喉元過ぎれば熱さ忘れる 辻田浩志(月刊トレーニング・ジャーナル2010年11月号、連載 身体言葉(からだことば)に学ぶ知恵 第12回)
辻田浩志
腰痛館代表
連載目次
https://note.com/asano_masashi/n/n9fbc8ed2885a
私の整体院は予約制でやっております。あらかじめ約束した時間にお越しいただき、スケジュールに沿って動きます。一番困るのは約束の時間になってもお見えにならないとき。ある程度の時間の余裕はあるのですが、後の予約が詰まっているときには心の中でヤキモキします。しばらく待って後が詰まっている場合に確認の電話を入れるのですが、そのときに多いのは予約の日にちや時間を忘れていたという単純ミス。腹を立ててもよさそうなところですが、こういう場合は思わず笑ってしまうのです。なぜならば忘れてしまうのであれば、そのときすでに痛みがなくなっているからなんです。激しい痛みに見舞われているときには、早く予約の日がこないか待ち遠しく感じてしまいます。逆に忘れてしまうのは痛みがなくなってしまったからですよね。言い換えれば治ったから予約を忘れたとなります。これはお互いにとって最大の目標であるわけですから、喜ばしいことじゃないですか。
予約を忘れてしまい電話の向こうでバツの悪そうな声で平謝りされるのを後目に「痛みがなくなったからこそ忘れたんですよ。これはお互いにとって一番よいことで、予約云々は大した問題ではありません」とキッパリと言い切ると向こうも喜んでくださいます。嫌みではなく心底そんなふうに思うのです。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」といいますが、必要性がなくなると忘れてしまうのも人間の特性。たとえ大騒ぎしていたことでも一端それがやんでしまうと何事もなかったかのように忘れてしまうのも人間なんです。
こんなエピソードもあります。足関節の痛みで歩きづらく、松葉杖をついて来院されたのに、帰りには松葉杖を忘れて帰った人もいました。ついさっきまで松葉杖がなければ自力で歩くことができず、それまでさんざん世話になった松葉杖を歩けるようになったとたんに忘れてしまう。これを薄情だと言ってはいけません。心中を察するに痛みがなくなり、自分の足でしっかりと歩けることに対する喜びがいっぱいに広がり、松葉杖に対する意識が一瞬なくなったことは明らかで、私としても鼻高々で一緒に喜んであげるべきだと思うのです。これもはやり「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という言葉がピッタリ当てはまる事例といえるでしょう。「熱いものも、飲みこんでしまえばその熱さを忘れてしまう。転じて、苦しい経験も、過ぎ去ってしまえばその苦しさを忘れてしまう。また、苦しいときに助けてもらっても、楽になってしまえばその恩義を忘れてしまう」。辞書を引いてみるとこのような説明が書かれていました。慌てて熱いものを飲み込んだときの熱さはたとえようがありません。その瞬間には命さえも奪われてしまうかのような感覚が体中を支配します。それなのに喉元を過ぎたら「ああ熱かった」といいながら自らの慌てぶりを照れながら冷たい水を口にします。少なくともその時点では命の危機を感じるどころか周囲の嘲笑にどう対応するかというのが最大の問題となります。その豹変ぶりはまさに先ほどまでの熱さを忘れたといわれても仕方がないほどです。それほど人の心は変わりやすいということを揶揄した言葉です。
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