環境というのは、大きい
私がいま読んでいる、五所純子『薬を食う女たち』という本の主題は、大麻や覚醒剤などのドラッグを摂取する女性たちです。
取材をもとに書かれた文学作品(ルポ文学、というらしい)なので、出てくる女性たちは現実に存在しているのでしょう。
そのほとんどが未成年、しかも中学生とか高校生とか思った以上に低年齢で最初の摂取を経験しています。
興味深いのは摂取した当時、ドラッグに対する恐怖や抵抗、葛藤といった感情が希薄であること(あえて書かれていない可能性もありますが、私は、本当に希薄だったんだろうなと思う)。
彼女たちの多くは、たとえば両親が不仲で家庭内DVが当たり前だったり、ネグレクト状態だったり、育った地域的に暴走族とやくざが身近だったり、生まれつき知的障害や精神障害をもっていたりします。母子家庭で、母親は薬の売人をしていて、保育園児のころから家の中にドラッグの山があったという女性の話も出てきます。
身体的暴力も精神的暴力も物心ついたころにはすでに身近で、自分の身と心を守るために感覚を麻痺させていく術を知らず知らず身につけていったんじゃないかな、と思わずにはいられません。
本書には12章ありますけれど、最初の1章を読むだけでも、日本社会は分断されているんだと痛感します。
薬が身近な人たちと、そうでない人たち。
だけど同時に思うのは、薬が身近な人たちも、薬が身近でない人たちと同じ願いを持っているということ。
本書の最終章である第12章は終わり方がちょっと綺麗で、なんとなく心を打たれてしまうのだけど。
その生きざまをたくましいと表現するのは簡単。どんな人生だって正当化できなきゃ自分がつらい。
ただそれとは別の話で、問題は問題としてあって、そうしなきゃ生きていけないからそうしているだけで、もし選べたなら今みたいになりたかったわけじゃないだろう、と思うのです。
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