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女性の身体の問題を男性が語る違和感

政治家からまたすげー発言が飛び出して呆れてものも言えません。日本保守党・百田尚樹が「女性は18歳から大学に行かせない」「25歳を超えて独身の場合は生涯結婚できなくする」「30超えたら子宮摘出するとか」などと発言したらしい。え、少子化は女性のせいだとでも?

この手の差別発言が取り沙汰されると、表現の自由や信条の自由を盾に「そこまで怒らなくても」という人々がいます。
最近読んだ本で、それらの意見に対抗できそうな文章を見つけたので、少し長くなりますが引用させてください。

こうした差別発言について、「そうはいっても単なる言葉なのだから、言うくらいは自由なんじゃないの?」と思うひともいるかもしれない。言葉は言葉にすぎず、実際に誰かを殴ったりしているわけではないのだから、そうしたことを言う自由は認めたうえでその妥当性を論じるべきであって、発言自体の撤回やその発言をしたことへの謝罪を求めるのはやりすぎなのではないか、と。
(中略)重要なのは、これが単に自分の意見の表明にとどまっていないということだ。差別発言は単なる意見の表明ではなく、「私はこう思うし、ほかのみなさんもこう思い、その考えの通りに振る舞っていいのですよ」という許可証を発行するような機能を持ち、それゆえに実際に環境を変化させてしまう、というのが{「言語ゲーム」という考えかたを提唱した哲学者の}マクゴーワンの議論のポイントなのだ。だからこそそれは、「単なる言葉」に留まらない、実質的に害のある振る舞いになるのである。

※{}内は筆者補足、太字は筆者による

三木那由他『言葉の展望台』

もう私が何か付け足すまでもなく、三木那由他さんが解説されているとおりで、特に政治家がメディアで発言すると「そういう考えもあっていい」とお墨付きがついてしまう傾向は懸念されます。
まして百田氏は小説『永遠のゼロ』がベストセラーとなり映画化もされて一世を風靡したこともある人物。どんな過激発言も一定の支持を得てしまいそうな危うさがあります。そこのところ、どうも自覚が足りないように見えるのだよな。

正直いって日本内閣の“ほぼおじさま集団”に、産めよ増やせよと好き勝手言われたくないのが私の本音です。性別間の優劣の話ではなく、単純に生物学的構造からして、子どもを妊娠するのも出産するのも母乳が出るのも女性なわけですよ。男性が逆立ちしたってできる話じゃないんです。
時代が変わり価値観が変わったことへの危惧はわからなくもないけど、そもそも身体的負担が女性にのみのしかかるんです。
この辺りのことに想像が及ぶ男性政治家ってどのくらいいるんでしょう。かつての厚労省官僚による「産む機械」発言と非常に似たものを今回の百田氏にも感じます。


↓今回の記事を書くきっかけとなった記事です。

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