第3章 決意 矢嶋 寧汰(月刊トレーニング・ジャーナル2024年7月号、連載 小説 The Colours of a Flame ──天野川高校ラグビー部の奮闘 第3回)

矢嶋(やじま)寧汰(ねいた)

連載目次
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第3章 決意

「走るテスト、気ぃ滅入るわぁ」「なんか変に緊張すんねんなぁ」センター(CTB)コンビの山村(やまむら)涼太朗(りょうたろう)、森田(もりた)浩介(こうすけ)がそう話している。ガッチリした体格の涼太朗に比べ、森田はやや線が細い。
「そうっすよねぇ。走んの嫌やなぁ」癖毛でボサボサの髪の毛が特徴的な1年生の左プロップ(PR)松元(まつもと)玄治(げんじ)が大きな体を揺さぶってぼやく。
「おいおい、弱気発言やのぅ。なんでも前向きに捉えろよぉ」自称トレーニングマニア、太田(おおた)祐太(ゆうた)だ。
「でもこれ下剋上チャンスっすよね、太田さん。俺の方がタイムよかったらタメ語にしていいっスか?」太田と同じフランカー(FL)の石崎(いしざき)武臣(たけおみ)は嬉しそうだ。
「あほ! お前に負けるか!」
 お揃いのエナメルバッグを下げた天野川高校ラグビー部員達が、天野川駅から学校までの道のりを騒がしく歩いている。11月に入ったが、爽やかに晴れ上がり、気温も高めとなった。
「俺は見せたるわ、この脚をな! 天野川のスピードスター、いや天の川だけにシューティングスターの方がええか。シューティングスター原岡様は!」左ウイング(WTB)の原岡(はらおか)健士(たけし)は、足の速さには自信がある。
「自分に『様』付けんなって」右のウイング津川(つがわ)淳之介(じゅんのすけ)はそう言いながらも、内心では彼の速さに憧れていた。ステップも踏めるし走るペースを巧みに変化させることもできる。ウィングというポジションにうってつけの奴だ。それに比べて自分は。公立高校で人数に余裕がない我らがラグビー部だが、体格を見ても各ポジションにふさわしいメンツがいい具合に揃っていると淳之介は感じる。その中で足がたいして速いわけでもなくコンタクトプレーが得意でもない自分は、単なる数合わせになってしまっているようで複雑な思いがいつも胸中にある。
「なんかその前に、別のテストするみたいですね、スキャットとかいう、なんか頭のテスト」松元だ。
「そやなあ、頭のテストやったら、祐太、お前やばいんちゃうんか」健士が笑いながら太田の顔を覗き込む。
「やかましい!」祐太は健士の頭を手で押しのけながら真顔になった。
「それより、今日はいよいよあの日やろ」
「うん、いよいよやな」涼太朗が返す。「あれからようやく半年や」
「ほんま、よう我慢しよったな、ローニンズ」浩介も頷いている。
「晴翔(はると)もこれでやっと気持ちが楽になるやろ」祐太は柄にもなく目の奥がツンと締め付けられるのを感じた。「新キャプテンも今日決めるって言うてはったな。いろんな意味で新チームの始まりや」そこからはみな何も話さず、静かに校門を抜け部室に向かった。
 フィットネステストを前に全部員が視聴覚室に集合した。すぐに練習が始められるように着替えは済ませている。この部屋は凛の要請で粟谷先生が確保してくれていた。松葉杖を手にした真中雄(たける)の姿もある。同学年の兄である颯(はやて)と共に一番先に来ていた。ついさっきまで彼の周りにみんな集まって騒いでいた。霜田コーチにも、粟谷先生にも同席してもらっている。
「みんな、おはようございます」
「おはようございます!」マイクを使った凛の挨拶に、みんな揃って気持ちのいい挨拶を返してくれる。
「昨日(きのう)、一昨日(おとつい)はメディカルチェックに協力してくれてありがとう。今日のフィットネステストは霜田コーチを中心に行いますが、その前に SCAT5というテストを二人組で行います」
 SCATとはSports Concussion Assessment Toolの略称で、スポーツによって起こり得る脳振盪の評価ツールだ。本来は医療従事者の手によりひとりずつ行うことになっている。健常時のスコアを基準点(ベースライン)として記録しておき、脳振盪発生時の評価や、復帰過程での状況把握に利用される。ジャパンラグビーリーグワンや大学選手権などエリートクラスのラグビーではそのスコアを協会に提出することになっている。高校レベルでは全国大会であっても提出義務はないが、凛は脳振盪についての教育も兼ねて、選手達をペアにして実施することにした。近いうちに、目の動きのチェックなどを加えた SCAT6に移行するだろうし、そのときには受傷後7日目以降で確認のために使用する別フォーマットの SCOAT6(Sports Concussion Office Assessment Tool)も導入されることになるだろう。だが、今回は5バージョンで問題ないと凛は考えている。目的は頭部外傷に対する意識づけだ。現部員数が21人のため千尋にも入ってもらいペアをつくった。資料を配り、お互いの声が聞こえ過ぎないようできるだけ間を開けて座るよう指示すると、部員たちは「もうちょっと寄れや」「近すぎるんちゃうか」と話しながらも速やかに位置についてくれた。
 
 SCAT5の初めのページは本テストの目的など概要が示されている。凛はそこに書かれている内容を簡単に説明した後「Recognise & Remove」という言葉を強調した。脳振盪の疑いがあれば、プレーを中止する。たとえそれがどれだけ大切な試合の最中でも。
「これからみんなに情報提供していくことはいろいろあるけど」凛は教育という言葉はあえて使わずに言った。「まず最初のひとつ。頭を打ったとき、絶対に隠さないこと。過小評価しないこと、強がらないこと」凛が懇意にしてもらっている整形外科医のスポーツドクターの岡井先生は脳神経外科の先生も紹介してくれていた。何かあればそこに連れて行ける。気付きさえすればそこに繋げられるのだ。
「Recognise、つまり脳振盪が起こったかもしれないということを認識するためには、みんなの協力が必要です」凛はみんなの嘘を見抜く術(すべ)も持ってはいるが限界はある。
「私や周りが気付くくらいはっきりしているものはともかく、自分しかわからないものまで認識するためには、ここにいる全員が脳振盪について知っておくことが必要です」私はあやうく友達を亡くしかけた、という言葉をここでは飲み込んで凛は続けた。脅かしすぎるのも問題だ。
「今日のテストを通じて、頭を打ったときの状態についてみんなに考えてもらいたいと思います。では次のページを見てください」
 そこには受傷時の評価項目が並んでいる。頭を打った選手の他覚所見や記憶についての確認項目だ。記憶に関する質問は、Maddocksの質問と呼ばれ、自分がどこにいて何をしていたかといった、いわゆる見当識を確認する項目になっている。意識状態を確認する項目はGlasgow Coma Scaleと呼ばれ、開眼反応、言語反応、運動反応の3項目で意識レベルを判断するものだ。これらは今日行う必要がない。誰かが頭部外傷を起こした際には、ひとつのツールとして利用することになる。
「頭を打ったときにはこんな質問をして状態を確かめるから正直に答えてね。なんでも『大丈夫っす』なんて返事はいらないから。『今どこにいるかわかる?』って質問されて、『大丈夫っス』って答えたら脳振盪確定だからね」凛は少し微笑んで言った。「それ、お前言いそうやぞ」「お前やろ」といった声が聞こえてくる。
 冒頭には赤く強調された四角の枠に、直ちに医療機関への搬送が必要な危険な状態だという症状がRed Flagと銘打って書かれている。うちの部員たちがそんな状況にならないよう祈る、だけでなく、できる限りの手を打っておく。
「次のページは、各自記入してください。前にアンケートで書いてもらったより、詳しい情報なので、正直に全て書いてね」そこには既往歴や現状を確認する質問が並んでいる。脳振盪の既往歴は先のアンケートでも確認してはいるが、質問項目はこちらの方が多い。頭痛や目眩(めまい)の有無だけでなく、抱えている場合はその程度を6段階でスコア化するようになっており、頭部外傷発生時や回復過程の評価基準となる。これはしばらく時間を取って各自で一斉に記入してもらう。凛は歩いて回って、全員が記入できたことを確かめた。ここからは片方ずつ評価を進める。
「じゃあ、先攻、後攻を決めて、評価される側は資料を片付けて、評価する側は資料の次のページを見てください」
 凛が資料に書かれてある10個の単語をマイクで読み上げる。それを覚えて、相棒に告げ、言えた単語の数を記録してもらう。
「えーっと、赤ちゃん、サル、ほんで香水、夕焼けやろ、ほんで、なんやった? こんなん、頭打ってへんでも、むずいわ!」
「太田、いらんこと喋んなー」凛がたしなめる。
 次に、少しずつ桁数が増える数字を読み上げて、それを逆から言えるかも確かめる。
「317826やろ、6、2、7、ちゃうわ、えー、8や、628、713、よっしゃ、行ったやろ!」
「はい、次、水曜日から遡って曜日の名前1週間分言ってみて」
「水曜日、火曜日、月曜日、日曜日、土曜日、あーっと金曜日、木曜日! はい俺一番! シューティングスター!」原岡はなんでもスピードにこだわる。
 閉眼片足立ちなどのバランステストも行いひと通り終了した後、攻守入れ替わり、同様の評価をもう一度行った。
「じゃあ、最後にお互いさっき覚えた10個の単語をどれだけ覚えているかお互いに言ってみて」
「ええ〜! 先やった方損やん!」不満を口にしながらも、みな懸命に思い出している。
 ラグビーのようなコリジョン(衝突)スポーツでは、頭部外傷のリスクは常に付きまとう。今回のテストのやり方では本来の形よりも不正確にはなるが、こちらの意図は伝わっただろう。
「初めにも言いましたが、頭を打ったとき、その状況を決して軽視しないでね。たとえば最後まで試合に出続けていたにもかかわらず、どこかから記憶が抜け落ちていたり、試合終わってから同じ質問を繰り返していたら、不安になるでしょ」最後に凛は念押しした。
「同じ質問ってどういうことっスか?」祐太が手を挙げて聞いてきた。
「たとえば『今日勝ったっけ?』ってチームメイトが聞いてきたとするでしょ。違和感感じない?」
「試合出とったのに、そんなんわかるでしょ」
「そう、でも一度ならず3分おきにそれを繰り返し聞いてきたら?」
「怖いっす」
「今やった試験の意味がわかるかな?」
「頭打ったら、エラーがいっぱい起こるっちゅうことですよね」阿武(あんの)達郎(たつろう)だ。
「そう。ラグビーはタックルをはじめ身体を当てることを認められている数少ない競技でしょ。これからみんなにはかなりタフな取り組みが待っている。でも決して安全を軽視してほしくないの」霜田コーチや粟谷先生とも、安全対策については打ち合わせ済みだ。粟谷先生は何度も大きく頷いている。
「アスレティックトレーナーは、危ないからと何でもかんでもみんなを止める役割じゃない。安全をできる限り保ちながら、ギリギリの線で勝負する手助けをするの。だからちょっと痛いくらいで簡単に甘やかしたりはしない。でも、だからこそ、ケガのこと、とくに頭のケガは、私が見ていないところで起こっても、必ず知らせてね。症状も隠さず教えて。これは約束してほしい」ラグビーという競技で、あれもダメこれもダメと、選手を止める閾値を低くし過ぎるとチームが成り立たない。タフなラインで戦っていく覚悟も必要だ。選手も、コーチも、アスレティックトレーナーも。
「よろしくお願いします」凛は頭を下げた。粟谷先生はまた大きく頷いていた。霜田コーチは凛と目が合ったときに器用に片目の瞼だけを動かしてウインクした。一瞬「欧米か?」とよぎったが、安全管理に関してコーチの理解はありがたい、凛はそう思った。
「あと真中兄弟もいることだし、これからみんなのことは共通して全員下の名前で呼ばせてもらいます。それが嫌な人は言ってきてください」
「異議ナーシ!」という声と共に笑い声と拍手が起こった。「俺たちは『凛さん』って呼んでいいっすかー」祐太だ。
「『常盤さん』でも『凛さん』でも、私はOKです」
「俺は『常盤』と呼ぶ。あと、俺を呼ぶときは『霜田さん』あるいは『霜田コーチ』のみな」霜田が選手達に向かってまた瞼だけでウインクした。「外国人みたいなウインクや」と、誰かがさっきの凛の感想を代弁してくれた。
「ということで、改めて、新チームは粟谷先生が顧問をされて、霜田と常盤トレーナーが外部サポートする。とはいえ、俺も常盤トレーナーも週2回だけしかチームには来れない。みんなの中から選ぶリーダーは非常に重要や。アプリで匿名アンケートをとったが、全員一致でキャプテンには真中颯が選ばれていた。全員一致や」
「キャプテンは、颯しかいません」達郎がそう言った。「やな」「賛成です」
「違う意見は本当にないか? あるいは自分で手を挙げるとか」霜田は念のために聞いた。
「俺やりますって言いたいところですが、そう言うタイプやないし、みんなで颯しかおらんってもう決まっていました」健士がそう言ったところ皆が拍手した。
「わかった。バイスキャプテンはこれも圧倒的多数で阿武達郎が選ばれていた」「異議ナーシ」「こっちは全員一致ではないんかーい」の声にまた拍手が起こった。
 キャプテン、そしてバイスキャプテンふたりの挨拶の後、「よし、みんなキャプテンの思いは聞いたな。じゃあ、スパイク履いてグラウンド集合。各自アップ始めろ」霜田コーチの声に、「おうっ」と気合の入った声で答えたみんなは一斉に立ち上がった。グラウンドに出ると試合のときのように綺麗にラインが引かれてあった。ラグビーボールもグラウンド端に綺麗に並べらて置かれている。部員達と一緒にグラウンドに出てきた霜田はボールをひとつ取り上げ、サッカーのリフティングのように何度か小さく蹴っていたかと思うと、ボンッと音を立てて空高く蹴り上げた。どうやったらこんなに高く舞い上がるのかという高さまでクルクルときれいに縦回転しながら上昇し最高到達点で一瞬静止した後、蹴った位置からほとんど動いていない霜田の手に戻ってきた。
「やっばっ」部員達は驚きの声をあげる。「なんや、今のキック」
 そのとき、凛の後ろからふらふらと手を差し出すように前に出てきた部員がいた。光友(みつとも)将貴(まさき)だ。
「ボ、ボール」うわごとのようにつぶやいている。
「なに、なに」凛は将貴の様子にただならぬものを感じた。しかしボールを目の前にして、何かをつかむように両手を前に伸ばしたまま戸惑うかのように立ちすくんでいる。その横から颯が駆け寄理り、肩を後ろからパンッと叩いた。
「おう、今日からようやく解禁や! ほんまによく耐えた! 大雅(たいが)もな」
「ふぅ」横に立つ須田(すだ)大雅を見上げると、彼は口をへの字にしてぎゅっと目を閉じていた。そしてボールのひとつを手に取り両手でギュッと挟むようにして力を込めた後、将貴にポンと放った。彼はようやく両手で受け取り、そのままスクリューをかけながら自分の真上に何度か放った。だんだんと高くなり、最後は下半身も充分に使って思い切り放り投げた。回転がまっすぐかからずグラグラと軸をぶらした回転だった。
「ははっ、鈍(にぶ)っとる!」ボールをキャッチしてそう言った将貴の顔は満面の笑みだった。「大雅っ」そう言って彼は大雅に向かってフォロースルーの効いたパスを寄越した。大雅は手を前に押し出してしっかりとキャッチした。

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