私になるまで24
親に啖呵を切り一人暮らしを続行した私は、自問自答する。「私のやりたいこととは何?」
今まで地域の中で普通の生活をしたい。その一心で頑張ってきた。少しだけ背伸びしていただけなのに。今までの生活は間違いだったのだろうか?いや、答えなんて無いのだ。前へ前へ進まなければ。自分が自分でなくなりそうな不安に駆られた。
けれど今までの事を振り返ると、私は人徳な部類に入るだろう。いつの時も、良き理解者に恵まれていたように思う。行き当たりばったりの人生は、まだまだつづく。当時は障害者の社会参加と自立がうたわれて運動も盛んだった。私はその集まりに参加する機会が多く、色んな障害のある人と出会う。その集まりに重度の脳性麻痺で一人暮らししてるという男性に出逢う。小さい頃からずっと施設で暮らした彼は、ある日突然施設を飛び出し、放浪の旅に出たらしい。色んな障害者の家を泊まり歩き、どこにも泊まれない日はゴミ置き場の前で一晩過ごしたこともあると話していた。私は、前途多難だと思っていた自分の環境が、いかに 恵まれたものであったか、悩んでることがとてもちっぽけなものであったか、思い知らされた。彼とはその集まりの後他の人達も含めて、よく話をした。
みんな立場は違うが、目指すものは同じだった。「地域の中で普通に暮らす」そのためにヘルパー制度の改善が必要だと思った。その頃重度の障害者の生活を支えていたのは無償のボランティアがほとんどだった。
自分達の生活は自分でなんとかする。しかし、そこには、限界がある。生活をサポートするのは、公的な制度を作り安定した収入を得る自分の選んだ人をヘルパーとして雇える。そんな制度が必要だった。
現在、ヘルパー派遣の事業所が、増えて重度の障害者が一人暮らしが出来る環境になってきているのは、それまで自分自身の生活は自分で作ろうと奮闘した障害者達のおかげであるそれに私も乗っかって活動するようになる。
しかし、その後、私は出産、結婚、離婚をフルに経験し、実家に帰って来る事になる。それはとても辛辣な出来事だったので勝手ながら、割愛させて頂きたい。
今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。