待つ事こそ力がいる。
嘆きます。
このなんとも可愛らしい…………え?
少しホラーさえ感じる……は?
クマのホットケーキは
11 歳のヒヨコのオヤツに🐤
本気で作った私である……
私はとにかくキャラ弁とかが
下手なのであります。愛はあります。
ヒヨコのフラッシュバックは
とてもひどく、もう煉獄先生から
児童心療内科を勧められた。
本来…そこまで入り込むような煉獄ではない。本当に小さな、子の心を心配をしてくれていた😭
そしてなによりも泣けたのは
ヒヨコ自身が私に呟いた………🐤
「ママ……ヒヨコ…病院行こうかな…行きたいな……ママ……」
と…………ヒヨコのSOSがでた。
本当に本当にごめんね…
人脈と知識、人間力の強い信頼できる私の友達にこの件で初めてSOSのラインをした。
彼女は私が1人で抱え込む性質を
知っているが故に、
私から、涙で話せない電話にたまげたことだろう。
それでもドンと構え…
あっという間に
大きな子ども専門の病院の医者にまで直接電話の許可を繋げてくれた…
やはり児童虐待は
今、とても大きな問題として
病院側も動いてくれる体制を強く感じた。
だけど…その頃の私には本当に心身共に全く力がなかった……
ただ仕事をし、あとは何をしていたんだろう…あ…調停をしていた……
ちょうど安倍総理が体調を壊し菅さんに、変わる1ヶ月半前ぐらいの夏の暑い時期だった…
紹介してもらった病院に直ぐに電話をした。受付で氏名を言っただけで
すぐにSWの人に名前が通って、繋げてもらえた。これはもう友達が必死で動いてくれて叶った特別だった…。
多忙にも関わらずSWの方は少しだけあいてる時間で私と通話して話を確認してくれた…優しかった…
女神かと、思った…今すぐ飛んで行きたかった……😭
ただ私の中で…
この無気力で何もかもが壊れていた。
そして共に外で相手方と会ってしまったら…という恐怖で外出が駄目だった…
私とヒヨコに
そこの病院への通院は真夏の太陽の中正直…通える自信がなかった…
私はなるべく家から近いところを探していた。たまたま新しく児童心理内科と心療内科が階は別だがくっついてる病院を見つけていたので
そのことを素直にSWの方に伝えた。
あの頃の私は
必死さなどは消えていた。
もう記憶すらない。
ただ、そんな抜け殻のような私にSWの方が声を心に置いてくれた。
「ヒヨコさんが自分から病院に行きたいと言って、次の日にもう病院を決めたお母さんのその行動力こそが、ヒヨコさんを安心させてあげるから。凄いね…偉いね…。お母さんのその頑張りをヒヨコさんは見ているからね…素晴らしいです…。ここの病院に来なくてもいいから、構わないから、いつでも連絡を下さいね。」
嬉しかった…
その当時嬉しい事なんてなかった。
でも、その言葉は嬉しかった。
そしてその友達に
また泣きながら電話をした。
本来なら そこの病院は一見さんは
SWと通院もしてない人が話すことができない。
にも関わらず…紹介してくれて…
彼女もそうとうな力を発揮してくれたのに、
「そこの病院は遠くて多分二人とも行けない😭😭😭😭😭ごめんねーありがとうありがとう。ごめんね。ごめんね。」と 普段、笑って悲しみを隠すはずの私の泣き声に彼女も一緒に泣いていた。私はもう泣き止んでた…。
病院選びはとても大変だ。
それは私も自分が心療内科に行ってるからよく分かる…
通ってみないと…合うか合わないか
全く分からない…
クチコミほど当てにならない。
もっと傷つくことがある。
そこが…心療内科選びは難しい…
そして私は通えそうな距離の
たまたまできた新しい病院にすぐに予約をした。
実際 電話の対応でなんとなく
雰囲気は分かってしまうけれど…
でも 大切なのはヒヨコのSOS。
私はすぐに行動に移せ!
それしかないと、
それは今でも変わらない思いでいる。
そして一歩外に出ただけでも
汗と冷や汗が雨のように流れる
蝉の大合唱の中…
1回目の児童心療内科へ。
不安で不安で不安で仕方なかった…
でも、その不安は一切見せずに
もっと不安そうに心が壊れ
全てを閉ざしてるヒヨコと病院へ行った…な……🐤にバレてたかな…苦笑
思い出す。辛いな………
思い出す…あの去年の夏。辛いな
そして初診の問診で
別々に問診をされた。
私は思いっきり、心療内科の女医さんに泣かされた😱😱(次回へ続く)
あぁ………レターパックいつくるかな…
本日もその恐怖も続く😂
サポートしてくれると嬉しいです🥺 元気玉ください🍀