あじさいの時期from t1d
自分の時系列をまとめようと思ってnoteにしました。
私は1987年7月末日の朝7時35分くらいにうまれたそうです。
しかも男と思われていたそうです、(年の離れた兄が二人おります)
父は地元の伊豆ではヤンキーというのでしょうか、やんちゃの極みだったと現地の方と親戚からききました。
母の実家はスクラップ屋さん。
逆に朝鮮戦争のときで、
実家が鉄スクラップ屋で非常に儲かっておりメイドが2人いたそうです。
考えられない世界ですが、
ややお嬢で下町育ちの母と、やんちゃな父と結婚。
というか、性格的には母のが非常にやんちゃでした、けんかも絶えないけど口数では父は母に勝てなかったのかな。
父はギタリストを目指してスペイン留学を諦めてサラリーマン
母はタカラジェンヌ目指してたけどファンにとどまる。
二人とも「好きな事」があって、逆に「全く違う」というのが長続きしたのかなと個人的に思っています。
それは家族方針でも「やりたいことがあれば国もどこでもいってもいい。でも自分の世話は自分でしろ」という、いわば18をすぎたら何をしてもいい家庭ではありまして。
そのさなか、母は私の三者面談の帰りにクモ膜下出血でたおれ3日半で逝きました。
竹を割った性格だったので「あーあたし、介護されて死にたくない、宝塚劇場とか車の中でコーヒー飲めてぽっくりが幸せよね」と
たばこを1日3箱すってたし、義理の姉に進められ就職した銀行では初日から爪を真っ赤にして何日かでクビに。
でもそれには理由があって「初出勤だし、目出たいからお赤飯の色にしたの」
え。おせきはん?
おいしいけども…
1型糖尿病になったときは私は大学病院をいくつかかたらいまわし、
というか1型専門のお医者様がいらっしゃらず
点々と入院しました。
聖路加、日大、女子医大。
女子医大でようやく今の主治医に出会えました。
それから小学校3年まで入院生活でしたけど
ドクターのおかげで10代は健常者と変わらず過ごしたり、
はずした経験もできました。
決してエリートでいはないけれど。
だけどそのエリートではないこと、
「身近な人と笑ってすごせること」
それが大事だと教わりました。
あとは、「1型のお嬢様お坊ちゃんとまじわらないこと」
治療方法にも関係してくるけど、こういう方々は資格や国家資格とってても
人もきもち、知ったかぶり。
自分の気持ちを知ってるのは自分だけなんですよね。
まぁ機械もなかったし、興味もなかったから。
そのおかげで、人生のゲリラ豪雨があったら
唯一信じてる人とか価値観があう人に相談をするようにしています。
だって年収100万のひとが、10000万とか奥さんとか秘書に自分の会社の経理状況を任せてるような人とは気が合いませんので。別世界だからね。
私が聖路加に入院したのはちょうど、たしか1994年梅雨時でした。
あとは来月主治医にきいてみようかな。笑
あじさいは大好きなお花。
だけど私と1型との出会いでもあるのでした。
雨と低気圧は憂鬱だけど、あじさいは美しいので近くの公園に写真をとりにいこうかな。
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