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ギークス! 夏希の章(6) 変わったあいつとお姉さまのこと
観月ユリナはやめとけ、か。
というか、氷上の場合は相手が誰であってもやめとかなきゃならないような気もする。
才能が云々の前にまず、仕事をこなす時の言動が変なのである。
だってあれで、僕はすぐにこう言ってしまったんだもの。
「は? 女装男子に……女の子を入れるってどういう意味だよ」
と。
その女装パフォーマンスユニットの表記はのちにマイナーチェンジされるのだが、4SEASONS(フォーシーズンズ)と呼ばれることになった。
僕(朝比奈夏希)と、当時はまだ十代だった春原スバルと氷上冬馬の、それぞれの芸名にちなんだ名前だった。
この日が初の顔合わせだった。
が、氷上の……「巴美冬」名義で氷上が新たに加わる状況は意味が分からなかった。
「いや、ごめんなさい。今ぱっと見ただけで判断したけど、違うか……髪の毛が派手ってとこ以外、格好は僕らと大体一緒? だしね」
髪を赤く染めたこの子に対し、とても混乱した。
スカートが嫌だったら素直にそうするべきなのを、何故か蹴っ飛ばして女装をやりだすという。
戸籍も体も男性とは思えない子が、どうして。
「いや、でも、申し訳ないけどさ……それはもはや、ただのボーイッシュな女の子なのでは」
男性の枠組みに慣れ始めたせいか、当時の僕は率直で残酷だった。
「ま、いっか。性別なんてどうせ割り振られただけに過ぎないし。よっぽどでもない限りは好きに生きればいいじゃない」
フォローのつもりで、明るい声で僕は言った。
ところが、おっとりしているように見えた氷上が、いきなり「ふざけんな!」と言って殴りかかろうとしてきた。
口調は荒かったが……やっぱり残酷なもので、その声は細くて高かった。
「お前みたいなお気楽な奴が、俺の苦しみなんか分かるわけないだろう!」
慌てて、春原とマネージャーが止めにかかった。
「お前らみたいなのはただ趣味で女装やってて、嫌になったらすぐに辞められるだろ? そんな馬鹿と一緒にするな!」
春原はとても怖い思いをして、泣きそうになりながら言っていた。
「あの! 分かってます、分かってますから。GIDなのは分かってますから」
一般的でない言い回しを使う辺りが、春原も何かありそうな感じがした。
まぁ僕もそれなりに独特な人間である、「GID」の診断を受けた人間が「女装家」、あるいは「男装の麗人」と別だっていうのも分かるのだが。
「でも、頼まれたんですよ。中高の先輩だったっていう、観月ユリナさんに」
彼は声を震わせ、決死の思いで絞り出していた。
「彼の中にあるきらめきをどうか、まずはあなたが受け入れて愛してください。よろしくお願いしますと……!」
氷上は唇を噛んだ。
「仕事……っていうこと、なんだよな? でも俺は、本当の俺はもう、普通の男のつもりなんだから」
今度ばかりはこちらがふざけんなと思った。
僕は、女性らしさなら散々他人から突きつけられているのだ。
華奢で、身長が足りてなくて、細い声で色白で、ヒゲも生やさないような奴のどこが男だよと思った。
でもきっと、そういうものなのだろう。
「歌い手の仕事……あくまでも表現のための道具として使うだけだから。俺はもう女にはならない」
僕はうなずいた。
「そう、そういうもんだよ。それ、氷上くんと同じこと思ってるからさ……」
その拳をまず下ろしてくれないかと頼んだ。
「僕ね、君がメディアに出なかった理由を知れて良かった」
触った氷上の拳は冷え切っていた。
両手で包むようにして温めようと思った。
「氷上くんの顔、初めて見れて嬉しい。その綺麗な声が、直接聞けて嬉しいよ」
「……朝比奈さん」
「だから、こういうことがきっかけで一緒に仕事できるって、奇跡みたいに思ってるんだよ?」
そうだったのだ、僕は混乱を覚えたが、その一方では嬉し涙がこぼれそうだった。
「僕は……朝比奈は、4SEASONSの『お姉さま』です。ユニットでは一番年上で、演技に関しては君の先輩に相当します」
「お姉さま……って……お姉さまって何ですか、それ……」
氷上は苦渋の表情を浮かべた。
「君がこの活動をして嫌な思いをしたのなら、僕がその仕事を代わりにやります。そういった形でしかやれないけど、業務上の責任の一部は背負います」
朝比奈さんはそこまでやるの? どうして? と、震える声で氷上は言った。
これはもう、当時の若さと勢いを利用していただけなのだが、僕ははっきりとこう返したのだった。
「氷上くんは僕が守ってあげる。だって僕はファンだもの。君のことが好きなんだもの! 苦しい思いをしなくて済むように、僕が……僕たちが絶対守る。約束だからね!」
……番組収録の後も飲んだ。
が、その次の日から早速僕はただのフリーターになった。
しかもバイトの後は暇になってしまったので、
「サシで飲もう。といっても、僕お酒は飲めない方だけど」
とスズナさんを誘った。
飲み屋に行く金が無いので、場所が……
「あの、マジでユメかわ的な……歳を全く考えない、乙女の園みたいな部屋で申し訳ないんですけど」
同居している姉の家なのだが。
「お姉ちゃんと揃って、セーラー服で戦っておしおきする奴とか、女の子が男装して革命を起こす奴とかが好き過ぎてこうなっちまったんですけど……」
周囲を見回したスズナさんは感嘆の声を上げた。
「それ、乙女ではあるが同時に……めちゃくちゃオタク的だ……むしろもっとやれ」
「やっていいんかい」
仕事から帰ってきたばかりの姉は、嬉しいのと戸惑いとが半々だったようだ。
「で、それはともかく……氷上のこと、どう思ってたんですかね? スズナさん」
僕が氷上と初めて会った日の話をすると、スズナさんもまた、氷上は「変!」であったというのだ。
性同一性障害がどうこうとかいう前の話で、やっぱりスズナさんも、髪の毛の赤い、ボーイッシュな変わった子だなぁなんてことを思ったそうだ。
テレビで筋肉を見せつける変な踊りをして、ワイルドな声で歌いながらストールをなびかせる彼が、である。
「FtMで、パス度低くて、その上男が好きだっていうのもまぁ、変わってるよなぁ……」
まぁ、プライベートでの発言は大体テンション低めでこんな感じなので、氷上が変だという判断も妥当だが。
「あーでもきゃわいいなぁ」
「きゃわ……いい?」
スズナさんはいわゆるガチムチがお好きな方なのだが、氷上と会ったことで考えを改めた。
重要なのは男がムキムキかどうかじゃなかった、と公言する人だ。
僕と違って心が広い……
「氷上きゅん、きゃわいい……」
「あのさ、そのノロケマジ爆発しろよな」
酔い始めたのもあってか、スズナさんはデレデレだった。
これでもテレビで「ピャー!!」とか叫ぶのと比べると、めちゃめちゃ落ち着いているのだが。
「いやぁごめんごめん。昨日は重たい話だったから、今日はもっとマシな話しようぜ。氷上くんの面白いとこ」
「まぁ、はい」
「朝比奈くんも思わない? 普段はほとんど何も喋らないのにさ、好きなものに関してだったらいつまでも喋るあの感じ。面白いよね」
「あぁ……ねぇ」
「あのルックスで男気溢れてるのがいいけどさ、実は意外と繊細っていうのも……守ってあげたくなるよねぇ」
僕は眉間にシワが寄ってしまった。
「ま……まぁそれはありますけど。ありましたけど、長く付き合ってると段々ぶん殴りたくなりますよ……推しなのに……」
「いや、まぁそうだね。君は遅刻に寛容じゃないもんね」
スズナさんは苦笑した。
僕は慌てた!
眉間のシワを取ろうと必死になった。
「あぁ、ごめんね? いやぁねぇ、あれで写真撮影が長引くとかってなるとねぇ……あはは……本人毎回、反省してなさそうだね。むしろ褒めるべきかなぁ?」
あとね、あの「好きなものの押し付け感」がムカつくと言いたいのをこらえて、僕はやや引きつった笑いを浮かべるのだった。
「いやぁ、そうねぇ……あれじゃね? 何よりさ、やっぱあの格好すごいよねぇ……俺も最初、あれはどうしたもんかと……」
あれは、作家としても活動するスズナさんの、ライトノベルのサイン会だった。
「こんにちは。あの、新刊待ってました。初めまして」
「初めまして。君、赤いねぇ」
「赤?」
その子は妙に落ち着きのない様子であったという。
大人びた顔立ちだが、オドオドしているようにも見えてアンバランスであった。
「髪の毛、染めたねぇ。男の子みたいな服着てるしさぁ……学校の先生に怒られないかい?」
スズナさんは、その思い切り具合に苦笑していた。
「え、えっと……これは、『ビビッドソウル』の真似っていうか、その」
赤い髪の子は、少しはにかみ笑いを浮かべた。
「あの……観月さんも好きって言ってましたよね、あのカードゲーム。あれのアニメでね、髪の毛赤い子いるじゃないですか。僕ああいうのが好きなんです」
「あぁ、いるねぇ」
一人称が僕、でありながらも声が高くて細い。
色白で体格も華奢であった。
他の人間だったら痛々しいと一蹴されかねないだろうな、とスズナさんは思ったそうだ。
「あ、そうです。あの、ユナ……その子いいですよね。確か声当ててる人、吉良すみ子さんとこの事務所……澄プロですよね。元子役で」
顔を真っ赤にして、しどろもどろになった女の子というのは普通可愛いものだろうが、この子の場合はひたすら変わっていた。
「最近だとアイドルの女の子の役、何人かやってますね。あぁ、でね、アイドルっていえばあの、最近また澄プロに新しい子が……」
その時向こうは一方的に、芋づる式の会話を投げつけてきたという。
それ分かる。
今はこの話しているんだから、と散々突っ込んでもなかなか直らなかったものである。
その時していたのも、小説とは何ら関係のない話だし、髪の毛が赤いという話からすっ飛んで、吉良すみ子の後輩の話になっていたという。
でも、スズナさんはこの、今まで遭遇したことのない独特さをとても興味深いと思ったそうだ。
「あ、あれ? 僕、こんな話したかったんだっけ……好きなものの話、だったけど、何が好きって、えっと……あれ? 久々に人と喋ったら頭が真っ白に……」
「……ところで、君、名前は?」
「えっ!?」
「ここに名前、書いておいてあげるから。教えてよ」
周囲のスタッフがいぶかしげな表情を見せる中、スズナさんはあくまでも淡々と、営業スマイルを浮かべて接した。
「氷上……って、書けますか? 氷上冬馬。僕、実は歌い手やってるんです」
男性スタッフや、後ろに並んでいたお客さんがうっすらとざわついた声を漏らす。
スズナさんは冷静に、次の方まであともう少しだけ待っててくれと頼んだ。
「そっか、氷上さんね。あのねぇ、ちょっと落ち着きなさい。本当は何を言いに来たんだい?」
「え、えっと、あの、えーと……新刊……新刊待ってて、えーっと、このシリーズ……好きで、でも観月さんの他の本も」
「うん。それで? 本の何が好き?」
「えっと、何が好きって、その……あの……要するに、観月さんのことが好きなんです!」
なんとまぁ、それが唐突すぎる愛の告白だった。
さすがのスズナさんですらドキリとした。
そりゃそうだ。
「好き? 俺そのものが?」
その子はモジモジしながらもうなずいた。
その長い前髪からは片目だけがのぞいていて、嬉し涙なのかちょっと潤んでいたという。
これを聞いた僕は、頭を抱えたものだ。
「おい……あんたそれ、よく不審者とみなさずに済んだな」
「まぁ、歌手じゃなくて歌い手って名乗る人間って大体変かなぁと」
「そんな寛容さいらねぇ」
僕はお酒が入ると、いつにも増してクソ真面目で、それでいてトゲのある物言いをするという。
「あのさ、それ正直コミュ障じゃね? アスペって奴じゃね? やべぇわ」
まぁ、トゲがあっても大体周りは受け流してくれるので良しとしていたが。
「……アスペ」
つぶやいたスズナさんの顔からは、一瞬だけ感情が消えた。
「あ、いや……ごめん何でもないや!」
そして彼は、いつものワイルドな笑い声を響かせたが、それが余計にこじれた雰囲気へと向かわせていた。
「はい? そう言われたって気になりますよ」
「いやぁ、あのね、別にいいんだよ。いいよ……もうしょうがないから……」
「ギャグにマジレスされても困るんだけど」
スズナさんは声を荒げたりなんてしなかったが、それでも内心でヒリヒリしたものを感じていたのだろう。
「……人の変わっている点を、そのような言い回しでネタにすると向こうは傷つくっていうの、朝比奈くんなら分かるんじゃないの?」
これをいちいち気にする……というのはっきり口で言ったのは、同じ芸能界の人間では彼が初めてだった。
「いや、だから何であなたがそんな……あのね、別に違うって。アスペって空気読めない人だくらいしか知らないけどそんな……そんな意味じゃないって……」
微妙に頭の回らない中釈明しても、墓穴を掘るばかりだった。
「いや、あの……だったらその、ごめんなさい」
僕は額に手を当てた。
「あれって……何だ? ちゃんと言うと発達障害って奴ですか? ああいう人ら。何か氷上とは似て非なる存在ですよね」
そうだった、ような気がする。
ナレーションをやらせてもらってる番組とか、他の民放番組から得た情報程度しかないが。
「あれ、プロのピアニストとかいますよね。ジョブズもそうとか聞いたことある。そっかぁ……そういう天才的な人らなのにさぁ、欠点だけ見てディスる道具にしちゃ駄目ねぇ」
僕は、あの番組を観た時の感動と、氷上の迷惑行為に遭遇した時の憤りとを比較しながら言った。
「いや、でもごめん。さっきのは氷上にも、その障害の人にも申し訳なかったです」
「そうそう、氷上くんはさぁ……FtMとか、挙動が変わっているとはいえ、そういう人とは違うしねぇ」
スズナさんはそう返したものの、いつもの威勢が足りていなかった。
「氷上はね、好きですよ僕も。だからこそ人に迷惑をかけて、仕事のスケジュールを狂わせて欲しくない。だって、業界の中では普通の人間だもの」
「そうか……君も仕事の幅が広いから、レジェンド級の人とかモリモリ会うもんね。アニメ関係だけでも、金城雄哉とその息子でしょ? 吉良すみ子に……ねぇ?」
「な? 好きな歌い手に対してこう言うのも申し訳ないけど、氷上は壮大な曲を演奏できるピアニストじゃないんだから、努力できるとこはしてかなきゃ潰されるんですよ」
スズナさんの表情は硬かった。
僕は深いため息をついた。
「あぁ、やっぱ……ごめんなさい。才能のある人らだって影で頑張っているのにさぁ……何でこう、自分みたいな並の人間って口だけ達者なんだって」
落ち込んだ僕に、スズナさんは首を振った。
「いや、君ってまさに努力の天才だよ。ここまで真面目で、冷静で、誠実なのってすごいよ。ただ、まだ上手に休める方法を見つけていないだけ」
「そっか……」
彼は残り少ない、氷で薄まったハイボールを口にすると、優しい声で言った。
「ねぇ、朝比奈くん。氷上くんの大ファンでありながらも、そこまで現実的な話ができるようになったなんてね。経験によって得ることができたんだろうね、その価値観」
「どうなんですかね、分からないけど」
「そういうのは、大事にしなよ」
「うん、ありがとう。そう言われると助かる」
肩の荷が下りたような心地がして、僕は自然と笑みがこぼれた。
「大丈夫。特別な何かになんてなれなくても、存在を認めてくれる人はいるんだから」
「特別な何かに、なれなくても……か」
「俺はね、何でもない人のこともちゃんと好きだし、認めるよ」
この夜は、とても不思議な感じがした。
一連の、スズナさんの感情の揺らぎ方がいつもと違っていたし、でも結局、いつもの優しい言葉で締められたわけで。
そうなったから、他の人といる時よりも安心感を持てる。
氷上はきっと、こういう人が彼氏で幸せだったんだろうな。
スズナさんのおかげで、氷上の命は……未来は失われずに済んだのだろうかとも思った。
腹の底の変な感じを何とかしようと、窓を開けて外の空気を吸い込んだ。
僕は、胸がきゅうっと痛んだ。
頼んでもいないのに、口の端から嗚咽が漏れた。
「……朝比奈くん……朝比奈くん? どうしたの?」
スズナさんは、僕の頬を伝う涙をそっと拭いてくれた。
「僕、スズナさんみたくなれない」
「いやぁ、なれないのはそりゃ当たり前だが」
「……間違っていたの……本当は、あの先生じゃなかったのかな」
「先生……あの、ってどの? どうかした? しんどい? いいよ、何がしんどいか言ってみなよ」
スズナさんは優しく僕を抱きとめると、頭を撫でてくれた。
そばで見ていた姉はびっくりして、言葉が出ないようだった。
「浅はかだったから……何もかもを失くしたのは僕のせいなのかな……?」
「大丈夫、大丈夫だからさ。俺に話したいことあったんだね? そうやって……泣くの、無理に止めようとしなくていいよ。な?」
そう言われて、僕は余計に苦しくなった。
結局自分は、何にもなれなかったのだろうか。
ただの男とか女とか、そういうものにすらなれないのか。
そんな人間に、誰かを守るなんてことは無理なのか。
人に頭を撫でられたくらいじゃどうにも収まらない、深い絶望感だった。
「じゃあさ、僕とその友達が、馬鹿だった頃の話を聞いてくれる……?」
「うん」
「その話、お姉ちゃんがショック受けないようにフォローしてくれる……?」
「……うん」
僕がまだ、可愛い本物の女の子になりたいと思っていた頃の。
どんなにあなたに認められたところで、取り戻せない未来はあるんだっていう話を。