私になるまで33
神経内科の主治医の先生は、あんまり脳性麻痺の事を知らないようだった。だから、戸惑いは大きかったはずだ。薬だけがどんどん増えていく。それでもなんとかしたいという思いはあった。先程は「匙を投げた」などと言ってしまったけれど、首の手術を引き受けてくれる病院を最後まで諦めずに探してくれた。何件か病院をあたってくれたが、障害児専門の病院だったり、以前はアテトーゼ型脳性麻痺の首の手術をしていたが今はする医師が居ないと断られたりで病院探しは難航した。しかし最後に昔大阪市内の病院で手術していた医師が北摂の病院にいるという情報を見つけてくれた。
とりあえず紹介状を持ってくるように言われた。私は二十数年前に診察してもらった医師の事を思い浮かべていた。あの時何歳か分からなかった。だから、もしかすると引退または死んでるかもと思っていた。
家に帰ってパソコンで病院のホームページを調べる。
「やっぱり!」あの時の先生の名前がそこにあった。
改めて「2次障害」について、考える。脳性麻痺の人が書いた手記を片っ端から読んだ。やっぱり脳性麻痺は進行しない説は神話だと思った。頑張ればやれる。しかし無理を重ねることで身体は崩れる。ナマケモノのレッテルを貼られようが、自分の体の声を聞く事こそ、成人した脳性麻痺の生きる道だと、その時感じた。
こうして長い時を経て、先生に再会する事となる。
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