目のつけどころが違う 辻田浩志(月刊トレーニング・ジャーナル2010年4月号、連載 身体言葉(からだことば)に学ぶ知恵 第5回)
〜2月2日 09:30
辻田浩志
腰痛館代表
連載目次
https://note.com/asano_masashi/n/n9fbc8ed2885a
日本語というのは実に複雑な言語でして、1つの所作を表すのに複数の漢字を用いることがあります。たとえば「聞く」「聴く」「訊く」という言葉も耳を介して音を認識するという点では全く同じです。でも「聞く」は単純に音や声を耳で感じ取ることを表し、「聴く」は心を落ち着け注意しながら聴くという意味になり、「訊く」はたずねて答えを求めるという具合にそれぞれ違った使い方をします。
同じ読み方で微妙な意味合いが変わるということでは「みる」という語句もずいぶん種類があります。「見る」は物事を目で認識することを表し、「視る」には調べるというニュアンスが含まれます。「観る」は観賞とか観光とか何か特別な対象を見学するけど、なんとなく一定の距離感があります。ちなみに英語では「see」「look」「watch」とありますがそれぞれ「見る」「視る」「観る」と同じような感じで使われています。しかし日本語の場合はまだあります。「看る」は看護などのように病人の世話をするような場合に使われ、病気そのものを「みる」対象として治す目的をもって調べる場合には「診る」という漢字を用います。ここまでくると使われ方も限定されたうえに、みる側の主観的意識も強くなるような気がします。逆に「覧る」になると、ひと通り目を通すといったようにあまり注意深さは感じさせません。
日本語の種類の多さがとくに素晴らしいというわけではありません。それよりもむしろ「見る」という視覚を介して情報をどのように利用するかが問題なのだと思います。視力などの身体的能力もあろうかと思いますが、見ることの目的意識が明確であればあるほど、見た後に印象として残る記憶に変化が生じます。
かつて本田宗一郎氏というカリスマ経営者がヨーロッパからのお土産として、当時日本に存在しなかったプラスネジを持ち帰ったというエピソードを聞いたことがあります。ヨーロッパのお土産として高級品ではなくネジ一個をもらったほうの気持ちを考えると意味もわからずキョトンとされたと想像しますが、それまでは溝が一文字のマイナスネジしかなかったのです。一般人にとってはネジの溝が一文字か十文字という違いだけしかないのですが、本田氏にとっては手作業でしか締められないマイナスネジと機械でも締めることができるプラスネジという違いが「みえた」ようです。手作業でネジを締めるのと機械でネジを締めるのとでどちらの作業効率が高いかについてはいうまでもありません。おそらくプラスネジを初めて見たときの本田氏には機械で次々にネジが締められる様子も見えたことでしょう。
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1月3日 09:30 〜 2月2日 09:30
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