私になるまで44
また暑い中のリハビリは続く。
うちの家族は私を置いて帰ってしまう。洗濯も自分で出来るようになったので、コインランドリーの前でスマホでゆずを聴きながら、歌いまくってると、毎度病室の掃除をしてくれるおばちゃんが
休憩に来て、「あんた、何でも出来て偉いなぁ。」という。私はこの洗濯の時間がストレス発散だったから、へへへっと照れ笑いするだけだった。
鬼コーチのリハビリはさらにきつくなった。朝は筋トレ、昼からは歩行。歩きながら、よく喧嘩した。同室のおばあさんが、「あんたら仲良いなぁ。2人結婚しはったらええのに。」と微笑む。鬼コーチと私は親子ほど年が違い、また鬼コーチは結婚してるのを知らなかったらしい。
「俺結婚してますねん。嫁さん2人も要らん。」と言うとおばあさんは「あらまぁ残念!」
一体何が残念だったのだろう。私を幾つだと思ってたのだろう。真意は藪の中だ。それにしても暑い日はずっと続いた。リュックに重りを入れて歩行した。実践訓練ってやつ。鬼コーチの弱点は日に浴びると顔が真っ赤になることだった。それでも毎日病院玄関ににある坂道を行ったり来たり、続け様にスマイルデビルが水筒持って!ってリュックに入れ山道を登る。私もしんどかったが、先生達もかなりしんどかったはず。最後まで付き合ってくれたことに感謝する。
退院前に、大学時代の友達がお見舞いに来てくれた。4年ぶりの再会だった。私のしっかり歩く姿に感嘆してた。「現代医学の進歩やなぁ。凄い!」って。まぁ元気になったのは事実。楽しく雑談し帰る時めちゃくちゃいい笑顔で記念撮影した。
またの再会を約束し笑顔で見送る。
その晩はこの地域の花火大会だった。病棟の窓から見えるというので椅子を並べみんなで見た。「わ〜綺麗!」最初は歓声がいっぱいだった。が、そのうち、しーんとなり、心がじーんとなる。ちゃんと歩くことが出来ず泣いた日。リハビリがきつくてもう嫌!って思った日。隠れてクリームパンを食べ喉に詰まらせて顔面蒼白になった日。その一つ一つが涙の粒となり溢れ出した。他の人もそうだったらしい。静けさの中で仕掛け花火が開花する。
「いくつもの日々を越えて辿り着いた今がある。だからもう迷わずに進めばいい希望に満ちた空へ」
次の日、看護師たちに見送られ退院した。
しかし、その一年後、まさかこの病院で花火大会を観ることになるとは、その時の私も、家族も、先生も想像してなかった…
お盆前の暑い日、車に沢山の荷物を積んで、ようやく病院から解放される喜びに胸が踊った。
とりあえずカラーはあと少し付けておくように言われて家路へ向かった。
3ヶ月後10月に天王寺の病院でのしんさつが、先生と会う最後の日になるはずだった。
今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。