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高潔で美しかった日本人の大和魂

美しい大和魂が日本を救い
今の私たちが生かされています。
そのことを再認識させてくれる動画でした。

特攻に向かう前に書かれた最後の手紙はほんとうに美しいです。
心の美しい日本人
これぞ日本人の魂だと思いました。

・特攻に!目を背けないで‥米国を恐怖のどん底に陥れた「大和魂《神風特別攻撃隊》」
※『特攻を美化するな!』と言う前に、ぜひ見て欲しい‥【永久保存版】

その他の特攻隊員の遺書をご紹介いたします。
日本人の遺書には、敵国に対する憎しみや恨みの言葉ではなく、祖国を思い家族を思う美しい言葉だけが綴られています。
その魂がほんとうに美しいと感じます。

松本真・海軍二等飛行兵曹が手紙にしたためた家族への気持ち
1945年5月25日 沖縄周辺にて戦死亨年19歳 
(神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊戦士)
父母様 いよいよ待ちに待った体当りの日が参りました。
血湧き肉躍る感じがします。
今では心も落ち着き毎日はな歌にて出撃の日を待っています。
父母様 見ていてください。キットキット成功して御覧に入れます。
私には日本の神々様ついていてくださるのです。
飛行服に白の丸つけて、日ノ丸の鉢巻きした男の中の男の姿を一度
父母様方や兄上弟達に見て貰いたいです。父母様行って参ります。
くれぐれも御身大切に、一日もご長寿せられ御多幸あらんことを
沖縄の空にてお祈りしております。ではさようなら。真より 
父母様

小川清・海軍中尉が家族に宛てた今の気持ちと辞世の言葉
1945年5月11日 南西諸島方面にて特攻戦死 亨年24歳 
(神風特別攻撃隊第七昭和隊)
お父さんお母さん。
清も立派な特別攻撃隊員として出撃することになりました。
思えば二十有余年の間、父母のお手の中に育ったことを考えると、
感激の念で一杯です。全く自分ほど幸福な生活を過ごした者は
他にないと信じ、この御恩を君と父に返す覚悟です。
あの悠々たる白雲の間を越えて、坦々たる気持ちで私は出撃して征きます。生と死と何れの考えも浮かびません。人は一度は死するもの、
悠久の大義に生きる光栄の日は今を残してありません。
父母上様もこの私の為に喜んでください。
殊に母上様には御健康に注意なされお暮らし下さるよう、
なお又、皆々様の御繁栄を祈ります。
清は靖国神社に居る居ると共に、何時も何時も父母上様の周囲で
幸福を祈りつつ暮らしております。清は微笑んで征きます。
出撃の日も、そして永遠に
時世
身はたとへ 敵艦船と砕くとも 七度生きむ あすきこころは
ありがたき 御代にうまれて やくだてる そのよろこびに 
われはゆくなり
御両親様へ
うみやまに まさるめぐみにむくひなむ 道をゆくなり いさみいさんで
亡き兄さんえ
極楽の 兄弟酒を 偲びつつ

永尾博・海軍中尉が家族に宛てた遺書と気持ち
1945年4月28日、沖縄近海にて戦死。亨年22歳 
(神風特別攻撃隊第三草薙隊)
一、生を享け22年の長い間、小生を育まれた父母上様に
御礼申し上げます。
一、親不孝の数々お許しください。
一、小生の身体は父母のものであり、父母のものでなく、
天皇陛下に捧げたものであります。小生入隊後はなき者と御覚悟ください。
一、小生も良き父上、良き母上、良き妹二人を持ち心おきなく
大空の決戦場に臨むことができます。
一、父上も好子、壽子を小生と心得御育みください。
一、母上、父上のこと末永くくれぐれもお願い申し上げます。
一、父、母上の、また妹の御健康をお祈り致します。
父さん 大事な父さん 母さん 大事な母さん 永い間、
色々とお世話になりました。好子、壽子をよろしくお願い致します。
靖国の社頭でお目にかかりませう。では参ります。お身体お大事に。

関行男・大尉が家族に宛てた感謝の手紙
1944年10月25日 比島レイテ湾にて特攻戦死。亨年23歳。愛媛県出身
(神風特別攻撃隊敷島隊)。
父上様、母上様 西条の母上には幼時より御苦労ばかりおかけ致し、
不幸の段、お許しくださいませ。
今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以て君恩に報ずる覚悟です。
武人の本懐これにすぐるものはありません。
鎌倉の御両親におかれましては、本当に心から可愛がっていただき、
その御恩に報ずることもできず征くことを、お許しくださいませ。
本日帝国のの為、身を以て母艦に体当たりを行い、君恩に報ずる覚悟です。皆様御体大切に。
満里子殿 
何もしてゆることもできず散り行くことはお前に対して誠にすまぬと
思っている。
何も云わずとも、武人の妻の覚悟は十分できていることと思う。
御両親様に孝養を専一と心がけ生活して行くよう。
色々と思いでをたどりながら出発前に記す。恵美ちゃん坊主も元気でやれ。教え子へ。教え子よ散れ山桜この如くに

第20振武隊穴澤利夫大尉(23歳)婚約者に宛てた手紙
二人で力を合わせて努めて来たが,ついに実を結ばずに終った。
希望を持ちながらも,心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”と
言うことが実現してしまったのである。
去月十日,楽しみの日を胸に描きながら,池袋の駅で別れてあったのだが,帰隊直後,我が隊を直接取り巻く状況は急転した。
そして今,晴れの出撃の日を迎えたのである。
便りを書きたい。書くことはうんとある。
然しそのどれもが今までのあなたの厚情にお礼を言う言葉以外の
何物でもないことを知る。
あなたの御両親様,兄様,姉様,妹様,弟様,みんないい人でした。
至らぬ自分にかけて下さった御親切,
全く月並のお礼の言葉では済みきれぬけれど「ありがたふ御座いました」と,最後の純一なる心底から言って置きます。
今は徒に過去における長い交際のあとをたどりたくない。
問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて
進ませてくれることと信ずる。
然し,それとは別個に婚約をしてあった男性として,
散って行く男子として,女性であるあなたに少し言って征きたい。
「あなたの幸せを希ふ以外に何物もない」
「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない」
「勇気を持って,過去を忘れ,将来に新活面を見出すこと」
「あなたは,今後の一時一時の現実の中に生きるのだ。
穴澤は現実の世界には,もう存在しない」
極めて抽象的に流れたかもしれぬが,
将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様,自分勝手な,
一方的な言葉ではない積りである。
今更何を言うか,と自分でも考えるが,ちょっぴり慾を言って見たい。
1.読みたい本
「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」
2.観たい画
ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」
3.智恵子、会いたい,話したい,無性に。
今後は明るく朗らかに。自分も負けずに,朗らかに笑って征く。
昭20・4・12
智恵子様
                     利夫

6000名もの若い特攻隊員が散華されました。
靖国神社の遊就館には花嫁人形が飾ってあります。
その花嫁人形について、
この動画の最後に故三宅久之さんが涙ながらに語られている言葉をぜひ聞いてください。

【花嫁人形】靖国神社と特攻隊員

私達が生きている今は、
彼らが命懸けで守ってくれた未来です。

【朗読】
本当に怖いのは…お母さんの涙です。回天搭乗員が家族へ送った感動の遺書

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