怒髪天を衝く 辻田浩志(月刊トレーニング・ジャーナル2010年7月号、連載 身体言葉(からだことば)に学ぶ知恵 第8回)


辻田浩志
腰痛館代表

連載目次
https://note.com/asano_masashi/n/n9fbc8ed2885a

マンガやアニメの描写で猫などの動物が怒りを表すとき、全身の毛を逆立て身体に力を込めて伸ばすような状態で表現することがあります。いかにも怒気が立ちのぼるといった感じで見る側に「怒り」が伝わってきます。もちろんマンガですからその表現はデフォルメされますが、現実的にも身体を緊張させある程度全身の毛は逆立つようです。鳴き声も「猫なで声」ではなく腹から絞り出すような野太い声で唸るものですから、猫の言葉を理解できない私たちでも彼らの怒りがわかるのです。

猫の身体の中で何が起きているのでしょうか。立毛筋という筋肉が、通常は斜め方向の毛穴を垂直方向に引っ張る作用をすることにより全身の毛が逆立つようです。極度に緊張、興奮したときに自律神経の働きによって作用します。立毛筋反射といって交感神経アドレナリン作動性血管収縮神経が興奮することによりこのような現象が起きるのです。

怒り・恐怖・興奮など文字で表現すれば別々に分類される情緒ではありますが、このような評価は事後的・客観的になされるのが普通であり、その瞬間の当事者にとってはさまざまな種類の情動が入り交じるのが現実でしょうし、決して単独の情動にのみ支配されるわけではないと思います。外敵が現れ身の危険を感じて恐怖し、身を守らんがために攻撃の意志を生じ、それを怒りという感情にまかせて威嚇する。そのとき緊張と興奮が身体を支配することはごく自然なのかもしれません。

猫に限らず相手を威嚇するときに身体を大きく見せようとするのは本能的なことなのでしょう。人間ならば肩をいからせ、猫ならば伸び上がって少しでも身体を大きく見せようとします。私は「威嚇」という行為については考えるところがあって、先手必勝で相手が攻撃に出る前に襲いかかったほうがよいようにも思えるのですが、実際には意外と長々とにらみ合いが続き、威嚇行為の時点で優劣が決し、それに負けたほうがすごすごと尻尾を巻いて逃げ出すというのも多いようです。これは威嚇行為自体で相手の能力を見極めようとし、もし明らかに相手のほうが強そうだと判断した場合、逃げ出したほうが無用のケガも避けられ合理的です。喧嘩をする前の睨みあいも暗黙の了解による儀式なのかなと勝手に考えております。これもある意味では平和的解決の 1 つなのかなとも思うのです。

最大級の怒りを表現する言葉に「怒髪天を衝く」というのがあります。中国の故事に記される言葉ですが、戦国時代、大国である秦の昭王(しょうおう)が趙という国の惠文王(けいぶんおう)が手に入れた楚の和氏(かし)の璧(へき)という宝石を何としてでも手に入れようとしていくつかの領地と交換しようと持ちかけます。

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