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私になるまで54

翌日父がむかえにきて、そそくさと外泊の準備をし、帰路に着いた。その日もマスクマンは休みだった。いない間に帰るのは後ろ髪を引かれるが、3ヶ月半ぶりに帰れる嬉しさの方が勝つ。

帰って、すぐ自室に上がった。

インコさんは元気だった。床に糞が落ちて固まった状態なのをいくつか見つけた。

ベッドは娘に占領された状態。埃がはらはら舞い落ちる。とりあえず、床の(糞を綿棒で擦って取る。その後床に掃除機をかける。

インコさんのお世話だけはきちんとやってくれただけ有難いはずがあまりにも汚い部屋にイラッ。その日はそれだけで疲れ眠り、入浴は翌朝母に手伝ってもらって入る。やはり病院の風呂は、入りやすい。椅子もシャワーチェアが必要だな。

外泊は、この先の暮らしにどうやったらいいか確かめるもの。

その日はインコさんと遊んで過ごし、翌朝また病院への長旅に、身体はガチガチに固まった。

病院に戻ると、「もう退院するか?」と先生。先生は、早く家に帰したいらしい。しかし、その時マスクマンが来た「何この体ガチガチですやん!」着いた早々リハビリ室に連れていかれ、

ベッドに横になってストレッチされながら、

「なんで私の居ないうちに外泊するん?」

「だって、先生がいいって言うたもん。」

「権限があるのは、確かに先生やから何も言えないけど…でも、行く前に相談してして欲しかった。浅野さんの体のこと今わかってるのは私やから。」仰る通りです。

ということで退院までまだひと月半リハビリは、続く。

街はクリスマスのイルミネーションでキラキラ輝く時期だった。病棟でもクリスマスツリーが置かれみんなで飾りをつくった。

この時残っていたハローベスト組は私を含め6人だった。みんな個性溢れる仲間。

いまでも、時々メールをくれたり、LINEで話したりずっと繋がりはある。

愉快な仲間たちのおかげで、大変なリハビリもずっと続けていけた。

年末になり、正月が近づくころ、どうしても帰りたくて訴えるも歩くとまだふらつくと言われ、堪らなくなって涙を流した。看護師がそんな私に寄り添って話を聞いてくれる。

今思えばなんだか恥ずかしいが、話は聞いてくれるだけで落ち着いた。

病院の消灯時間は21時。

大晦日真っ暗い中紅白歌合戦を観た。その年のトリはゆず。

最後まで観た。「栄光の架橋」

あれは私へのサプライズプレゼントでは無いか!と勝手に思う。

翌朝、大あくびしつつ、リハビリをやった。私の担当の先生達は揃っておやすみだった。代行の若い先生と真っ暗い病院内をぐるぐる歩いて回る。こんなに暗いと怖いね。という私。「俺ホラー好きやから。なんともないです。」と先生。

次の日はリハビリの先生の中で一番のイケメン。だけど毒舌キャラ。

正月はあっという間に過ぎた。

私はどうにか1月中に帰りたいと願う。その理由は、年末にゆずのファンクラブ先行チケットに当選して、チケット代の振込が1月の末だったから。

また行くんか!という皆様の声が聞こえそうだ。

No YUZU No Life

今もそれは揺るぎない。PTの先生と一緒に郵便局に行こうと看護師に言うと「危ない!」とめちゃくちゃ反対された。

そんな時、家族からは退院まだか?とせっつかれる。病院と家族の板挟みに耐えられなくなり、先生に親に説明して貰えないかと言う。精神的に辛くて窓の外を眺めていたら、隣に先生が来て、「早急にカンファレンス開くから。」

グッドタイミングで感謝感激した。

数日後、退院の日が決まった。チケット代入金の2日前に決定!良かった!またゆずに会える。

そうしてるうちに、前に同室だった、yちゃんが私の隣のベッドに移ってきた。前のベッドにY姉さん、隣のベッドyちゃん。退院までの数週間はとても楽しかった。

今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。