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ひとつところにいられずに

昨年末は予定が少なくて、特に12/28~30は何も決まった予定がなかったので、朝はひたすら惰眠をむさぼり、なんなら午後3時くらいまで布団にいて、寝過ぎて逆に倦怠感を引きずりながら目覚め、夕暮れの街を散歩し、元気になってきた夜にゲームなんぞ始めるもんだから寝つくのは深夜3時……みたいな半分昼夜逆転生活をしておりました。
でもそれも、まあ楽しかったといえば楽しかったのだけど、3日目のお風呂の中でふつふつと苛立ちが沸いてきて、早く正月休み終わんねーかななんて年越す前から考えていて、私なにもない休日が3日も続くとストレスになるということが判明した長期休暇でした。ふだん連休のない仕事(平日1日と土日どちらかが休みというシフト制)だから、あんまり休みすぎるとそわそわしてくるのだな。大晦日に単発の仕事があったんですけど、それに出かける準備している時の私めっちゃ元気だったもんな。


高校生大学生のころ、スケジュール帳が埋まっていないと不安を覚えるタイプの人間でした。暇を恐れていたというよりは、常になんらかの刺激を求めていたというほうが正しいかもしれません。似たような毎日が続くことが苦手でした。
それは今もそうで、仮にこれを飽き性というのならば思い返せば私の飽き性は、学童期からすでに見られていたと思います。

小学校の卒業式、クラスの女子の大半が泣くなか、私はどうしても泣けず(むしろ笑っていたので変な目で見られた)、中学、高校の卒業式でも泣くことはありませんでした。
どんなに楽しかった日々も、それが未来も続いていくという約束や保証より、まだ見ぬ新しい世界が始まることのほうにわくわくを感じていました。
私にとって卒業という制度は、否応なく環境が変わるという意味で、ありがたい制度だったように思います。

大学を卒業して就職して思ったことは、基本的に社員を会社側が解雇することが難しいこの国では、自分から望まなければ退職がしづらいということでした。
仕事に慣れてきた頃、上司からすればようやっと戦力になってきてくれた頃に、私はその会社を辞めたくなってしまうのでした。


今の職場である相談支援センターの仕事は、毎日同じことはないので「飽きた」と感じることはないし、職場の人間関係はだいぶ恵まれていると感じているので辞めるのはもったいないようなところです。ありがたや。
しかし職場の役割がわかってくると同時に自分がやりたいことも見えてきて、やりたいことにより近い職場に挑戦してみたい気持ちがむくむくと湧き上がってきております。
支援を求める側すなわち相談者からすれば、長く同じ人に相談できるということが一種の安定に繋がるので、その意味では私は支援者にはあんまり向いていないのかもしれません。

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