
金魚のあしあと
息子のJが、まだ私よりも妻や姪に似ていたいつかの夏、県境の河岸に化石が出て騒ぎになったことがある。確かにその朝、通勤列車で橋梁を通過したとき、控えめながらもひとつまみの人だかりはあった。私は、事件、それとも事故かと、物騒な心地がしたのを思い出す。毎年、行楽シーズン終わりに、上流の鉄道橋の近く、急な弧線を描く川の流れから、硬く淡黄色の河岸へと弾き出された溺死体が揚がる場所があった。可哀想に。川遊びや釣りを彼らは楽しんでいたのだろう。本人の意にそぐわず、信じ、あるいは貫くものもなく単体で去る。私は、せめて研磨させきった厭世観を携えて逝きたい。例えば、Jと妻の不在に狼狽えながら。先細りの会社員人生に付随する退屈をひとり歩きさせるのに慣れた私はそのように考えたのかもしれない。私は続報を期待した。昼過ぎに会社まで、妻から連絡があった。私は、彼女の深刻さを欠いた労いと憶測に安堵した。
「朝、川のところ見られました?海の生きものらしいですよ、とても大きな」
T湾をこの地まで遡上し、生き絶えた古代生物。私は巧く想起することが出来なかった。しかし、後年、そこら一帯が、その昔は海底だったことを知る。そして、Jと採掘に行き、見つけた欠片が鮫の歯とわかった時には、特段に嬉しく思えたのだった。
私は妻からの吉報を得て、日暮れあと、河川敷つたいに家を目指すことにした。自治体名の入ったテントが張られ灯されていた。関係者が夜通し見張るのだろう。鼾が漏れる。近く照らされた白銀の荻が微風に煽られる様は、かえって生活感がなく、中断された寝ずの番に図らずも居合わせてしまった仕出し業者のような気まずささえあった。
それから、幾つかの橋桁を潜った。点々と焚き出しをする者がおり、私を慮ってか、挨拶をしてくれる。彼らが、第一発見者になる。珍しくないことなのだろう。橋が各々、幹線道路、私鉄各線と現れる。
ある吊橋の下、愛玩動物が手放されたのだろう。書き置きと、紙の空箱が転がされている。
“見つけてくださった方にお譲りいたします”
近くに構えられた立派なダンボールハウスには、しっかりと人の気配がある。
「すみません」
「俺じゃないぞ」
壁の向こう、しゃがれた声が応える。布扉は開かれない。
「誰か先に連れて行かれたんですね。丁度、飼っていた金魚が死んだところで、ネコでもイヌでも飼い始められると思いまして」
「知らないね。誰か黙って置いてったんだ。考えろよ、俺と居てみろ。毎日がイヌネコの歩ける距離では出来ていない。歩きまわって小銭稼ぎで飯もない」
私は、表情を決めかねて、誰かが見ていることもないのにも関わらず、迂闊にもただ微笑んだ。
「煮て焼いて食ったわけじゃないよ、多分烏か鷹の仕業だろう」
「何が置かれていたんですか」
「赤子は皆似てるな。ミルク欲しがって、キュッキュキュッキュ鳴くんだ。ヒトもそうだったよ」
ふわりと白毛が残されているではないか。抜け落ちただけの犬の夏毛だと思いたい。寂しさが人のユーモアを攻撃的にするのだろうか。私は、その片鱗を浴びただけ。かつて、置き去られたのがヒトであれば、彼も、どこかへは届けただろう。
「夜遅くにすみませんでした。明日も雨、降らないといいですね」
私は振り返る勇気なく立ち去った。誰もが朝から晴れるだろうと分かる、からっとした月夜だった。単調な砂利道を行く。すれ違うひと、犬、ハーネスを纏わされた白兎。それぞれの生活の隣接地がそこにはある。犬も兎も、猛禽類に持って行かれはしないだろうか。また、すべて鳥は、すべからく鳥目か。身辺に思い悩む事柄が乏しく、私は思考の行間を埋めようと、もがく。
私の建てた家は右岸、どこかで橋を渡らなくてはならない。私は、逃げていたいのか、それとも早く帰りたいのか。私は立ち止まる。息切れは、何も教えてはくれない。背後を小突かれたのに気が付く。橋上から空き缶を当てられたのだった。寝間着姿同然の青年が二人、はしゃいでいる。
「よっしゃ。おっさん、ごめん。どこに当たった?」
「背中や」
私は、怒るよりも先に答えてしまう。案外、大声が出た。
「首じゃないのか……お前の勝ちってなんか……」
賭け事か。負けたらしい片割れの温く悔しがる姿体に私は腹立て、舗装された土手を登る。
「やっべ、めっちゃ強そう」
彼らは立ち去った。労働者か、学生か。乱暴はただで楽しめると知らされた。私が、自らのよそゆきの振る舞いに自惚れていたのも確かであることに慄いた。不動の野太いワイヤー吊り橋の上、私ひとり、残される。手を挙げて、そこへバスが来ることもない。配車依頼をするべきか。ただし、その迎えは確かか。私を後部座席で蒸発させはしないだろうか。
川の向こう、不揃いの足音がする。右岸から乳児を抱き浴衣を着た女が歩いてくる。母親か、それとも子守か。縁日帰りの家族連れ。そのようなものだろう。彼女は、揺れる耳飾りを子どもに引っ張られるがままにさせている。私は彼らに道を譲る。傍らには、兵児帯を垂らした男児が、手にかけた水袋をもう一方の手で揉みしだきながら歩いている。金魚掬いで得たのだろう。礼ついで、胸に抱かれている子どもをすれ違いざまに見やると、その指先は爪を欠いていた。精巧な模造皮膚の人形だった。それは、私がかつて妻に買い与えたものに似ていた。我々には、いつか授かった生命があった。弔ったので、確かにそこへあったはずだ。それが、Jの兄なのか姉なのかは分からない。Jには知らせていない。知らなくていい事もある。便利な言いようがあるものだ。妻が人形への愛着を手放したのはいつのことだろうか。今も人形はオブジェとして家にある。掃除のはずみで転がると、それが大切に扱われた身代わり人形としての日々、或いは息子のJや、失われたあの子のあり得たかもしれない声や肌へと、ちぐはぐに記憶の入れ替えが行われて困惑させられる。私が、この感覚に慣れるということもないだろう。
剛速の自転車を避けた私は、欄干に腰を打つ。
「これ、おじさんにあげる。大事にしてあげてください」
駆け戻ってきた男児が、私へと水袋を差し出す。中に、飴屋の手本になれそうな背鰭のない瘤つきの高価な金魚がとどまっている。彼を追ってきた浴衣の女が、
「すみません。最近ネコを譲られたものでして」
と詫びる。女の抱いた乳飲み子が脚で虚空を跳ね飛ばしている。私は先の見当違いに気づかされる。
いつも使うバス停が近い。通勤列車と同系色の見慣れた車体に追い越される。最終からひとつ前の便だったらしい。今、私を安堵させることのできるものは、眼前に発光する立方体の標識。それだけなのだろうか。時刻表の上、羽を広げ休む蛾がいる。ちこちこと歩き回る様に、私は醜さよりも健気さを見出す。最終列車には乗られたが、バスには置いて行かれた。タクシー代が惜しいので川沿いを歩いてきた。土産は貰い物の金魚だ。弱ってきたら、いたんだ尾鰭が腐る前に埋めてやって化石ごっこをしよう。そうすれば、皆が皆、化石になって出てくるわけではないと分かるだろう。今日出た化石、あれは何ものか。いずれにせよ、珍奇なことなのだ。早く掘り返してしまわないと、水嵩が増して流されてはしまわないだろうか。打った杭もすぐに流されてしまう泥岩の川底。私は、架空の水中住宅地、水圧を掻き分けるように進む。待つ人がいる限り。
(了)
〈参考図書〉
『アキシマクジラ物語』田島政人著 けやき出版(1994)