『アメリカ自動車産業』

アメリカの自動車産業の、特に生産現場における現状や問題・課題について、詳細にまとめられた本です。とりわけ、1980年代の日本車とドイツ車の席捲により壊滅的な打撃を受けた後の、改革の様子が記されています。

生産現場の話ではありますが、その多くは現場における人事・労務管理の問題、あるいはアメリカのブルーカラーに通じる構造的な問題という感じがしました。
 5年くらい前に一度読んでいたのですが、改めて読み直すと、知識が増えていることもあって、さらに深く読むことができました。

1.同一労働同一賃金による「平等主義」と先任権による「年功的処遇」

一般的にアメリカは競争主義社会と言われますが、特にブルーカラーの職場では、「平等主義」で「年功的」であると筆者は指摘します。

まず平等主義というのは、「同一労働同一賃金」原則に基づき、個々の働きぶりは評価されず、マニュアル通りに作業をすることが求められ、同じ作業をしている人には同じ賃金が支払われる、ということです。
 日本人の「頑張っている人は評価してあげたい/評価してほしい」という感覚と馴染まない点だと思います。ですが、その分マニュアルがしっかりしていれば、定常業務はどんな人でもこなすことができる、という観点から構築されています。

続いて年功的というのは、昇進や移動、レイオフ(一時解雇)やリコール(レイオフ後の再雇用)は、勤続年数順で行われる、という先任権が広く認められているということです。先任権はあまり日本では知られていないと思いますが、本書では度重なる労使交渉を経て、先任権が認められ、範囲が拡大してきたその経緯がまとめられていて、非常に参考になります。
 年功的処遇の根底にあるのは、「人が何らかの評価を行うと、公平な判断にならないかもしれない」という観念にあると感じました。端的に言えば、白人の職長が黒人の作業者を理不尽に低評価にするかもしれませんし、宗教的な違いから評価を曲げてしまうかもしれません。
 そのため人が介在しない優先順位付けを考えて、先任権という勤続年数に基づく権利が重要視されてきたのだと推察します。

2.進まない改善活動

トヨタ生産方式と呼ばれる、トヨタ自動車の向上で進められた生産方式・改善手法は、日本のみならず海外でも高く評価されています。ところが、アメリカで同じことを行おうとしても、特にヒトに関する問題で、うまく運用ができないと指摘しています。

日本の経営の特徴は、大雑把にいうと、作業者自身による改善活動によって現場のムダを省き、それで工数が減ることによって、現場要員数を無理なく減らす仕組みができていることにある。その改善活動で優れた者がさらに上のポストに昇進するという能力主義が改善活動を支えていることはいうまでもない。この「能力主義→改善→工数低減→要員削減」の仕組みが回らないのがアメリカである。

日本では雇用保障も手厚いですし、内部昇進も柔軟に行われるので、工数を削減して要員が減っても、あまり困る人がいません。しかしアメリカでは様相が一変します。内部昇進はほとんど行われないし、雇用保障もないのですから、要員減=誰かの解雇に繋がります。そのため、現場レベルでは改善活動に対するインセンティブがほとんどないことになります(作業が楽になる、という改善は現場も積極的のようですが)。
 筆者は非能力主義がその要因としていますが、むしろ雇用管理制度の影響の方が大きいと感じました。

また、改善活動は本来現場の作業者が積極的に関与することが求められます。しかしアメリカでは、職務主義で作業が決められていますので、改善活動のような非定型業務を行うことは容易ではありません。非定型業務を評価する仕組みもありません。
 結局、現場のリーダー(職長)が中心となって改善活動を行うこととなりますが、そもそも職長は現場からたたき上げで昇格した人ではなく、現場を熟知しているわけではありません。加えて、現場作業者(=労働組合員)と異なり、経営側ということで非組合員という立場なので、本質的に対立する立場となります(この辺り、日本の企業内労働組合が経営と協力してきた、という流れの特異性を実感します)。そのため、改善も中途半端であったり、現場の実情に即していない内容になったりしてしまいます。

個人的に面白いなと思ったのは、現場レベルでの経営への苦情は、労使の苦情処理システムに投げられる、という点です。日本では直接管理職や経営に苦情するのでしょうが、あくまで労働者の代表経由で交渉されるというのは、逆に新鮮に感じました。


3.所感と問題提起

ここから先は、本書を読んだ私の考えと感想です。

日本的雇用のメリットが最大限生かされるのが、こうした生産現場であるということを考えました。一方で、もちろん日本型雇用には弊害もあり、おそらくホワイトカラー職場でそれが顕著なのだと感じます。
 日本はブルーカラーにもホワイトカラーの人事制度を導入した点が特徴的ですが、一方でホワイトカラーにもブルーカラー的な人事制度を導入した点に、いったいどんなメリットがあったのか、調べてみたいところです。直感ですが、ホワイトカラーの中にも、ブルーカラー的なホワイトカラー(事務職だけど、定型業務中心)と、ホワイトカラー的なホワイトカラー(事務職でかつ非定型業務中心)に分けられるのかなと感じています。

続いて日本型雇用の前提には、「みんなが際限なく能力拡大を望み、たくさん働いていきたいと考えている」というものがあるように感じました。能力主義とは言え、現場の誰もが改善活動をして、結果的に昇進して責任の重い仕事をさせられるのは嫌だ、と考え始めたら、実はこのサイクルは回りません。
 今は非正規雇用の労働者が増えているだけでなく、働く人の価値観も多様になっています。そのためこのサイクルが回らないことは実は結構起きているのではないかと推察されます。加えて、高度経済成長期のように目に見えるインセンティブも与えにくい状況ですからね。
 今後どのように舵を切っていくのか、重大な問題だと考えました。また、この背景にある日本人の勤労観の特殊性やその変化も、しっかりと理解しなければいけないと感じました。


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