何と美しい!!桜花と武士道精神
桜は武士道の象徴であると言われています。
武士道は日本の象徴である
桜花に
勝るとも劣らない
日本の土壌に
固有の華である
武士道も桜も日本の固有のものであることから
桜は武士道の象徴であると言えます。
張陽さんは、でも桜が武士道の何の気質、何の美徳を代表しているのか?
わからないまま時が過ぎたと言います。
その後ずっと考えて
2003年の桜の季節に、夜の街灯の桜を見上げて桜を見ていたそうです。
そろそろ桜が散ろうとする頃でした。
その時風が立って桜の花びらがはらはらと散ってきたそうです。
その美景に惹かれてぼーっとして、桜の世界に入っていき
桜の花びらと共に散っていたような気がしたそうです。
その時、突然閃いて桜の花が武士道の象徴であることの真意がわかったそうです。
花の一生は、
普通の花ならば蕾が芽吹いて
その蕾がだんだん大きくなって開花して
三分咲き、五分咲き、七分咲き、そして満開する
しばらくすると段々弱くなって萎れて萎びて枯れて落ちていくという
過程を辿る。
だけど
桜は違います。蕾が芽吹いて
だんだん大きくなって開花して
三分咲き、五分咲き、七分咲き、そして満開する。
満開の状態から パッと散っていくんです。
萎れて萎びて枯れて散っていくという
過程はないです。
では本当の武士ならば
本当の侍ならば
仁、義、弱者を助ける為に
自分のいくら高い地位を持っていても
いくら尊い名誉を持っていても
いくら金持ちになっていても
いくら高い権威を持っていても
いくら高い官職についていてもなく
いくら人生の頂点に立っていても
仁、義、弱者を助ける為に躊躇なく
自分の命まで堂々と捨てていくことができるということは
満開している桜が
パッと散っていくことと似ていませんか?
つまり、
武士というものは
いくら自分の人生の頂点に立っていても
仁、義、弱者を助ける為に命まで堂々と
捨てていくことができる気質は
まさしく桜が持っている気質そのものじゃないですか。
花の中では桜だけがこの気質を持っているのです。
桜の持っているこの気質こそ侍の持っている最も精華のものである。
ひえーー
素晴らしい動画でした。
張陽さんワールドに引き込まれました。
心揺さぶられました。
深いです。何て表現したらいいのでしょうか
美しすぎました。
中国の方にこの日本の美徳を教えていただくことになるとは
思ってもみませんでした。
この話を聞いて一番に思い出したことがあります。
それは、インドネシアでの話です。
1945年終戦となり、インドネシアにいた日本兵は、天皇陛下からもう帰ってもいいよと言われているのに
「えー?日本に帰ってもいいんですか?」と言うかと思いきや
独立運動が途中まで行っているのにここで自分たちが完全に手を離せば
インドネシアがやられてしまう。
ということで、
なんと❕ 2000人の日本兵が日本に帰国せずインドネシアに残ったのです。
武器も残してはいけないと言われているのに
「いや。みんな取られちゃったんです。どうしようもなかったんです」と
言って、インドネシアの青年たちに武器を渡して
インドネシアの若者と共にオランダと戦って1000人もの日本人が死んだそうです。
故郷に残して来た親族にはもう自分は死んだことにして
そのままインドネシアと共に骨を埋めた人もいれば
生きてそのままインドネシアに残り
現地の女性と結婚した日本兵もいました。
ほんとうに、どうしてそんなことができたのでしょうか
やっと戦争が終わり、もう帰って親族に会っていいよって言われているのにも拘らず。。です。
一言で言えば、まさしくこれが、
仁、義、弱者を助ける為に躊躇なく
自分の命まで堂々と捨てていくことができる
「武士道精神」だったのですね
この美しい日本の精神を桜を通して悟るとは、張陽さんという方は
日本人よりも日本人らしい
なんと素晴らしい方なのでしょう。。
張陽さんも中国の天安門事件の中で、銃弾が耳元をかすめ生き残ったとはいえ、同じ中国の若者たちを亡くし、どれだけ辛い思いをして来られたのかと思います。
その現場にいたということで周りから羨ましがられたりして自分の中にあった自負する思いがあったのを
桜の花を悟った瞬間に今まであった自負、自慢、自大さは
風に散る一枚の花びらにも及ばないと強く感じたそうです。
小さな花びらはものすごく大きな存在となり、
張陽さん自身は、むしろ無視できるほど小さくなっていき
すぐに桜の虜となったそうです。
https://catatan-indonesia.com/indonesia-independent-japanese-army/
独立戦争
1945年8月17日に独立宣言をしたスカルノは翌日にインドネシア初代大統領に就任します。ハッタは副大統領に就任!
しかし、ついに独立かと思われたそのとき、独立を許さないオランダが再び攻め入ってきます。
オランダが再び攻め入ってきたとき、戦争に負けた日本兵の中には、帰国せずインドネシア独立のためにともに戦う者がいました。
武装解除命令に逆らってまで、インドネシアを開放する夢のためにインドネシアに残った日本兵は2000人ほどいたと言われています。
インドネシアに残った日本兵は一時、脱走兵と言われていましたが、のちに英雄勲章を授与されるなど、名誉回復しました。
どうして多くの日本兵は敗戦後もインドネシア独立のために戦ったのでしょうか?
”merdeka”【ムルデカ】とは、インドネシア語で「独立」をあらわす言葉。インドネシア人と歴史の話をするときよく耳にする言葉です。
日本軍はインドネシア占領時から、防衛のためにインドネシア人兵士の育成・訓練をしていました。このインドネシア軍はPETAと呼ばれ、38,000人ものインドネシア青年が訓練を受けていました。この訓練により、インドネシア青年たちの間で「独立は自分たちの手で勝ち取るものだ」という認識が強まります。
しかし、1945年に日本軍が敗退して事態は一変。
日本への帰国命令が出ている中で、日本軍は公にインドネシアの独立に関与できなくなってしまいます。
日本軍の隊長・島崎隊長は、オランダ軍に身柄を拘束され拷問されていましたが、奇跡的に青年らによって助け出されます。
そのような流れから、日本兵はインドネシア独立にむけてともに戦う決意をし、インドネシアの青年たちに武器を分け与えてオランダ軍と戦います。
そして、激しい戦いの末、1949年にハーグ協定*でインドネシア連邦として独立し、1950年に今のインドネシア共和国の形となりました。
この精神は、今を生きる日本人の根底に眠っています。
もう何年も眠り続けているために
まるでその精神は失われたかのようです。
しかし、この日本人の持つ大和魂は必ず復活します。
いや、復活しなければいけないのです。
もう目の前に中共という邪悪な勢力が日本に襲いかかろうとしています。
だからこそ
日本人こそ
この魂に目覚めなければならないのです。