1. 低酸素トレーニングを活用する際の注意点(月刊トレーニング・ジャーナル2021年1月号 特集/高所および低酸素トレーニングの活用)
森 寿仁・兵庫県立大学 環境人間学部
──高所(低酸素)トレーニングを行う際に必要な高度はどのくらいになりますか。
森:研究で用いられるのは、標高(高度)にして2000mから3000mくらいです。酸素濃度では16.4〜14.5 %ほどになります。その高度でないと効果が出ないかというと必ずしもそうではなく、もう少し高度の低い、1500〜1700m程度、あるいはさらに高く3500m程度であってもトレーニング効果があるとされています。
高度が高ければ効果が高いかというと必ずしもそうではありません。高度が高ければ急性高山病などの体調不良が起こってしまうこともあります。したがって高くても3500mくらいが一般的に用いられます。しかし、低酸素での運動時間やトレーニングの様式によっては4000mくらいに相当する酸素濃度を用いている場合もあります。これはかなり厳しい環境でのトレーニングになり、運動している時間は短くなるのが一般的です。
──どのような考え方で取り入れたらよいでしょうか。
森:私が高所・低酸素環境(とくに常圧低酸素室)を用いたトレーニングを行うときにベースとする考え方が、ウェイトトレーニングです。ウェイトトレーニングの場合、一般的に、同じ部位を毎日鍛えることはないと思います。なんのためにトレーニングを行うかというと、練習では十分な負荷がかからない筋を大きくしたり、特別な刺激を与えるために行うためと言えます。
低酸素という環境も、これと同じ位置づけでよいと思います。日頃の練習やトレーニングがあって、それらで与えることができない負荷を、低酸素で与えることが目的となります。そのような考えでないと、低酸素でトレーニングをすることが目的になってしまいます。低酸素トレーニングは能力を高めるためのツールであって、必要な能力を高めるうえで低酸素という刺激がマッチするのであれば用いるのがよいと思います。
──高所トレーニングや低酸素トレーニングの研究における関心についてお聞かせください。
森:私自身がもともと効果的なトレーニング、あるいは効率のよいトレーニングを行うにはどのようにすればよいかというのがリサーチクエスチョン(研究上の課題)でした。世の中にはさまざまなトレーニングがあり、低酸素トレーニングは、そのトレーニングツールの1つとして位置づけています。
低酸素トレーニングは、従来行われてきた高所に長期間滞在する方法から、現在では平地の街なかで行うことのできる低酸素トレーニングへと少しずつシフトしてきています。
現在、私自身が興味を持っているのは、低酸素に対する応答の個人差で、研究の際には身体内の酸素化の度合い(SpO2、動脈酸素飽和度)に注目しています。その個人差が適応にどのような影響を及ぼすのかについて、研究しています。
──高地に滞在するとして、どのくらいの期間で効果が出るのでしょうか。
森:短期間の高地滞在の場合では、富士山(標高約3776m)で2泊3日滞在し、その前後で漸増負荷試験のデータが向上していたという結果が発表されています。そこから考えると、富士山レベルの高度では、最短で2泊3日の滞在で効果が得られる可能性があります。ただし、そのときの被験者は一般の体育大学生だったので、アスリートレベルで考えたときにどの程度の効果があるかは不明です。
一般的に高地に滞在する低酸素トレーニングの場合、造血作用を目的とします。その場合、標高で1300mくらいは必要となり、期間も2週間は行います。一方、高地滞在時のSpO2と滞在時間をかけあわせて身体への低酸素負荷の総量をみるという方法もあり、ヘモグロビン量の増加の程度と相関すると言われています。その考えからすると、高い高度であればSpO2はより下がりますので、その分時間は短くてすみます。反対に、ある程度の高さでも、長期間にわたって滞在することで、造血が期待できると考えることもできます。
一般に国内では、1〜2週間前後にわたって高地に滞在している印象です。造血を促すためなど、その目的はさまざまだと思いますが、高度の高いところは気温も低くなりますので、夏場であれば暑さから逃れるために高地で練習をする、つまり避暑も兼ねてということもあり得ます。とくに、比較的高度の低い短期間(1週間前後)の合宿であれば、避暑としての目的が主なように思います。
──トレーニングの量を設定する際に目安としてどのように考えたらよいでしょうか。
森:私が高地トレーニングでの指導経験がありませんので、トレーニング量の目安を示すには経験不足です。
しかし、日々コンディショニングチェックをしておくことを強く勧めます。高地では体調を崩しやすい人もいますので、とくにチェックを継続すべきです。
SpO2、心拍数や血圧、体温、心拍変動(HRV、R-R間隔)、唾液(コルチゾールなど)ほかのチェックが挙げられます。これらは起床時につけておき、トレーニング中もデータを測定できるものを測定していくとよいでしょう。平地でのトレーニング時と比較して、上がりすぎているように感じたら少し負荷を下げるといった調整に役に立つと思います。AMS(急性高山病)スコアの項目として、頭痛や胃腸症状、疲労・脱力、めまい・ふらつきが挙げられておりますので、これも参考になります。日々の体調チェックを行い、その変化をみていくことが大切です。可能であれば、高地トレーニング中だけでなく普段からつけておくことが理想です。
──有効な競技特性はありますでしょうか。たとえば持久系種目に限らず、スプリント種目でも有効でしょうか。
森:以前は、持久系種目のみでしたが、10年ほど前から、スプリント種目でも高所トレーニングが活用されるようになってきました。高所トレーニングの考え方としては大きく分けて2つあります。1つは造血作用、すなわち血液運搬能力を高めるというもので、もう1つは、活動筋(骨格筋)の適応(効率的なエネルギー利用など)を促すというものです。
低酸素トレーニングには、Living High Training High(高地に滞在し、高地でトレーニングする)という従来から行われてきた典型的な方法のほか、Living High Training Low(高地に滞在しているがトレーニング時には低地に下りて行う)があります。高地では、トレーニング時に運動強度が下がってしまう(特に有酸素系種目)ため、走る速度が遅くなったり、練習量が少なくなることがあります。このように物理的な負荷の低下をなくすために平地に近いところへ移動して敢えてトレーニングを行います。トレーニングをしていない間は高度の高いところに滞在しているので低酸素の刺激があり、身体がその高度に適応するために造血も起こります。これは、持久系種目で行われるタイプの高所トレーニング方法です。
さらに、Living Low Training High(低地に滞在して高地でトレーニングを行う)という方法があります。これは、主に低酸素室などの装置を用いて行うことが多く、最近よく取り入れられている方法です。このトレーニングでは、低酸素環境で運動を行うことで骨格筋の適応を促し、休息は低地の通常酸素環境下でゆっくり疲労を回復させます。
最近では、Living High Training Lowのトレーニング時にたまに低酸素トレーニングを付加するケースも見られます。そして、その低酸素トレーニングは、短時間の高強度でのスプリントトレーニングなどが行われることが多いです。なぜなら、そのほうが運動強度の低下が起こりにくく、より強い代謝的な刺激が骨格筋に与えられるためです。
最近では、このような形でワンポイントの組み合わせにより行われることもあります。
──まだ低酸素トレーニングが行われていない種目はありますでしょうか。
森:審美系の競技では用いられている話はあまり聞きません。あとは瞬発力が大きな要素を占める走幅跳や走高跳などの陸上競技の跳躍種目ではどうなのかはまだ検討されていないと思われます。
低酸素環境での高強度のウェイトトレーニングに関する研究では、神経系の適応に有効なのではないかという報告も最近になって出始め、今後は瞬発系の種目にも応用されはじめるかもしれません。
──まだわかっていないこともたくさんあるのですね。
森:はい。そう思います。とくにTraining High、低酸素室で行うようなトレーニング分野では、測定機器の進化も相まって、研究が飛躍的に進んできています。これからも驚きをもって迎えられる知見が出てくるかもしれません。
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