【発達障害と性別違和】「女性」をやめるためには、ひきこもるしかなかったけれど
結論を言ってしまえば「自分が女性であることはやめられなかった」
別に若年者のいう「男でも女でもない性で扱ってくれ=人間として見てくれ」ではないのですが。
(だって男らしくなくたって、女性だって本来はれっきとした人間でしょう)
その後悔の念をnoteに書いてもいいはずだったんですがとうとう忘れてた朝乃です。
忘れていいほどどうでもいい話じゃないはずなんですが……
Xジェンダー関連とも言えることなんでね。
さて今年の茨城、こんなご時世でもなんとか障害者の就職面接会をやるらしい。
体調不良なのと年齢的なハードルもあって今回も出られないなぁなんて感じながら、思い出すのは大学時代の苦しみでした。
もちろん自分が生まれつきの障害者だと分からなかった頃だったからだというのもありますが、「個性のある普通の女性」としての就職活動がつらすぎてしまったんですよね。
「普通」へのこだわり
僕は昔から、学校でお腹を壊していました。
その他もろもろの不適応を繰り返し、でも「死にたくても死ねないのだ」と思い始めて、高校ぐらいから「普通の人として普通に就職しよう」と漠然とした将来像を抱えていたんです。
しかし実際はもっと自分のことを知らなきゃならなかったし、事あるごとに世の中と自分自身から逃げてきていたので就活しようがありませんでした。
自分にはどうせ何もない。
自分を女だと思いたくない、思えない。
で、逃げないとその日一日をまともに過ごせなかったのです。
そうして段々とツケが溜まってしまって、そのツケからまた逃げるために「どうして就活生はこんな格好しなきゃならんのだ」「なんで女だからってメイクしてヒール履かんとならんのだ」と難癖をつけてました。
そうしているうちにその日をただ過ごすことも難しくなり、大学は辞めることとなりました。
「ジェンダーこそが性別」の苦痛
のちにその「就活にまつわる難癖」も間違いではないのだろうと感じるようになりましたが、あまりに遅すぎだと気づきます。
結局家にいようが何しようが、自分は性自認にかかわらず「女性」なのであって、その役割からも身体からも逃れられなかったのです。
女性として生きるのが嫌で就職できなかったのに、女性であるからこそひきこもりに「させられた」苦しみを味わうことになります。
親がいるから、体調が悪いからと言い訳を言ってはサボっていた家事をやらなければならなくなった時は苦痛でしかありませんでした。
苦痛だと思うことがいけないことのように思えて、本当に精神状態が悪くなりました。
女性自認がないのだから「役割こそが性別」なのです。
その役割がまっとうできない状態は許されない、というこだわりによってからっぽの自己が成り立っているのです。
発達障害由来にしても、現実にできそうなことは何だろう
この「戻る性別がない」という、性同一性障害とは別であろう感覚をTwitterで明かすと、フォロワーさんから「同じこと思ってた」との反応をいただきました。
ネットで検索してもすぐに出てくることのない、性同一性障害の治療をしたのに後悔してしまった例(デトランジション)の話も最近知りましたので、昔よりは考えが慎重にはなったと思います。
だからなんべんも記事を書いた通り「ジェンダー」なんていらん、にはなります。
……確かになりますが、それすら理想の、夢の中の話かもしれない。
そんなわけで身体的な苦痛をできる範囲で軽減できないか考え始めたのが最近です。
いや、本当は前々からです……「ジェンダークリニックの前にまず婦人科に行く手があるじゃない」とは思ってたのに、婦人科が怖くて行けなかっただけなんです!
ヘルプマークを下げてまで電車に乗るのはなかなかしんどいものですけども、主治医が女性で話しやすい方だったのが幸いでした。
当初これは「自分が一日でも多く『女体持ちだ』と自覚せずにいられる時間が欲しい」という目的で通い始まったんですが、実際のとこは逆を目指した方がいいのでしょうかね。
自分に心の性がなくったって女性なのは事実なんだから、その体を大事にするために病院へ行こう、と。
ただ、それでも時折思います。
もし体を壊してでも働いて、お金稼いでたらホルモンや手術受けられたかなぁなんて。
それが望む手段なのかはまだ分からないのに。
ただ、あくまでも「手段」でしかありませんからね、どれを選ぶかとなると、仮にジェンクリのお世話になっても本当に最後の最後にはなりそうですね。