロールなきジョブ型社会に落ち着いた」とのことです。賃金をはじめとする労働条件は、市場経済に委ねられることになります。
イギリス
産業革命がいち早く起こり、トレード型の労働組合が誕生していたイギリスですが、ジョブ型へはなかなか移行しなかったようです。その結果、職務に関する交渉を職場ごとに勝手に行うこととなってしまい、経営者にとっても労働組合にとっても、管理不能状況に陥ってしまいました。
例えば、「職場ごとに勝手に賃金交渉を行っていて、まとまらないと職場ごとにストライキをする。ストライキをしてはじめて、経営者や労働組合はそのような交渉をしていたことを知る」というくらい、管理不能でした。そうなると、職場ごとに時間外労働の拒否が行われたり、怠業により生産性を低下させたりと、やりたい放題の状況になってしまい、国全体として生産性が低下することになってしまいます。
こうした状況は、サッチャー政権において、労働組合の弱体化が図られる一方で、失業率が増加して失業の恐怖を労働者が感じることになって、初めて改善?されていくのでした。。。
ドイツ
ドイツの労働組合はドイツの歴史の影響も大いに受けて、他国とは違った成立をしていきます。
ドイツでは史上初の総力戦となった第一次世界大戦中に、国としても労働者の協力を勝ち取るために、労働組合の地位が向上しました。そして第一次世界大戦敗戦後の混乱期には、企業横断的な労働組合と、各企業での事業所委員会という、二重体制が法律で定められました。ナチス政権~第二次世界大戦敗戦を経て、これらの制度は復活し、今日のドイツの競争力を生み出しました。
のちに日本の特殊性でも説明しますが、要は企業横断的な労働組合によって、労働条件の向上を目指す一方で、企業内の事業所委員会という形で労働者も経営に関与し、時に労働問題を協議し、時に経営に協力するというように、経営者と労働者が二重に係る仕組みです。
特に労働者が経営に協力するという点が非常に重要で、基本的に労使の対立構造を前提とする米英では考えられないような体制が構築されることとなりました。
フランス
フランスは雇用分野ではかなり特殊な国です。強力な学歴による選抜が行われ、労働者と経営者の距離が非常に離れています。グランゼコール出身のカードル層が経営側となり、それ以外の労働者側と対峙する。こうした世界では、労働者は経営の歯車とならざるを得ず、働くことの意義を見出すことは難しくなります。
労働組合も主義やイデオロギーなどの差異に基づいて乱立していて、同一職場内でも複数の組合の組合員が存在するような状況のようです。
3.日本の労働組合の特殊性
基本的には、企業横断的な労働組合から、労働者委員会により個々の企業における労働者による経営への協力を模索してきた国々と異なり、日本では労働組合が企業ごとに存在し、一方で横断的な労働組合はあまりありません(企業別組合の上部組織として連合などは存在しますが、連合が個々の企業と団体交渉するわけではないですよね)。
ここで鋭い指摘として、労働者がその立場から経営に協力するという関係と、労働者が労働条件の向上を勝ち取るために経営と対立する関係が、一つの企業内組合において併存する形になっている、ということになります。こうした二つの関係を一つの組織で維持することは非常に難しく、どうしても前者が優先されてしまい、後者が影を潜めてしまいます。
結果的に、労働者による経営への協力は幅広く進みましたが、一方で労働条件の向上を勝ち取ることはあまり進んでいない現状が、今の日本であると考えられます。労働条件が向上することがない状況では、組合の存在意義が低くなり、組織率の低下につながっていきました。
4.今後の展望
民主党政権時代に、従業員代表制を法定化しようとしていました。しかしながら連合が、自分たちの存在意義を低下させることにつながることから、反対し、今に至っています。
現状では、ドイツのような労働組合による労働条件の向上と、従業員代表制による経営への協力という、役割分担が、企業の競争力を向上させ、加えて労働者の地位を向上させるためには、最適であると感じました。
また本書を読んで日ごろから考えていたことが形になってきたのですが、例えば新しい人事制度を構築する際には、労働者側の協力が不可欠です。協力を得るためには、制度を構築する段階から関与してもらうことが重要です。自分たちも関与し一緒に考えた制度だからこそ、納得感が得られるのです。
これは普通の労働者からすれば「面倒くさい」と感じるかもしれません。ですが、これこそが自治の本質であり、企業という共同体への奉仕であるはずです。自由の裏側にはこうした責任が伴います。責任を果たせないということであれば、自由を勝ち取ることもできません。
一方の経営者の立場からすれば、「労働者からの関与なんて困る」と感じるかもしれません。しかしながら、労働者のコンセンサスを得ることができなければ、新しい制度を活用することはできません。今の時代、自律側の組織をいかにして作り、自己学習を進めていくかが、企業の成長において欠かせないキーファクターとなっています。
この考えをどのように実践するかは、まだ十分な検討が必要であると思いますが、私が関与する企業においては、この視点を忘れずに対応したいと考えています。