二極化する世界でどう進むか 貞升 彩(月刊スポーツメディスン256号、連載 スポーツにおけるLGBTQ+、トランスジェンダーアスリートに関連した倫理的課題 第10回、最終回)
貞升 彩
整形外科医師・医学博士、スポーツ倫理・インテグリティ修士、日本スポーツ協会公認スポーツドクター、千葉大学大学院医学研究院整形外科学客員准教授
連載目次
https://note.com/asano_masashi/n/n9fe1bc399ce6
はじめに
スポーツにおけるLGBTQ+課題の連載は今回が最後になる。そこで今回はこれまでのまとめに加えて、ここ最近改めてスポーツ界でも検証が必要と感じるようになった人権デュー・デリジェンス(Due Diligence)を中心に、二極化する世界で世界のスポーツ界はどう進むのか、また日本のスポーツ界はどうするべきかを最後に検証する。
二極化する世界
昨今世界はpolarizationが加速化している。英語で “polarization”、日本語では“二極化”と訳されることが多く、貧困層と富裕層、リベラル派と保守派など多くのベクトルで分断が加速している。Kreissらはこの現象は民主主義にとっては脅威であるとみなし(Kreiss & McGregor, 2023)、2020年にアメリカ国内での運動から世界各国まで影響をもたらしたBlack Lives Matter(BLM)にその傾向が顕著に見られるとした。BLMはアメリカにおけるアフリカ系アメリカ人の人権が軽視され、人種差別的、暴力などがいまだ存在することに対しての反対運動である。黒人の地位向上とともに人種差別をなくすことを願う人が当事者である人々をはじめ多くいる一方で、Kreissらは黒人差別撤廃運動のような平等を求めるグループによる行動は、現在すでに権力を持ち支配的な地位にいる人々の権力や地位を脅かしうるため、しばしば二極化を引き起こすことを指摘した。つまり、BLMに反対する、人種差別撤廃を望まない人々がよりその志向を強め、結果、社会がより分断するとした。実際アメリカの保守派政党である共和党の議員は、BLMを“暴動”と呼び、軍隊で持って鎮圧することは妥当と述べた(Kreiss & McGregor, 2023)。
一方で、民主主義国家の外を見てみると、人権に関して国連から問題を指摘されているような権威主義的な国家では、西側諸国の求める自由で開かれた民主主義を敵視し、より保守的で排他的な方向へ傾斜している。たとえば、中国は2022年、国連から国内において、イスラム系民族であるウイグル族などをはじめとする少数民族に対して人権侵害を行っていると国連から指摘されたが、これは西側諸国によって仕組まれた茶番だと反発した(BBC, 2022)。
二極化は人種に関することだけではなく、人権全般において見られる傾向である。これは国内において保守派とリベラル派の対立構造を生み出すだけではなく、グローバルな視点で見れば、中国の例にあるように民主主義国家陣営と権威主義的国家陣営の分断を加速させることでもある(図1)。
図1 世界における二極化の構造
LGBTQ+と二極化
二極化はLGBTQ+課題においても見られる。とくにこの事例は現在のアメリカにおいて顕著である。大統領を務めるバイデン氏は民主党所属であり、民主党は人権を重視してきた。このため、LGBTQ+課題に関してもLGBTQ+の人々の権利拡大を訴えてきた。しかし、両院制を敷くアメリカで、今現在下院では共和党が過半数を占めている。共和党はトランプ元大統領を中心に、LGBTQ+、中でもトランスジェンダーの人々に対して極めて保守的な考えを持っており、ジェンダー医療の制限、また学校スポーツにおいてトランスウーマンの女子カテゴリー参加は禁止するなどの政策を行ってきた。そして、下院でトランスウーマンの女子カテゴリー参加を禁ずる法案(Protection of Girls and Women in Sports Act” [HR 734])がとうとう通過した。これに対してバイデン大統領は上院でも通過した場合は拒否権を発動すると声明を発表している (The Hill, 2023)。
先にBLMでも述べたように共和党は保守的な思考をより強めており、有色人種、移民、LGBTQ+に対して差別的、排除を加速させるような言動を議員が示すようになっている。一方、人権を重視する民主党はこれに強く反発している。大統領選挙を来年に控えているという政治的背景もあり、アメリカ国内の二極化はより鮮明化している。
では、日本においてはどうだろうか。2023年6月16日、日本においてLGBT理解増進法が成立した。この法律をめぐっては与野党のみならず、LGBTQ+当事者、また支援団体、一部世論も巻き込んでの大きな論争となった。この法律はLGBTQ+当事者への理解を深め、差別を行わないこと、事業者などにも同様の理解を求め、教育や研究の促進の必要性も記載されている。しかし、この法律が制定された直後の6月21日には、自民党の一部の議員が中心となり、「全ての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性等を守る議員連盟」を設立している。この記事を書いている10月5日時点では当連盟のスポーツに関しての目立った動きはなく(朝日新聞, 2023)、現在は性別移行を行う際に外科的な手術を必須とするべきか否かという点に注視しているようである。世界的に見れば先進国では手術要件は撤廃される、もしくはそちらに舵を切る傾向にあるが、同連盟は手術要件撤廃に反対しており、リベラルに向かう方向とは逆の方向性を重んじている。同連盟が今後どのようにスポーツに対して介入していくのかは現時点では不明であるが、このようなLGBTQ+に対してインクルーシブな環境をつくろうとするリベラルな世論とは逆の、それに抗うような論調が存在し今後日本においてもより鮮明となっていく気配はすでにある。
人権デュー・デリジェンス
では、先進国ビジネス界で必要とされている観点が、経済協力開発機構(OECD)がOECD多国籍企業行動指針として規定した人権デュー・デリジェンスという概念である。それに基づいて、外務省はビジネスと人権と題して、企業には人権を尊重する責務があるとして、企業がそれを実現するために必要なことをマニュアル化し、2021年に提言した(外務省, 2021)。その上で、人権デュー・デリジェンスとは、(企業が)“人権への悪影響を特定し、予防し、軽減し、そしてどのように対処するかについて説明するために、①人権への悪影響の評価、②調査結果への対処、③対応の追跡調査、④対処方法 に関する情報発信を実施する”一連の流れであると定義している(図2)。同マニュアルでは企業の取り組みが実例として公表されており、具体的に述べると、海外展開している企業については海外拠点において外国人労働者へ適切な労働環境を保証されているか、人身売買に関与していないかなど、リスクを評価し、透明性を確保し、人権侵害につながらないよう努力する。一方、国内の中小企業の事例も挙げられており、外国人、また高齢者やLGBTQ+の人々に対しても人権侵害をどのように予防しているか、また今後していくか外部に公表している企業もある。
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