私になるまで41
キツいリハビリは、その病院の方針で土日祝日関係なく行われる。流石に先生は交代で休むが代行の先生は当たり外れがあった。私の担当の先生を私は「鬼コーチ」と「スマイルデビル」と密かに呼んでいた。「鬼コーチ」はPTの先生。ちゃんとしたら優しい笑顔だったが、疲れて休むとドスの効いた低い声で「もう出来んのか!」と怒る。一方、「スマイルデビル」はOTの先生。笑顔で何でもやらせる。
リハビリの中で楽しみはOTの時間10分程度塗り絵をされてくれることだった。マイ色鉛筆をリハビリ室の作業療法室に常に持ち込んでいた。楽しみはあっという間に過ぎた。その後は手先を鍛える作業に悪戦苦闘した。PTは初めての日いきなり平行棒の間に立たされ
「スクワット30回」いきなり言われて「えっ!」と聞き返す。「だから、スクワット。はい!1、2、3…」という先生の掛け声と同時に、足を曲げる。やっとこ終わったと思ったら、「次かかと上げ」「次つま先上げ」その後歩行器で、リハビリ室の周りを歩く練習。やっとこ休憩。急性期病棟の時の先生が、通りかかったので、睨む。
「しごかれるって言ったやろ?」笑って通り過ぎた。ハローベスト装着したままで最初は疲れてリハビリが終わるとバタンキューの様子に、同室のおばあさんは「先生やりすぎやなぁ。」って心配してくれた。
さて1番大変だったのはハローベストつけたままの入浴だった。お湯で洗えるのは、頭と下半身。しかも寝たままの状態で濡れたらダメな部分は絞った濡れタオルを鎧の間から突っ込んで、擦る。何か汚れが取れているかどうかも疑問だった。とりあえず痒みは取れている様子。それが週2回。後は適当にタオル絞って自分で拭いいた。ホントは看護師を呼ばないと行けなかったが、面倒なので、できることは自分でやった。母は下の子が修学旅行前で準備があり、途中数週間帰宅。最初は疲れていたが少しづつ身体が慣れて行った。
丁度大学から実習生の女の子が来てて、担当の鬼コーチが指導員だったらしく、私に付くことが多かった。やることは鬼コーチの言われた通りにやっていたが、たくさん女子トークした。彼氏とのデートのお惚気け話もたくさん聞いて、うちの娘を思い出した。「うちの娘ね、ちょっと変わってて爬虫類好きなんや。」ってある時言うと、「そんな子いますよ。もしかすると爬虫類すきな彼氏できるかも。」「イャ───(*ノдノ)───ン」でかい声で話すものだから、鬼コーチに「もう少しトーン落とせません?」って何度もいわれた。その実習生はハローベストが取れる前に実習を終える。涙目になりながら「浅野さんが、ハローベスト取れるまでいたかった。」と言われた。今頃日本のどこかで理学療法士としてバリバリ働いていることを願う。ハローベストに身体が慣れてくると、歩くのが楽しくなった。最初はリハビリ室をぐるっと回るだけだったが、そのうちに外に行くようになった。最初は、病院の裏道を抜けて玄関に戻って来る。その次はちかくのだんちのまえを抜けてちょっと歩く。花が咲いていてとても心地よい。合言葉は「ゆっくり〜ゆっくり〜歩いていく🎶」
確実に安全に、歩くことを目指し、日々のリハビリは続く。
その間に同室のおばあさん達は退院し、また違うおばあさんが来た。古株は私だけになったが、隣のおばあさんは笑顔の上品な人でよくきにかけてくれた。前は60代のおばちゃん。ご飯のテーブルがおなじでいつもふりかけをくれた。こうして、たくさんの人との出会いの中で私の人見知り発動は少なくなった。そうしているうちにCTを撮るという連絡が来た。この連絡がくると、間もなくハローベストが外れる。
今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。