煩わしさと文化観
煩わしさ
小さな頃から生活音とか些細な物音、人の声などに酷く敏感で煩わしさを感じることが多いです。今でもちょっとでも物音がすると気になってしまうし、静かな場所で他人や自分の話し声や、自分の出す物音が響かないか、など常に神経を尖らせながら気にしてしまいます。
ここまで神経質な自分。アメリカでの生活は過酷なものでした。俗に言う「パーティーピーポー」が多めな日常、また寮生活なので夜に響く騒音など(大きくても小さくても)が酷くストレスに感じました。
ずっとずっと、「これは自分が神経質だからなのか」と思っていましたが、実は文化的側面から『大抵の日本人』がそうであったのです。
めんどくさい。は嫌い
めんどくさいという言葉は、体裁が悪い、厄介、うるさいなどといった状態を指すために用いられます。
日本語では何かしらの病にかかることを「患う、患い」と言いますね。昔から『煩い=患い』が、私たちの健康体に布のようにまとわりついて病となる、とされてきました。そんな『患い』をできるだけ振り払おうとするのが日本人、と言われています。
英語では患者を patient と呼びますが『耐える、じっと待つ』と言う意味も含まれます。日本とは逆で患いに対する対応の仕方が全く違いますね。
このような理由もあって、昔の日本と西洋の医療の考え方は異なっていたそうです。
日本人は昔から『内にあるもの』、に対して『外から来るもの』を煩わしさとして感じていました。(内憂外患)それが神社などで取り入れられる結界などの構造なのですが、「外界にある汚れや患いや厄」から遠ざけるために鳥居をくぐらせたり、川を渡らせたり、と。
それは神社だけでなく、日本人にもいえます。外にある邪気や患いを人は清めます。お祓いやお清めなど——。
精神的、文化的な面でも同じです。昔より「内に起こる問題」よりも「外からの影響で起こる問題」の方が深刻視されていました。内、つまり自分の心の中や家族や友達、あるいは日本国の問題というのは自分たちで解決できるものなので、どうにかなると思われていました。
ですが、外からの問題となると別でした。新しい見聞や言語、考え方などで厄介ごとになると考えていたので『めんどくさい』のです。だから『煩わしい』のです。
煩さとの上手な付き合い
煩さに耐える文化と徹底的に捌ける文化。私たちは後者の文化で生きてきたので、前者の文化を本当に意味で理解するのには長い時間と理解を要します。どちらも栄えてきた文化ですので甲乙は勿論付けられません。
どちらにせよ、煩わしさを感じる、ということは居心地の良かった状況が脅かされている、と認知できている状態です。
煩わしさは一生取り巻くわけではないため、耐えるのも捌けるのも、もしくは受け入れてみるのも——。
その時その時の色々な煩わしさと向き合ってみることで、意外にも新しい発見や自分の身になることだったりするかもしれません。
そう考えると、ミステリーボックスのような、ワクワクしたものに見えてきませんか。結果がどうであれ、上手にめんどくさがって、上手に耐えて、上手に向き合ってみる。
そんな気まぐれで人らしい生き方が楽しいのかな、と感じました。
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