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トルファンは「街」でなく「町」だった 1987.8

トルファンの鉄道駅から1時間弱バスに乗り、トルファンの町に到着。ホテルは、ドミトリールームがあるトルファン賓館を目指した。『地球の歩き方』によると1泊7元(約280円)。大学生のバックパッカーには魅力的な価格だ。

このホテルは、長距離バスターミナルから1キロほど離れた場所にある。フレームザックを担いでほこりっぽい大通りを歩き始めた。通りの両側は平屋の建物が中心。上海→西安→蘭州と、これまで滞在した街はいずれも省会地(省庁所在地)で、人口11億人(当時)の中国の大都会ばかりだ。

トルファンは「街」ではなく「町」だった。時折、2階建て建物があったが、3階ある建物は目にしなかった。

歩き始めると、早速「ハイ! ロバタクシー」という声がかかった。ロバが小さな板敷きのリアカーを引いていて、ロバ使いの若い男性が一人乗っている。年齢は私と同じくらいだろうか。にこやかに笑いながら、リヤカーを指差している。

ロバのタクシー、乗ってみたいが、まずは徒歩でホテルを目指すことを優先した。

長距離バスターミナルから東に伸びる大通り、しばらく進むと、平屋建ての建物が途切れ始めた。小さな交差点を右に折れて南下する。この道をまっすぐに進めばトルファン賓館のはず。向こうからバックパッカーっぽい手ぶらの白人が歩いてくるので、この道で間違いなさそう。

通りにぶどう棚が作られているが、残念ながら棚だけで、ぶどうの木は成長していなかった。後でドミトリールームで同室になった旅行者は「一昨年、ここに泊まったとき、こんなぶどう棚はなかった」と言った。旅行者向けに整備しつつあったのだろう。

やがて、トルファン賓館の小さな門が見えてきた。

写真:トルファン賓館に続く通りに停まっていた馬のタクシー

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