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短編小説「きれぎれに、とぐろまいて」

昨日、牡鹿を狩った。おとといは兎、その前は鶉を。

早くしないと、妻が哀れでならない。私は初心者ではない。今日、鹿を捌いて喰いたい訳でもない。妻よりもデカければそれで良かった。

妻は、異教徒の祭りの夜、バスタブで死んでいた。一通の書き置きを私の書斎に残して。私は、妻の律儀さに頷いた。

妻は、私を試そうとしている。もうすぐ、妻が発注した寸胴鍋と、業務用の強アルカリ洗剤が届くはずだ。本当に融けるのだろうか。鶉から試そうか。とにかく、私は全うしなければならない。

私たちに、自死は許されていない。

他に禁じられている事柄は、挙げない。他の信者へ迷惑がかかる気がする。私はもう、誰からも赦されず、許されない。それだけが、分かる。妻は、救われなかったのに赦されようとしている。もう妻と私、ふたりだけの何処かへ行くしか無い。何で行こうか。

私たちは、信仰する宗教の信者同士として結ばれた。それは、私たちの意思であると同時に、私の祖母でもある教祖と、お互いの家族を含む他の信者たちの意向でもあった。

私が幼い頃の話だ。

私は、離島に住んでいた。そこには、秘仏とマリア観音が安置された寺があり、木造建築として名高い歴史ある教会があった。私の通う幼稚園の教室からは裏庭の向こうに断崖が見られ、そこを削って作られた小さな窪地に一体の白い女性の彫像が置かれていた。彼女は、子どもの目からしても何かを祈っているのは明らかだった。いわゆる、ルルドの泉だ。

私は運動会の帰り際、父に頼んでその肌理滑らかな彫像を写真に撮ってもらい、その夜に父が自ら裏庭の蔵で現象するのを眺めていた。父は、いつもフィルムは生モノだと言っていた。現像液が放つ異臭の中、立ち膝になって現像液に浸した温度計を目視する父に、私は父の科学への忠実さ見出した。

紐に干され、一コマ一コマに切り取られていてすら無様な走り姿と分かる私の連写の最後を、彼女が飾った。父は夜が明けると本島へ行き、写真立てを買って来てくれた。禍々しい金メッキの安物だったが、それは幼い私には充分な満足を与えた。

私は彼女の写真をある時まで本棚に置いて、祈りのようなものを捧げた。それは生活の微細にまで及んだが、私は何よりも妹弟の誕生を願った。

初夏のことだった。

学校から帰ると、母は縁側に正座をして泣いていた。半年程禁煙していた母が、缶ピースをふかしていた。私は、無邪気に妹弟の誕生を願っていた自分を恥じた。

その頃父は、島の外れにある水産高校の教師をしており、遠洋漁業実習に付き添って長い間家を空けていた。そういう事だ。

どうした所以か分からないが、母は、その翌日から全ての家事育児を放棄して山へ入り、蝮を捕まえるようになった。

一度、登校途中に道端で寝巻き姿の母が蝮を捕まえる一部始終を見かけたことがある。

母は、右手に持った枯れ木の小枝で蝮の頭部を抑え、素手で掴んだ蝮をガラス瓶に放り込んだ。その動作には何の感情の吐露も窺えず、かえってそれが私を戦慄させた。

母は毎日獲った蝮を持ち帰ると、ガラス瓶の蓋に小さな空気穴を穿ち、蝮が排泄物を体内から排出しきるのを待ち、焼酎を流し込んだ。父の帰島を台所中から居間にかけて溢れかえった瓶詰めの蝮が迎えた。

やがて、とどめの日はやってきた。

その日母は、家の中に蝮が逃げたのを見たと言って、朝から家の中をハイヒールで歩きまわっていた。

そして夜、浴室から真裸で居間に駆けてきた母は、浴槽いっぱいに蝮が溢れかえっていると叫き、父は母を本島にある精神病院へ入院させる事に決めた。

船上で母は、やがて島の人々が皆大蛇に喰われると何度も唱えていたと人伝に聞いた。

父は家事育児の担い手として、本島から母の両親を呼び寄せた。これがいけなかった。

祖母は、娘の受けた仕打ちに口を閉ざす島の人々を罵り、島民が信仰するあらゆる信仰に毒づき、自身の手で古今東西のあらゆる教えを編纂、独自解釈を施し、私たちが本島へ引き揚げると、自身を教祖とする新興宗教を立ち上げた。日本国中が「人類の進歩と調和」に陶酔している時代に、だ。

私が高校に上がる春休み、母の帰還を薄々ながら待ち望む私の元へ、父が連れ帰ったのは、健康を取り戻した母ではなく、1匹のよく躾けられたポインター犬だった。

父は私を連れ、裏山を抜け出ると、広がる原っぱで鳩や雉を獲った。私と父は、ポインター犬に充分な食事を与えた後、山へと出かけた。ポインター犬は、優秀だった。獲物を見つけると、前脚と尾を立てて私たちを促した。私たちは、走り出したポインター犬から逃げようと飛び立った鳥類を撃った。ポインター犬は、獲物の回収も的確で、撃たれた獲物が木の上に落ちると、木を駆け上がり回収した。

しかし、そのポインター犬は従順に振る舞うには賢すぎた。時々、疲労や退屈からか、撃たれ落ちたはずの獲物を土に埋め、あるいは喰いつくし素知らぬ顔をして帰ってきた。前者の場合は、口元を土で汚し、後者の場合は血に染め挙げられた口元に羽毛を散らして。

幾日経っても、父はひたすら雉を獲った。それも、すべて紫と赤、緑色の羽毛に覆われた頭部を持つ雄の雉ばかりを。

私は、父なりの腹いせか何かと思っていた。しかし、それは猛禽類と雌の鳥類を獲ってはいけないという島の狩猟のルールに過ぎなかった。

私たちは、持ち帰った雉を縦に裂き、モモ肉を取り出して、毛皮は本島の被差別部落にある皮革屋に持ち込んだ。最初に出来上がった剥製だけは、長い間実家の玄関に飾り置いてあった。私には、その雉の眼窩に埋め込まれた球体であろう物体が何で出来ているのか、知ることがなかった。突いたら、こつこつと音を立てそうな質感だったのは確かだ。

その皮革製品店を営む夫婦には、私と同い年の女の子がいた。

それが、今の私の妻だ。

祖母は最初、彼女の日記を盗み見るよう私に言った。私は、ある程度彼女と親しくなると、彼女を半ば強引に説き伏せ、その日記を持ち帰った。祖母は、ある種普遍的とも言えそうな思春期の少女が抱える懊悩を、社会的弱者とされる人びと辺縁の感慨へと拡大解釈可能な文脈に落とし込み、出来上がった散文をガリ版で刷り、本島の都市郊外へ向かう小型航空定期便上からばら撒いた。快く拾ったのは、新左翼の人間だった。祖母も彼らも、彼女へ、彼女が思ってはいるのかもしれないが、人前では言いたくはなさそうにも思える事を路上で言わせた。私が遠目に見る彼女は、羞恥と正義のあわいを危なっかしく綱渡りさせられているようにしか思えなかった。

やがて、私は家を出た。ノンポリは必然だった。反動で右派ということも無かった。そして、静かな地方都市の旧帝大で、物理学を専攻した。人文科学から遠いところならば、どこでも良かった。自然科学は、島での生活を思い出す気がしたのでやめた。

その頃、祖母は健康食品の製造販売を始め、中でも南米から取り寄せた木の実を加工した滋養強壮飲料はよく売れていた。祖母は、売れ行きが下火になる前に販売ルートを紹介制に切り替え、化粧品と食料品の販売を始めた。私には未だ商才が無いが、その頃の祖母は見抜いていた。私は、ぼんやりしていて、ジェーン・フォンダがハイレグ姿でエアロビをしているのを随分後になって知った。
祖母は、3年で離島に奇怪なポストモダン建築を3棟建て、その1つを病院にした。母、すなわち、自らの娘を手元に置いておくためだ。決して許しはせず、逃がしもしない為に。

父は、相当迷ったと思う。私が、社会人になるまでとでも考えたのだろうか。父は、母を私の住んでいた都市郊外の病院へと転院させた。母の症状は寛解しており、いつでも一緒に暮らせそうだと私は思った。父は定年を迎えると、私の部屋の近くに部屋を借りて住みだした。私たちは毎週末、母を訪ねた。話し合おうとすることが沈黙の原因だったので、私たちは広い休憩室で、ひたすらエアロビをした。とても幸福だった。恵まれてはいないかもしれないが、確かに幸せではあった。

祖母が暴走し出した。

祖母は地元の首長選に立候補した。もうやめてくれと思った。いっそのこと都知事選にでも出馬して馬鹿にでもされれればいいと思った。内部分裂、内部抗争。私は、棄権した。以来、選挙に行ったことがない。

祖母の拡大路線に異議を唱える幹部たちは、新たな象徴を欲した。探す必要もなく、それは妻だった。

祖母は、私と妻が結婚するように言った。返事をしないでいたら、父が轢き逃げにあった。私は、父と母を守る為と思った。私は、駒に徹した。良い気も悪い気もしなかった。新婚旅行から帰ると、祖母が死んでいた。転落死と言われ、遺書はワープロで書かれていた。妻が後継者に指名されていなくて安堵した。用済みの快感と追放。私たちは欲しかったものを、知った。知らないということを知らなかったのだ。

……通報したのは母だった。

私の話を法螺と思わなかったのが母だけだったのか、妻の不在を母に尋ねた人が誰かいたのか、もう私は問わない。

私は、島の本部前で自ら灯油を被ったところを救護された。優先して救われる命が他にあったとは思う。

そして、家の排水溝から見つかったインプラントのネジが決定打になった。私は、再び安堵した。

それから私は、妻が集会に通い続けていたこと、通信教育で美容師の免許を得ていたこと、右下の奥から2番目の歯がインプラントだったことを知った。知ることが出来て良かったと思った。

時々、人が会いに来る。

面会室で、向こう側の人々が私の話を真剣に聴くのを見る度に、私は彼らにとって、さぞ書きがいのある事物なのだろうと思う。一度、小説を書きませんかと言われたことがある。放って置いても誰かが私のことを書くだろうと返したら、それは傲慢ですよ、と窘められた。真っ当だと思った。

最近、私は誰にこの手記を託すのが正しいのか、その事ばかり考えている。読んだら捨ててくれと頼んで、その通りにしてくれそうな人が誰も居ないことだけが分かる。読まずに捨ててくれる人が居るとしたら、それは妻1人しかいない。紙切れ1つ燃やすのに、人ひとりで事足りる以上の何かがそこにはある。

私は毎朝、姿勢をただし、靴音を数える。名も知らぬ顔見知りが、度々入れ替わる。

もう私からは誰も、この未遂の高揚を奪う事は出来ないはずだ。そう、信じている。

Fin


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